「この人の前だと緊張して、本来の自分が出せない…」これを根本的に解決するために~「保身」と「慈悲」~

緊張してしまうような相手にも自然体で接するには

「この人、私の友達です」
と言って紹介された人が、どストライクの好みの美人で、緊張して思うように言葉が出てこない…
こんな時、どんな気持ちでその人に接するのがいいのでしょうか。

とても近寄りがたくて、苦手意識を持ってしまっている上司がいて、だけどその上司に仕事で関わらなきゃいけなくて…
そんな時、どんな気持ちで関わればいいのでしょうか。

こんな風に、普段の、気の合う友人と話す時のようにはいかない相手、
ちょっと緊張してしまったり苦手意識を感じてしまう相手も、私達の周りにはいますよね。

せっかく仲良くなりたいと思うのだけど、自然体の自分が出せずに、ぎこちないコミュニケーションになってしまったり。
苦手意識にかられて、関わるごとにストレスを感じ、日常に恐怖の影を落としてしまったり。
いわゆる「難しい相手」の存在が自分にとっての「壁」となり、なかなか望む方向へと進んでゆけないという現実が私達にはあります。

しかも、完全に縁を切りたい、一切関わりたくない相手であれば、
「いかにその人と関わらないようにするか」
「関わらざるを得ないにしても、いかにその人から嫌な影響を受けないようにするか」
と、方針は決まってきますね。

だけど、「避けたい相手」という訳ではない。
むしろ、出来るならもっと親しくなりたい。
むしろ、自分にとって重要な存在となりそうで、苦手意識をなくしたい。
それなのに、どうしてもその相手に苦手意識を持ってしまう…
こういうことが私達にはけっこうあります。

考えてみればこれは、自分の人生でかなり重要な場面なのかもしれません。
気楽に冗談を言ったりバカ話をして盛り上がれるような気心知れた友人と接するのは確かに楽ですが、ある意味、完全にそこは「日常ゾーン」です。
楽で居心地がいい分、挑戦もチャレンジもありません。

それに対して、ちょっと緊張感を覚える相手と対峙する場面は、「日常ゾーン」から一歩出るような、一種の「居心地悪さ」を感じる場面とも言えます。
だけどそういう「居心地悪さ」を感じる場面が、人生では重要な場面でもあります。

居心地悪く、緊張感のある場面というのは、そこに「挑戦」「チャレンジ」があるということです。
これまでの自分よりも、また一つ成長できるチャンスであり、新しい世界が開ける場面です。
より進歩向上したいならば、時にはそういう「居心地悪い」「緊張感を覚える」場面にも、意識して飛び込んでゆくべきなのですね。

とはいっても、やはり「難しい」と感じる場面なので、向き合うなら向き合うで、それなりの方針は立てておきたいものです。
「難しい相手」に、私達はどんな気持ちで向き合えばよいのでしょうか?

「心に慈悲を抱く」の真意

なかなか難しい問題ですが、仏教の教えに、何か良い方針はあるかというと……あります。
とっておきの、最強の方針があります。
「この方針でいけば間違いない」
そんな力強い方針が仏教では教えられています。

それは、「慈悲」です。

…どうでしょうか、とっておきの方針が「慈悲」だと聞いて。

なんか、フツー…

そんな印象を受ける人もいるかもしれません。
「慈悲」と言ったら、「優しさ」や「情け」みたいな意味で使う言葉ですね。
とても優しい人に対して「慈悲深い人」という言い方をします。

「情け」とか「慈悲」というと、かなり抽象的な事のように思うかもしれませんが、仏教では「慈悲」とはどういうものかを、懇切に具体的に、教えられています。

私が仏教を学んでよく感じることなのですが、仏教では、一見、綺麗事のようなフワッとした内容に思えることがとても現実的なリアルな内容として語られています。
だから、「フワッ」とした話では終わらないのが仏教なのですね。

そこで「慈悲」について仏教ではどのように教えるのかをお話します。

慈悲の心とは「慈」の心「悲」の心の2つが合わさったもので、それぞれに意味があります。
「慈」の心は、「抜苦」の心
「悲」の心は、「与楽」の心
ということです。

人の「苦しみ」を突き止め、それを抜き取って無くそうとするのが「慈悲」の「慈」の心です。
人に「楽しみ」「幸せ」を与えようとするのが「慈悲」の「悲」の心です。

その始まりは、人の「苦しみ」を知ることです。

「この人は、悩んでいるんだな、不安を抱えて生きているんだな」
相手に対してそう認識するからこそ「慈悲」は起きてきます。

そりゃそうですよね。
この人は自分よりもずっと恵まれていて、幸せで、楽しくて、安心していて、苦しみも悩みもなさそう。
なんて思っていたら、そんな相手に「慈悲」は起きません。

だから、目の前の相手に対して
「この人は、苦しみを抱えている、悩みを抱えている、何かしらの不安を抱えているんだ」
というように認識することが、まず始まりです。
そこから、そんな「苦しみ」、「悩み」に対して、
「私に何ができるだろうか…」
という「抜苦」の気持ち、すなわち「慈悲」の「慈」の心が起きてきます。
その「苦しみ」「悩み」に対して自分に出来ることは何かという模索に入ることができます。

