「恐怖」に屈しないための一手〜「欲」の引き出す幻想を前に〜

あなたにとっての「怖い人」とは

「怖い」と思うタイプの人が、きっと人それぞれ、いるのではないかと思います。

言葉遣いの荒い人だったり
声のトーンが高い人だったり
一定の年齢層の人だったり
美人で気の強い人だったり
出来るタイプの人だったり

別に、一般的に「悪い」とか「怖い」というイメージのない人でも、人それぞれになぜか「怖い」と感じてしまうタイプの人間がいるようです。

私も、「怖い」と思ってしまう人がたまにいて、だいたいその人たちには共通した特徴があります。
「嫌い」とか「イラつく」ともまた違って単純に「怖い」という感情が起きてしまう人が、私にもまぎれもなく存在します。

そういう「縁」がそばにあると、「恐怖」の感情にかられてしまって、思うような行動が出来ない。
まして、仕事などでそんな人に対して何かを説明するとなると、うまく言葉が出てこない。資料を持つ手が震えてしまう。
そして、1秒でもはやくその場を離れたいと奥底から思ってしまう。

不思議なものですね。
他の人は、その人に対してそんな風には思っていないし、何なら軽く冗談をかましているような人もいる。
なのに私は、その人の「恐怖」の対象にしてしまっている。

あからさまに暴力を振るうような人であればいざ知らず、そんな所を見たこともなければ噂すら聞いて事がない。
何か危害を加えられる心配は特に思い当たらない。
冷静に考えれば、恐怖を感じてその人から距離を取る必要性は全然無いわけですね。
むしろそのことで、かなり損しているかもしれません。
またその人に対しても、失礼なことになってしまいます。

あからさまに危険のある対象に恐怖を感じるなら、それは必要な恐怖感です。
しかし時に、どう考えても必要ではない所で「恐怖」を感じてしまうことがありますね。
そのことが、人生に大きな損失をもたらしていることが少なからずあるはずです。

そんな、感じる必要もない「恐怖」によって、いろんな場面で思うように行動できない自分がいる。
こんな現実は、私だけでなく多くの人が抱えているのではないでしょうか。

「恐怖」を引き起こす源を解明

「恐怖」というのは「自分を守りたい」という心の発現と言えるでしょう。
私達にはこの「自分を守りたい」という非常に強い心が常にあるのですね。
これは人間の持つ「欲望」から出てくるものです。
仏教では人間の持つ色々な欲の中でも代表的なものを5つ挙げて「五欲」と教えられます。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲
この5つです。

食べたい、飲みたい、お金が欲しい、物が欲しい、好きな人を自分のモノにしたい、高く評価されたい、寝ていたい、楽したい、面倒ごとは嫌だ
こういった、私達の本音の心が五欲です。

私達の欲はこれらを常に求めている、とも言えますし、またすでに手に入れているこれらの物を必死に「守ろう」としています。
積極的には、「求める」
消極的には、「守る」
どちらも「欲」の現れ方と言えます。

どちらの方が強いのでしょうね。
「欲」と言ったら「求める」イメージの方が強いかもしれませんが、考えてみれば「守ろう」とする心の強さは相当なものです。

よく言われることですが
「このチャンスで100万円が手に入るかもしれない」
と言われるのと、
「このままでは家の金庫にしまっている100万円を盗まれてしまうかもしれない」
と言われるのと、
どちらの方が行動を駆り立てるかと言えば、明らかに後者ですよね。

「今、自分の持っているモノを守りたい、奪われたくない、失いたくない」
この欲の強さは、非常に強烈なのですね。
そんな心が私達には常にあります。
そんな私達ですから、それらを「失うのではないか」という場面に強烈な恐怖を感じるのですね。

