「割に合わない」だらけの人生を思いっきり楽しむために~見落とされた因果応報~

「割りに合わないこと」多すぎませんか?

「出張を楽しめなくなったら、仕事、続けられないと思うんです。」

友人とレストランでパスタを食べながら仕事の話を聞いていたときに、
そんなことを言うものだから、理由を聞くと。

「出張って、割に合わないんですよね。
朝早くに出て、帰って来るのは遅くなるし、移動ってやっぱり疲れるし。
だけどそんな移動時間まで残業扱いにはならないし。」

確かに、消耗する体力や時間と、もらえる給料を考えると、
「割に合わない」
ものと言えそうです。
最近、出張がとても多いって話を聞いていたので、
そんな「割に合わない」ことだらけだと、そのうち馬鹿馬鹿しくなっていくのかもしれません。

「だけど考えようによっては、会社のお金でいろんな所へ行けるわけじゃないですか。
九州なんかに行こうと思ったら、往復で万単位のお金がかかるわけだし。
タダでいろんなところへ行けて、いろんなものを見れて、いろんなものを食べたり買ったりできる。
それを楽しめるから続けられると思うんですよね。」

考えてみると、「割に合わない」なんて事は、仕事ではもちろん、それ以外の場面でも、
どれだけでもありますよね。

少なくとも、「分かりやすいリターン」だけを見ていたら、
「苦労の割にリターンが少なすぎる」
と感じることだらけなのが人生と言えるかもしれません。

仏教では「因果応報」だと言われるけれど、
「原因に応じて結果が報いる」というなら、
もっと苦労に応じた報いが自分に返ってきても良さそうなものなのに…

そんな思いから「やってられない」事だらけなのが人生だと感じるのは無理もありません。

残念ながら、人生の「因果応報」は、そう単純にはいかないところがあるのですね。
私たちは日頃からどんな「因」を造っているのか。
そして日々、どんな「結果」を受けているのか。
その「因」「果」について、私たちの頭はどのくらい把握できているのか?

「人間は、見たいものしか見ない
と言われます。
もっと言うと、
「人間は、都合のいいことしか見ない
ということですね。
その「自分の都合」の色メガネをつけて物事を見ている私たちが、
自分の「因」に対しても、
自分の「果」に対しても、
どれほどの「見落とし」があるか、知れません。

そんな私の「目」で見える部分だけの因果を切り取ったなら、
「割に合わないこと」「理不尽なこと」
と思える出来事だらかなのかもしれません。

だけど、少しその視点を変えたならば、
見えていなかった「報い」が見えてくるかもしれません。

「割りに合わない」を修正するために

「出張」は、分かりやすい例だと思います。
消費する労力や時間と、会社から支払われる対価としての「お金」
これらだけを「因果」として見ていたなら、「割に合わない」ものでしかないかもしれません。

だけど、かけた労力と時間で得られる「報い」って、本当にそれだけなのでしょうか?

「お金」というのも大切な報いには違いありません。
人間社会の市場で販売されている、あらゆるモノやサービスと交換できる、とてつもない価値ですね。
確かに、人間の都合で決めた価値の中では、最も分かりやすい価値であり報いと言えるでしょう。
だから「お金」という報いを重視することを、決して「間違ったこと」と言うつもりはありません。

ただ、その「お金」のインパクトがあまりに強烈すぎて、「お金」以外の「価値」が目の前にあっても、
見落としてしまうのですね。

報いを「お金」という形で支払うというのは、あくまで「人間社会のルール」であって、
因果応報の道理における「報い」は、当然それに限ったものではありません。
「お金」とは違った形で受けている「報い」をどれだけ拾うことができるか。
これが「割に合わない」と思えることだらけの人生を生き抜くための大切な智慧です。

そりゃあ、「報い」が全部、「お金」という形で返ってきてくれたら、とても分かりやすいし、
誰も「割に合わない」とか「理不尽」とは思わないかもしれません。
(それはそれで、なんだか寂しい気もしますが…)
だけどそんな「人間の都合」通りに、因果応報の道理は合わせてはくれません。

