現実をコントロールする達人になる秘訣〜「因果」という仕組み〜

秘訣は、仕組みを熟知すること

大阪の実家に、「プレイステーションクラシック」というゲーム機が置いてありました。
最近、父が購入したものらしい。
年末年始、帰省した時にちょっと遊んだのですけど。

これは、初代プレイステーションの、代表的なゲーム20個が内蔵されているゲーム機です。

さすがに20全部はやれなかったのですが、それでも「できるだけ多くの種類をやってみよう」と思って、色々遊んでみました。

シューティング系
ロールプレイング系
格闘系
サバイバル系
などなど、いろんなジャンルがバランスよく含まれているものでした。

ただ、私の悪い癖ということでもあるのですが、
始めてプレイするゲームなのに、あんまりじっくりと操作方法を確認せずに、とにかく「始めて」しまうのですね。
すると、これがなかなか思い通りにプレイできないのです。

たとえばサバイバル系のゲームで、
どのボタンを押せば「攻撃」ができるのか。
どのボタンを押せば「しゃがむ」という動きになるのか。
どのボタンで銃を構えることができるのか。

そういうゲームの仕組みを熟知していてこそ、それらの性能を存分に発揮して楽しめるのに。
それがまたせっかちな性格なもので、中途半端な知識で「とりあえず」始めてしまうのですね。
するとやっぱり思うようにゲームを進められず、案の定、すぐにゲームオーバーになってしまう…

やっぱり、そのゲームのルールをよく理解して、操作方法が自分の中にしっかり馴染んでこそ、思い通りにゲームを展開させていけるわけですね。
面倒がって、そういう基本ルール知識を疎かにして、「とにかく興味の赴くままにプレイする」では、結局楽しめない。

まずは仕組みを熟知すること。
どんなことでも、これを疎かにしては楽しむことはできません。

スポーツでもそうだし、仕事でもそうですね。
このブログ作成という作業についても、1、2冊ぐらいの本を読んで、ブログのなんたるかの理解とブログ作成の基本知識を入れることにしばらく努めてから、始めました。
(正直、もうちょっと勉強し直したいなと思い始めています)
それでなんとか、記事をアップし続けて、少しずつ読んでくださる方も増えてきて、楽しみながら進められています。

「ゲーム」の仕組み、「スポーツ」の仕組み、「仕事」の仕組み、「ブログ」の仕組み…
いろんな仕組みについての知識があり、それぞれの人が自分に必要な知識を取り入れて、それを活かして活動していることでしょう。

さらに、「物理科学」の仕組み、「法律」の仕組み、「経済」の仕組み、「健康」の仕組み
それぞれの分野で活躍する人たちには、これらの知識も必須となることでしょう。
これらの分野の仕組みの解明は、それが一つの「学問体系」となって、多くの人の学びの対象となっています。
その仕組みを知り、活用できることになることが一つの「資格」となって社会的に認められるものもありますね。

医者、法律家、トレーナー、科学者…
これらの人はそれぞれの分野の仕組みに精通したプロフェッショナルたちです。

さて、それら、あまたある分野についての仕組みがある中にあって、
より根本的に、「人生そのもの」の仕組みに向き合い、解明しているのが「哲学」と言うこともできるでしょう。

「人生そのものの」仕組みという課題

仏教では色々な「仕組み」のことを「因果」と言って、
どんなことも「因果」の法則によって成り立っていると教えます。
「因果」は文字通り「原因」と「結果」ということで、どんな分野のどんな事でも、「結果には必ず原因がある」という法則です。
「原因」のない、固有の独立した「結果」などというものは一切無い。
これが因果の法則とか因果の道理と言われるものです。

このことは、私達が「当たり前の前提」として認識していることですね。
「必ず何かしらの原因がある」
ということを前提としているからこそ、色んな事に「なぜ?」という疑問や好奇心が出てくるわけです。

「原因」の存在を大前提として、「なぜ?」と問う。
あの有名な、「ニュートンが、『木からりんごが落ちた』ことに『なぜ?』と問うた」というエピソードのように。

学問の探求の根本はここにあります。
その答えを見つけるところに、達成感があり、喜びがあり、そして新たな可能性への第一歩があるのですね。

「原因」の存在を大前提に据える。
このことがなければ、「学問の発達」そのものが危ぶまれます。
もし、私達が「なぜ?」と問うた時に、
「あ、それについての原因は『無い』から」
なんてことになったら、そこで思考は止まらざるを得ません。

人間は、人類発祥以来この「原因」の探求をあらゆる分野でし続けてこの世の様々な分野を解明し続けてきました。
もちろんまだまだ、未知の仕組みはいくらでもあります。
人類が続く限り、どこまで出来るか分かりませんが、仕組みの探求は続けられることでしょう。

さて、そうした中で「哲学」が問題としている
「人生そのもの」の因果とはどういうことなのか。

ちょっと、こんな場面を想像してみてください。
あるビルに入ってエレベーターに乗ったところが、そのエレベーターが途中で止まってしまった。
そして、約1時間、エレベーターから出られなくなってしまい、ひどい目にあってしまった。
こんな出来事に遭遇した場合に
「なぜエレベーターが止まったのか」
という「原因」が問題になりますね。