「財産を守りたい」
「大切な人を守りたい」

そこから、それらを失う恐怖を感じるというのはとても分かりやすいと思います。
そしてこの恐怖は、必要な場合も多いでしょうね。

他に、
「名誉を守りたい」
「立場を守りたい」
「楽できる環境を守りたい」
こんな心もまた私達には動いています。

これらが
「嫌われる恐怖」「尊敬を失う恐怖」「面倒ごとに巻き込まれる恐怖」などを生み出すことになります。

私の場合は「嫌われる恐怖」がかなり強いなと感じています。
これはそれだけ名誉欲が強いと言えますね。
「他人から尊敬されたい、格好いいと思われたい」
という積極的に求める心とは裏腹に
「嫌われたくない、格好悪いと思われたくない」
という消極的な心も同時に常に動いているということができます。

「恐怖」に打つ手はあるのか

実に厄介なのがこの「名誉を守ろう」として引き起こす恐怖なのですね。
というのも、
「財産を失いたくない」「大切な人を失いたくない」「面倒に巻き込まれたくない」
などによって起きる恐怖は、その気持ちの通りに逃げ出すことで危険回避に成功することもあります。
(もちろん、逃げたが故に失うということもかなりあるのですが…)

ただ、
「嫌われたくない」「格好悪いと思われたくない」
という名誉欲から「恐怖」を起こすと、余計に嫌われたり、余計に格好悪くなったりするという「裏目」のパターンが非常に多いですね。

確かに、ビビっていては自分の本来の魅力を発揮できず印象は良くならないでしょうし、格好悪いことになってしまいます。
名誉を守ろうとする余りに失うという、なんとも皮肉なことになってしまいます。

私達の「欲」は、しばしば必要以上の「恐怖」を起こして、多くの失敗を招いてしまいます。
しかし「欲」から出ている以上、これを「無くす」ことは出来ません。
私達は「余計な恐怖」がしばしば起きてくること前提で生きる他ありません。

「恐怖するな」とどれだけ言い聞かせても、そんな理屈や理性では制御し難いものが「守りたい欲望」が起こす「恐怖」です。
出来ることは、その「恐怖」をいかに冷静に見つめることができるかということです。
同じ「恐怖が起きている」という状況でも、
それが得体の知れないものとして支配されてしまうのか、
その出処を熟知して冷静に見つめられているか、
で、行動は全く変わってきます。

得体が知れなければ、対策のしようがありませんが、実態を理解していれば手の打ちようは色々と出てきます。
完璧ではないにせよ、ある程度の対策や克服は可能なはずです。
だからこそ自分の恐怖の実態を理解することがまず、極めて大切です。

例えば、「恐怖」があっても、それを上回るか匹敵するくらいの「別の感情」があれば、「恐怖」あるままで行動することも、場合によっては恐怖が問題にならないことすらもあります。

私の場合、
「嫌われてしまいそう、不快感を抱かれてしまいそう、がっかりさせてしまいそう」
といった名誉を「失う」ことに対する恐怖が起きることが多いなと自覚しています。

最初に、「一定のタイプの人に必要以上の恐怖を起こしてしまう」という私の恐怖についてお話しましたね。
私はそのタイプの人に「嫌われる」というイメージが非常に強いのですね。
だから面と向かうと「嫌われるイメージ」がフッと沸いているような気がします。
そこから「恐怖」を感じてしまう…

ならば、例えばそんな時に、その「名誉を守りたい」よりも強い気持ちで、
「楽しませてみたい、驚かせてみたい、心地よく思わせたい」という気持ち(これも同じ名誉欲ですね)をその人に対して起こすことで、「恐怖」を抱きつつも、それに支配されずに行動することも出来るのですね。

また、これまで色んな場面で人を楽しませたり喜ばせたりできたきた経験から「自信」を積み重ねていくことで、その自信が恐怖を上回ればこれまた、「恐怖」に支配されずにすみます。

恐怖を「無くす」ことは出来なくても「克服」してゆく方法は、必ずあるはずです。
時間はかかってでも、少しずつでも、「恐怖」の克服の努力は、いくらでもやりようはあるのですね。

その第一歩は己を見つめ、己を知り、自分の「恐怖」の実態を熟知することです。