無理なく己に打ち勝つ道~「欲」を追うカタチ~

「凄い人」と私の何が違うのか、違わないのか

あの人はすごいな…あんなにストイックに頑張って。
他人を見てそう思うことはあるでしょうか。

手を抜かずに真面目に仕事をし、またいろんなことにチャレンジしてどんどん実力をつけていく人。
日々、辛いトレーニングを継続して、大活躍するスポーツ選手となっていく人。
常に勉強を怠らず、スキル、資格をどんどん身につけて自分の可能性を広げていく人。

いわゆる「努力家」たちを見て、圧倒されることがありますね。
それに比べて私は、すぐに欲に負けて怠けたり、遊んだりしてしまう…
こんな風に他人と大きな「差」を感じることが、誰でもあると思います。

そして、
「すぐ欲に負けてしまう自分はダメ」
欲に負けずに頑張り続けられるあの人のようには、とてもなれない」
と、自分の限界のようなものを見てしまいます。

確かに、一人一人の行動を見ていると、
「同じ人間とは思えない」
ほどの行動の差を感じることはあります。

だけど同じ人間で、本当にそんなにも違うものなのでしょうか。
「かけ離れている」と思えるその人とは、本当にそんなに自分と隔たっているのでしょうか。

この「違い」を仏教ではどう見ていくのかを、お話ししたいと思います。

仏教では人間をみるときに、表面上現れている姿にとどまらず、その底にある「この行動はどこから出ているのか」を徹底的に見ています。

表面的には、行動パターンが全く違う、かけはなれたタイプの人がいるように見えます。
目の前のいろんな誘惑…マンガ、ゲーム、お菓子、こういうのにすぐひっぱられてハマってしまう行動
どんな誘惑が周囲にあっても目もくれずに、仕事、勉強、作業と自分のやるべきことにバリバリ取り組むという行動
一見、相反するように見える行動ですね。
だけどその行動を掘り下げていくと、その出所は全く同じで、これらは「欲」の「現れ方」が異なるだけなのだと仏教では教えます。

私たちが「かけ離れている行動パターン」と思えるものは、欲望の現れ方が大きく異なっているに過ぎないということです。
逆に言えば「欲」というものはそれだけ、非常に多様な現れ方をするものだと言えます。
「欲」といったらとてもシンプルな人間の心のようですけど、実に複雑多様な、いろんな現れ方をするのですね。

まず、「どんな欲を満たしたいのか」という、その欲の対象が人それぞれだいぶ違いますよね。

とにかく楽に生きたい、出来るだけ寝ていたいというのも、楽と睡眠を求める睡眠欲です。

美味しいもの、珍しいもの、沢山のものを食べたい、飲みたいという食欲

いつでも恋愛をしていたい、いい男、いい女を求めることにこそ燃えられる、これは色を求める色欲と言われるものです。

他人から尊敬されたい、立派だと思われたい、嫌われたくないのが名誉欲

稼ぎたい、通帳の額が増えることがとにかく楽しみでならない、金銭や物を求める財欲

ざっくり分けるとその対象は5つあると言われ、これを「五欲」といいます。
もちろんこれはざっくりとした分け方ですから、同じ食欲と言っても、財欲と言っても、名誉欲と言ってもそれぞれまた非常に多様です。

特に名誉欲って、複雑だなと思うのですね。
「他人から良く思われたい」と言っても、具体的にどのように思われたいかというのは人によって全然違いますね。

小学校の教室なんかを見ると、名誉欲の現れ方の違いがとても際だっています。
先生が「この問題、分かる人」と生徒たちに問いかけられると、そのリアクションは実にさまざまですよね。

・「あ、この答えわかる!」と、必死に手を上げて、自分に言わせてくれとせがむ子供。
・反対に「やば、分からない…当てられませんように…」と、先生と目が合わないようにと下を向く子供。
・中には、答えが分からないのにとにかく手を上げる、という面白い子もいます。
・また、答えをよく知っているのだけど手を上げない、なんだか奥ゆかしい子供もいます。

この4通り、いずれも名誉欲ですよね。
最後の、答えを知っていても手を上げないという「控えめ」な行動も、
「でしゃばりと思われたくない」とか
「控えめな謙虚な人と思われたい」とか
「こんな程度の問い、手を上げるまでもないという余裕を見せたい」とか
何かしら「こう思われたい、思われたくない」という名誉欲が働いてのことでしょう。
一見相反するような行動が、同じ名誉欲から出ているというのだから、面白いものです。