電気の供給がストップしてしまったのか。
エレベーターのどこかが故障してしまったのか。
間違って緊急停止のボタンを誰かが押してしまったのか。
建物の老朽化なのか。

色々な原因を探ることができます。
そして、その原因を突き止めたということがきっとあるでしょう。
(もしかしたら、どうしても原因が分からず、迷宮入り事件になってしまう可能性もありますが)
そして今後、そういうことを防ぐための対策がビルのメンテナンスの課題としてなされるはずです。

され、それはそれで良いのですが…
その停止してしまったエレベーターに乗った人の身になって考えて欲しいのですが。
先程挙げたような原因の解明がなされたとして、今後の対策もバッチリと取られた。

それでもなお、その人にはモヤモヤしたものが残らないでしょうか。
どれだけエレベーター停止についての原因が解明されても、残るある種の「モヤモヤ」があります。

それは、
「どうして私の乗ったエレベーターが…」
このモヤモヤです。

そのエレベーターは、人通りが多いビルであれば、一日に何回も登り降りしていることでしょう。
そういうことが毎日毎日繰り返されて、そこに何百人、何千人の人が乗って利用しています。
そんな中にあって、よりによって私が乗った時に、そのエレベーターは停止してしまった。
そして、1時間も足止めをくらい、大きなストレスを受けるハメになってしまった。

なぜ私が、この故障の被害を引き受けることになってしまったのか…
このモヤモヤに対しては「運が悪かった」と言う他ないのでしょうか。

エレベーターの1時間停止ぐらいならまだいいのかもしれませんが、もっとひどいことに巻き込まれることだってあります。
車の衝突事故、電車の脱線事故、飛行機の墜落事故、通り魔事件…
それらの事故や事件の発生にも、それぞれに原因があり、その都度解明されて対策が取られることでしょう。

しかし当事者からすれば、そんな事後処理がどれだけなされても残るモヤモヤが
「なぜ私が…」
あるいは
「なぜ私の家族が…」
というモヤモヤです。

そしてこの「原因」の解明だけは、人類発祥以来何万年たってなお、私達一人に残されている課題だと言えます。

「なぜ私がこういう目に遭うのか」
「なぜ私にこういう結果が起きるのか」

そんな「私の人生そのもの」の結果に対する原因という謎です。

「人生を動かす」名プレイヤーとは

「運が良かった」
「運が悪かった」
という言葉がありますが、この「運」というのは、いわゆる「運命」ということでしょう。

ここで問題になるのは、「その『運命』はどんな原因で私に引き起こったのか」ということです。
一人一人の人生で展開されていく様々な「運命」
それら一つ一つにも、必ず原因がある
と説くのが仏教です。
どんな小さなことでも、必ず私の「運命」という結果には、それ相応の原因があるということです。
これが、仏教が説く因果の道理です。

それを知るということが、まさしく「人生そのもの」の仕組みを知るということです。
そして、この仕組みを知らなければ、自分の運命をコントロールしようがありません。
ちょうど、ゲームの操作方法を知らず、思い通りにプレイしてゲームを望み通りに進展させていくことはできないようなものです。

「ああ、このゲーム、こういう仕組みになっているのか」
という仕組みの理解を十分にして、それが身についてこそ、ゲームを存分に楽しむことができます。

私の人生に展開されてゆく「運命」の仕組みはどうなっているのか。
その仕組みについて十分に理解し、それを私の感覚レベルまで落とし込んでこそ、存分に人生を楽しむことができます。

その仕組みを最もシンプルに教えている言葉が「自業自得」という言葉です。
「自分が受ける運命(自得)」
それはどんな仕組みが生み出されるのか?
何が生み出しているのか?

その答えが、「自業」です。
「自らの業(ごう)」が全ての自分の運命を引き起こしているのですよ。
これが、仏教が教える「人生そのもの」の仕組みについての答えです。

「業」というのは「行為」という意味です。
自分の行為は、全て、100%、自分が受ける運命と対応している。
これが自業自得ということですが、このことをどれだけ理解し、自分の中に感覚レベルで落とし込めているかどうかは、非常に個人差があります。

あの人がああしてくれたら…
この会社がこうなってくれたら…
政治がもっと良くなったら…
宝くじが当たったら…

そんな「自業」以外のことばかりに思いを馳せて、「人生が良くならないか…」と思っていても、現実が動くことは期待できません。
(もちろん、それまでにあなたが行動を積み重ねていたならば、その結果を期待することはできますが)

自分の人生をコントロールする人は、
誰が何をしようとも、世の中がどうであろうとも、
自分の行為以外に自分の運命を生み出す種は無い
ということを理解している人です。

だから常に
「私に何ができるか」
を考えます。

どんな時も、自分の運命をコントロールする要素に一点集中して考え、実践してゆく。
そんな人生の名プレイヤーになる第一歩は、「人生そのものの」仕組みである自業自得を熟知することだと言えます。

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