「不安は、嫌な現実を引き寄せる」の構造と対策〜「打つ手」が見えない心の状態〜

「恐れている事に限って実現する」の意味は

「失敗したらどうしよう…」
「変なこと言って嫌われたらどうしよう…」
「ミスして周りに迷惑をかけたら嫌だな…」

こんな心の声が聞こえている間は、けっこう上手くいかない事が多いと思います。

「○○になったら嫌だなあ…」
と思っている時に限ってその「○○」は実現してしまう。
こういうことって、結構多いのですね。
私も経験上とても感じています。

よく
「『不安』は、逆に不安の対象を引き寄せてしまう」
と言われます。
「思考は現実化する」
という有名な本がありますが、その言葉を借りて言うなら
「『不安』という思考は特に、現実化してしまう強い力を持っている」
とよく言われるのですね。
これは確かに否定できないことだと思います。

ただその「引き寄せる」というのは、
「不安」という心に何か磁石のような力があって、「嫌な現実」が向こうからこっちに近づいて来る
というものではありません。
なぜなら私に身に起きる「現実」は、
「向こうからやってくる」ものではなく、
「自らが生み出してゆく」もの、
だからです。

このことを仏教では「自業自得(じごうじとく)」と言います。
「業(ごう)」とは行いの事ですから、
自分の「行い」が、自分の現実を生み出すという真理が、「自業自得」です。

その「行い(業)」と言っても、厳密に言えば、
まず「心で何かを思う」ことから始まります。
その心がに現れて言葉を発し、又は、に現れて行動を起こし、
その「心」「口」「体」での行動が、私の現実を生み出してゆくのですね。

大事なことは、「業」といってもその根源は「心」にあるという事です。
私達がどんな「心」の状態にあるかによって、私達の「業」は左右されます。
その「心」が「不安」「恐れ」の状態にあると、
その恐れている事が現実化する可能性はかなり高まるという事です。

つまり、「不安」という心が無意識に、
恐れている現実を引き起こしてしまうような行動へと駆り立ててしまい、
そんな「悪手」ばかりをみすみす打ち続けて、
結局その恐れている現実を引き起こしてしまう。
そんな皮肉な展開を引き起こしてしまうのが「不安」や「恐れ」という心だということです。

「不安」が「実現」してしまうまで、何が起きているのか

自業自得の道理から言えば、
守りたいモノを守りたいならば、「守る為の手を打つ」という行動が必要となります。
放っておいては、「現状維持」という結果さえも得られません。
今の現状を守るという結果さえも、私達はそのための「手」を打ち続けなければなりません。
シビアとしえばシビアな現実ですが、自分の望む結果のためには、自分が行動をし続けるしかないのが道理です。

大切な人との関係を守り続けたい。
せっかく手に入れた社会的立場を守り続けたい。
苦労して磨き続けた能力を維持し続けたい。

全てが移ろいゆく「無常」の世の中で、その願いを叶えるためには、
そのための「手」を打ち続けなければなりません。
そのための「因」を造り続けなければならないという事です。

そして、その「因」は、ちゃんと存在しているのですね。
それも、無数といって言い可能性が、私達の周囲には存在しています。
そのうちの「一つ」を見つけて、それを着実に実践すればいいわけです。

ところが、
冷静に考えれば、いくらでも「打つ手」を見つけることができる。
そんな状況でも、「不安」に心が覆われている時は、
「ただ不安から逃れたい」
の心一杯に覆われてしまい、視野が一気に狭くなってしまいます。
そのため、周囲に無限に存在する「守れる可能性」を何一つ見つけられなくさせてしまう。
そしてみすみす、守りたいものを失ってしまう現実へと自ら突き進んでしまう。
こんな皮肉な結果となってしまうのですね。

千変万化する現実の中でいかに最善手を打ち続けられるか。
そんなシビアな現実の連続の中を生きている私達にとって、
「打つ手が見つけられなくなる精神状態」は、最も恐るべき状態なのかもしれません。

逆に、「不安」や「恐れ」に支配されておらず、
自分の目指すべき道がハッキリ見えている精神状態であれば、
その為にどんな「行動」をしたらよいかが、自ずと見えてきます。
周囲に潜んでいる無限の可能性に、次々と、目を向けることができるようになりますから、
「打つべき手」が次々と見えてくるものなのですね。

そういう
「やけに冴えている」
「次々とアイデアが沸いてくる」
「悩み相談を受けている時に、的確な言葉が自然と沸いて、相手にとても喜んでもらえる」
「難しい状況にも、突破口が自ずと見えてくる」
そんな、「やけに調子が良いな」という時が、数少ないにしても、誰しもこれまであったと思います。

それは、周囲に潜む無限の可能性から、次々と「打つべき手」を見つけられている状態、と言えます。
そしてそんな状態には、
・自業自得の道理をよく理解していること
・心のコンディションが整っていること
が満たされれば、いくらでもなることができます。

最善手が見つかるコンディションの作り方

私達の心の状態(意業)一つで、
そこから出てくる口の行い(口業といいます)や体の行い(身業といいます)が大きく変わります。
だからこそ「心を整える事」こそが、何より大切な事になるのですね。
特に「不安」や「恐れ」に支配されてしまわないことです。

「不安」や「恐れ」が私達に沸いてくるのは、私達にそれだけ強い「願望」があるからです。
「欲望」と言ってもいいですね。
「欲望」と言ったら、「欲しいものを求めてゆくもの」というイメージが強いですが、それは欲望の一つの「現れ方」です。
そんな、積極的に求めてゆくような現れ方もあれば、
今持っているものを「失うまい」という「保身」の形で現れることもあります。
「不安」「恐れ」はまさにこの「保身」の形での欲の現れと言えます。
「保身の気持ち」って、私達は非常に強いのですね。

「苦労して就活をした結果、やっと入社できたこの会社での立場、悪くしたくないし、失いたくない」
切実な思いですよね。
「やっと手に入れた彼女、絶対に失いたくないし、誰かに奪われたくない」
この気持ちも強いですよね。
「ネット上で着実に増やすことのできたフォロワー、減ったら嫌だ…いなくなったらどうしよう…」
これも切実です。

「保身」の欲は、とても強烈に現れます。これが「不安」や「恐れ」の正体です。
その強烈に現れた欲が、しばしば「惑い」を起こしてしまいます。
それが「自業自得の道理」が見えなくなってしまう「惑い」です。
こうなると、後は「悪手」の連続で、「保身」が仇となって失うという皮肉な結果を招いてしまうわけですね。

ということは、欲望の現し方を変えればよいのですね。

同じ欲でも、ただ「保身」に向けてしまうのではなく、
「この会社でもっといい仕事をして、もっと会社に必要とされる人材になっていきたい」
「彼女をもっともっと楽しませて喜ばせて、もっといい関係を作っていきたい」
「フォロワーの満足度をもっと高めていきたい」
そういう、「よりよい結果」に向けてみれば、どうでしょう。

「じゃあその為に、どんな手を打つことができるだろうか?」
そんな思考を起こしやすくなりますよね。
結果的に「惑い」に陥らず、自業自得に則って、
「打つ手」をどんどん見つけてゆける精神状態にもってゆく事になるのですね。

「己の欲」を、どこへ向けるのか。
欲望の塊のような私達にとって、この心がけ一つで、現実は大きく変わります。

いかに、「保身」と「不安」と「惑い」に陥らないか、
そして、自分の大きな願望に向かって、最善手を打ち続けるようになれるか、
「自業自得の道理」を知り、「己の欲」を理解することが、その大きな助けとなることでしょう。