ジワジワ満たしてゆく道

欲の心が向く「対象」は、人によって人によって様々ですが、その「満たし方」に注目しても、大きな違いがあります。

欲しいものを、とにかく速攻で手に入れたいというのが多くの場合ですけど、あえてじらして、少しずつジワジワ手に入れていくことを好む場合もあります。

レストランで「コース」を注文することは、そうしょっちゅうはないのですけど、たまにこれを経験すると、「ジワジワ満たしていく」ことの良さを実感しますね。

普通にトンカツ定食を注文すれば、しょっぱなからメインのとんかつにかぶりついて、一気に最高の快楽を満たすことができます。
だけどコースだと、しょっぱなからステーキとか出てこないですよね。
まずは前菜から、少しずつボリュームのあるものになっていき、いい感じのタイミングで、「本日のメインディッシュ」が目の前に現れるわけです。
メインとして求めるものを満たしてしまうまでに、段階的にジワジワと満たされていく過程を味わう幸せもまた、奥深いものがあります。

一気に満たしてしまうのか、ジワジワと長期的に満たしていくのか、この「満たし方」もまた、人それぞれ大きく違います。

欲は、その「対象」も「満たし方」も、人それぞれ実に多様であるため、みんな、全く異なる性質を持っているように見えます。
だけど、対象や現れ方は違えど、欲に違いはありません。
「自分の欲をどこどこまでも満たしたい」
万人に共通して奥底に潜んでいるのはこの心です。

この本質から言えば、一見とてもストイックで色んなことを我慢して努力し続けるというのも、この欲の一つの現れ方であるといえます。
すぐに、安易に手に入るもので欲を満たそうとはしていない。
もっと長期的に求め続けて得られるものを、ジワジワと満たしてゆく道を歩んでいるということです。

長期的に、ジワジワと手に入れて満たしていく。

この欲の満たし方を知ると、その喜びや楽しみが、短期的に得られるそれよりもずっと奥深いものだと分かります。
また「次」のより大きく満たされる可能性にもつながるものだということも分かります。

苦労は伴う、またすぐには満たせない。
だけど、その分、ジワジワと近づいてゆく充実感を味わえるし、その求める過程で身につけたものが、次のさらなる大きな可能性にもつながる。
つまり、より長く、継続的に自分を満たし続けられる道だということです。

同じ「欲を満たす」でも、お金に物を言わせて短期的に満たしたり、ネットゲームなどで手軽に満たしたりする満たし方と、大きな違いがあります。

その味を知り、その味をこそ追求したいとなってゆき、欲のそういう満たし方をする習慣がついてくるのです。
そんな人を外から見れば、「ストイックな人」「我慢強い人」というように評価されるということです。

だけどそれもやっぱり欲に違いはありません。
だから、満たしても、満たしても、もっと、もっととキリなく求め続ける点は、短期的な楽しみと同じです。

底のない欲を満たそうとしている、という本質は同じです。

ジワジワ満たした方が面白いんじゃないか

苦労して努力する道を歩むというのは、別に「欲」から離れる道ではないのですね。
欲の満たし方が変わるだけ。
ジワジワと満たす楽しみ、次への可能性を広げる営み、そういうものを含めた欲の満たし方をしているということです。
手軽に、いきなりメインディッシュにかぶりつくのではなく、コース料理を楽しむというのに似ているかもしれません。

だから、もし自分が短期的な欲に流されてしまうタイプだと思うなら、長期的に努力する人が全く自分とかけ離れた存在だと思うことはないのです。
「欲を満たしたい」という点では、全く同じなのです。

そして、「そういう満たし方もあるのだな」ということを知れば、それは自分の価値観と相反するものでもありません。
個人差はあるでしょうけど、きっとだれでもそういうジワジワと長期的に手に入れていくという満たし方もしたことはあるはずです。
そして、そうやって満たしたものは、きっと今でも自分の糧となり、自分の可能性を広げる土台となっているはずです。

もし、「すぐに欲に流され、負けてしまう自分をなんとかしたい」というなら、もうちょっとだけ、ジワジワ満たす価値を味わってみようとすればよいのですね。
別に「欲から離れなきゃいけない」という話ではないのです。
ただ、欲の満たし方を変えるだけ。違った欲の満たし方を取り入れていくだけ。

「ジワジワと手に入れた方が面白いんじゃないか」

時々これを、自分に言い聞かせてみるといいですね。
そういう価値観を少しずつ取り入れていくことが出来れば、無理なく、大きな結果を手に入れられる体質を身に備えてゆけるでしょう。

人間の本質を踏まえることで、無理なく理想を叶える道が開けるのです。

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