だからこそ、より幅広い視点から、自分の受ける報いをもっともっと拾ってゆく努力をすべきなのですね。

例の友人は、そういう努力をして、色々な労力に対する「報い」を見つけているようです。
「会社のお金を使って、自分はいま九州にいる」
この結果の中に、どれだけの「楽しみ」や「価値」を回収できる可能性が潜んでいるかということです。
分かりやすいのは、そこに行かないと食べられない物や、買えない品物とかですよね。
そこでお土産を買ったら、とても喜ぶ友人がいるかもしれない。
そしたらその友人との関係はぐっと良くなる。
その土地での経験が、やがて会う、その土地出身の人との会話のいい話題になるかもしれない。

人間関係を豊かにし、人生を豊かにする「可能性」という報いが、いま目の前に与えられているのですね。

「割に合わないな」と思う職場環境、家庭環境、友人関係…
苦労ばかりでリターンがない、と思える場面はどれだけあるか知れません。
だからこそ、「見落としがちな報い」を見つけられる「目」を持つことが、「割に合わない」人生を生き抜くためにとても大切なのですね。

「ぼやいているくせに楽しそう」なキャラ

アメリカの映画なんかに出てくるキャラクターで、どんな逆境の中でもジョークを言うようなキャラがいます。

川に溺れて、水を飲みまくった時に
「クソッ、一生分の水は飲んだぜ…」
とか言ってみたり。

周囲から白い目で見られている時に、
「どうやら注目の的らしい」
なんて言ってみたり。

クレームの電話が鳴り止まない時に、
「今日は大人気だよ…」
なんて言ってみたり。

子供がいじめを受けて泣いている時に父親が、
「俺も泣きそうだ。今日は母さんに叱られるよ。」
と言ってみたり。

個人的に、こういうキャラクターは大好きです。
どんな逆境でも絶望しないし、楽しむ「余裕」を常に、どこかで持っている。
「苦難」や「理不尽」の中に、面白みを見いだせる。

そしてそういうキャラクターが言う、
「まったく、割に合わないなあ…」
のセリフには、悲壮感が全然ないのですね。

漫画の話なんですけど、
ハンター×ハンターという少年ジャンプの漫画に、「ゼノ」というキャラクターがいます。
彼はもう、相当年をとったおじいさんなのですが、「暗殺稼業」を、現役バリバリでやっている男です。
仕事服に「生涯現役」という文字を入れている元気なおじいちゃんです。
そしてもちろん、腕は超一流。

そんなゼノが「規格外に強い男」の殺しの依頼を受けて、
その男に立ち向かう時に、つぶやくのですね。
「全くもって、割に合わん仕事じゃ…」

その表情が、見るからに楽しそうなのですね。

まあ、どうせ「割に合わん」と言うなら、こんなノリで言いたいものだと思うのですが、
これだけの「心の余裕」があれば、どんな逆境や理不尽にも立ち向かえることでしょうね。
(もちろん、殺人はダメですけど)

こういった「心の余裕」を持てる源泉となるのが、
「理不尽」や「割に合わない苦労」を超えた先の、自分が本当に求めている「結果」をハッキリ見ている
という事なのですね。

嫌な事、辛い事が目の前にあると、ついついその事ばかりが見えて、
「それを避けたい、そこから逃れたい」
ということばかりを考えてしまいがちです。
だけど、私たちが生きているのは、ただ辛さを避けるためだけではないはずです。
一人一人に、心から願っている事があるはずです。
そんな、真に目指している願望を明確にして、忘れないことが大切なのですね。
そうすれば、「逆境」をその願望に至るまでの「通過点」と見ることが出来ます。
そこから「心の余裕」が生まれてきます。

だけど、その「真の願望」を、色々な辛さや理不尽さに遭遇した時につい忘れてしまいます。
そして、「こんな苦労、これぐらいの報酬をもらわないとやってられない」という気持ちが出てきます。
だからなかなか、逆境を前に、冗談言って乗り切るような「心の余裕」を持てずに、ただイヤになるばかりなのですね。

「常識的な価値」(その代表がお金ですが)以外の所に、自分独自の「価値」や「報い」を見つけた時から、
「割に合わない」ことも「理不尽な」ことも、
「ぼやきながらも、どこか楽しんでいる」
そんなダイナミックな人生が開けてくることでしょう。