一方、人を喜ばせよう、楽しませようとするのが「与楽」の気持ちですね。
「この人をどうやって楽しませようか。」
「こうしたら、あの人は喜ぶかな。」
「よし、これでみんなを驚かせよう。」
そういったサービス精神とも言える気持ちは、「楽を与える」という「慈悲」の「悲」の心です。
エンターテイナーと言われるような人は、この気持ちが強い人なのだろうなと思います。
「この人といると、とにかく楽しいな」
「この人がいれば、楽しい空気になるな」
そういう人は、この「与楽」の気持ちを常に持っている人なのかもしれません。

「抜苦」でも、「与楽」でも、いずれでもかまいません。
この「抜苦与楽」を模索して、自分の行動を考え始める、という状態に入ることが出来れば、いつしか相手に対する「緊張」や「苦手意識」はどこかへ行ってしまうのですね。
つまり、「難しい人」に対する克服は、すでにこの段階で成されているということです。

「保身モード」から脱却する道

特定の相手が目の前にいると「緊張」や「苦手意識からの恐れ」が相手に対して起きてしまって、普段通りに振る舞えなくなってしまうということを最初に話しましたね。

これはいわば、「自分を守ろうとしている状態」と言えます。
それは「面目」や「プライド」や「自分の評価」や「自分の好印象」…
これらが、脅かされはしないかというところから、「緊張」や「恐れ」は起きてきます。

何かを守ろうとしています。
そして、守ろう、守ろうとすればするだけ、緊張や恐怖は強くなります。
それが皮肉なことに、そのために自分のベストパフォーマンスを妨げて、逆に面目もプライドも好印象も、守れなくなってしまいます。

自分を守ることばかり考えている状態を、仏教では「我利我利(がりがり)」と言います。
「自分(我)を守ろう(利)、自分(我)を守ろう(利)」と、目の前の相手のことを全く考えられなくなります。
むしろその相手が自分の守ろうとするものを脅かすのではないか
そんな「緊張」や「恐怖」にかられてしまって、もう相手に対する的確な行動どころではなくなります。

その「緊張」や「恐怖」から脱するには、「我利我利」の逆をするしかありません。
それが「慈悲」です。
とにかく「抜苦与楽」を考えることです。
これは、「我利我利」とは真逆の思考ですから、その思考が働いている間は、「我利我利」の心の支配されてしまうことを防げます。

「この人のこの悩みや不安に対して、私は何が出来るだろうか…」
この思考の真っ只中にいれば、「我利我利」の本性に支配されて余計な「恐怖」や「緊張」を引き起こす余地がなくなるのですね。

私達が「難しい相手」と対峙した時の本当の敵は、その「相手」ではありません。
自分を守ろう、守ろうとしてしまう心。
その「我利我利」の心に支配されてしまうことです。
その「保身モード」から、「緊張」や「恐怖」や、「苦手だなこの人、どうしよう…」のネガティブが起きてしまいます。
要はいかに、その「保身モード」に陥らないかです。

だから「慈悲」なのですね。
「抜苦与楽」の思考モードに入ってしまえば、「保身モード」の逆を行くことになるので、建設的な思考が進んでゆきます。

その時に大切なことは、「相手の苦しみや悩みを認識する」ことです。

だいたい、苦手意識を持つ相手というのは、「自分とは全然違う人」というイメージを持ってしまいますよね。
そんな人が、自分と同じように「苦悩」や「不安」を抱えているイメージが無いのですね。

だけど、考えてみればそんなハズはありません。
その人も、私と同じ、人間です。
人間として、その人なりのしがらみを抱え、その人なりの苦手意識を抱え、先行きに対するその人なりの不安を感じて生きています。
それが、デキる人であろうと、カリスマのような雰囲気の持ち主でも、目もくらむような美人でも、同じです。
むしろ「そういう人だからこそ」の苦悩や不安があるはずです。

どんな才能も美貌も社会的地位も、いつ、どんなことで失われてしまうか知れない「無常」のものに間違いはありません。
いわゆる「持っている人」は、それらをいつか失う不安が、「持っていない人」よりも遥かに大きいはずですよね。
また、それらがあるが故に、人一倍周りに気を配らなければならないこともあります。
ただ生きているだけで、「疲れてしまう…」そんな現実に生きているのかもしれません。

冷静に想像すれば、私達にも、そういう不安や悩みの現実を抱えているその人たちの姿をイメージすることはできるはずです。

目の前のこの人も、自分と同じ「苦悩や不安を抱えた人間」
この事実を認識した上で、
「その悩みは不安に寄り添えるように、共感できるように、少しでも和らげられるように、どんな行動をするか…」
「この人にどうやって、楽しませようか、驚かせようか…」
「抜苦」であれ「与楽」であれ、「慈悲」の思考が始まれば、保身モードからの緊張や恐怖かれ解き放たれて、あなたらしさ全開の行動が始まるはずです。