ピンチを制し人生を制する必勝法~窮地の中にも「活路」が開ける確信~

「おれは困ったの一言は吐かない」

長州藩の志士に高杉晋作という男がいましたが、とても有名ですね。
幕末の志士の中でも特に人気のある一人で、
とにかく「男としてカッコいい」と多くの人を惹きつけています。

彼は「ピンチに強い男」との定評がありまして、幾度となく危機を切り抜けて、激動の世をたくましく生き、明治維新に大きく貢献したのでした。

そんな彼の名言の一つがこれです。

「人間、窮地におちいるのはよい。
意外な方角に活路が見出だせるからだ。
しかし、死地におちいれば、
それでおしまいだ。
だから、おれは困ったの一言は吐かない。」

何度も「窮地」に陥りながらもそれを切り抜けて生きてきたことが、よく分かりますね。

激動の幕末の世でなくても、私達は生きていれば、いろんな「窮地」に遭遇してしまいます。
仕事の場面でも、家庭の場面でも、予想外のトラブルや、難題が降りかかることは誰もが経験していることですね。
それは決して歓迎できないもので、出来ればそういうことを避けて平和に生きていきたいのですが、そうもいかないのが人生のようです。

仏教では私達が生きる世界を
「火宅無常の世界」
と言われます。
「無常」とは「常は無い」ということで、「平和」という安定はいつまでも続かないということです。
だから、いつ、どんなトラブルや予想外の事態が起きるとも知れない「不安」と隣合わせなのが私達が生きる世界だと言えます。
それを「火のついた家」にたとえて「火宅」と言われています。

そんな「火宅無常の世界」を生きる私達にとって、「窮地」をすべて避け通して生きるという人生プランは、針の穴を通すような困難を極める道と言わざるを得ません。
また仮に、「窮地」を避け通すことができたとしても、いつ起きるともしれない恐れにビクビクして生きなければなりません。

確かに「窮地」を避けられるに越したことはありませんが、どこかで遭遇する覚悟は持って生きざるをえません。
だからこそ「窮地に陥った時にどうする」という心得や対策を持つことが、「火宅無常の世界」に生きるためにとても大切なことです。

そういう対策や心得を身につけることなく、
「どうか遭遇しませんように」という100%運任せ体制
「遭遇するまい遭遇するまい」の100%逃げ腰体制
で生きていては、ずっと不安に苛まれなければなりません。

「窮地に遭ったらこうしよう」という指針を自分の中にしっかり持っていれば、必要以上に窮地を恐れることもなくなります。
高杉晋作に至っては、「窮地におちいるのはよい」と、これらを「チャンス」と捉えていました。
「窮地」=「チャンス」
これぐらいに思えるような指針が自分の中にあれば、もっと果敢に火宅無常の人生に挑んでゆけることでしょう。

そこで、「窮地」に対する高杉晋作のこの教訓を、仏教の視点から掘り下げてお話したいと思います。

あなたの「日常」は、あなたでなければ「窮地」です

「人間、窮地におちいるのはよい。
意外な方角に活路が見出だせるからだ。
しかし、死地におちいれば、
それでおしまいだ。
だから、おれは困ったの一言は吐かない。」

彼は「窮地」「死地」は全く違うと言っていますね。
紙一重のようでいて、それは雲泥の違いなのですね。
「窮地」は、むしろ良い。
「死地」は、もうおしまい。

そして、「窮地」「死地」に一転させてしまうのが、
「ああ…困った…」という、いわば思考停止状態に陥ることだと言えますね。

冷静に探り続ければ必ず、
「意外な方角に活路が見出だせる」
と、高杉晋作は言います。
「どこかに必ず活路はある」
このことを確信できるかどうかということです。
確信できていれば、その「活路」を見つけるまで探り続けるのみです。

その「思考」を止めたときに、私達の前から活路は閉ざされてしまい、「窮地」は「死地」に一転してしまいます。

そうならないためにも、
「どんな窮地にも必ず活路はある、突破口はある」
このことをよく理解することが大切です。

仏教では、「窮地」にせよ「平穏」にせよ、あらゆる「結果」には、必ず「原因」があるという「因果の道理」が説かれています。
「窮地」も「平穏」も、自分の身に起きる結果には、必ずそれを引き起こす「自分の行い」という原因があるというのが、有名な「自業自得(じごうじとく)」という教えです。
「行い」のことを「業」と言って、私達は「行い」次第で善いにせよ悪いにせよ、どんな結果をも生み出してしまいます。

どんな「行い」からこの「窮地」は現れてしまったのか…
そして
どんな「行い」が、この「窮地」を脱する「因」となるのだろうか…

これを探れば必ず、「活路」は見つかるということです。
「結果」には、必ず「原因」がある。
このシンプルな「因果」の法則を、自分の窮地に当てはめて冷静に「原因」を探ることができるかどうか、なのですね。

ちょっと、考えてみて欲しいのですが、
今、あなたが何か仕事をしているとして、その「仕事」は、あなたの「行動」の積み重ねと言うことができます。
それも「問題を解決する」という「行動」の積み重ねと言えますね。
「仕事がある」
ということは、何か解決しなければならない問題があって、その解決のための「行動」をする必要に迫られているということです。
その「行動」を積み重ねて、色々な「問題」を解決・処理していると言えます。
きっとその仕事スキルは、研修や先輩・上司の指導や経験によって培ったものでしょう。

ちょっと、想像して見てほしいのですが。

もし、あなたが今持っている「仕事スキル」無い状況で、今のあなたの「仕事に追われている」場面に放り込まれたら、
あなたはどうなるでしょう?
それは、どんな場面となるでしょう?
そう、まさに「窮地」ですよね。

今のあなたにとっては「日常」でも、今のあなたのスキルがない人が放り込まれれば、たちまち窮地に陥ります。

降りかかる数々の問題を前に、一体何をどうしたらいいのか分からない。
途方にくれてしまいます。
そんな、「仕事スキルのない人」の窮地を、もし、「仕事スキルのあるあなた」が見ていたら、どう思うでしょう?
「ああ…ああすればいいのに、こうすればいいのに…」
どれだけでも「活路」を教えることができますよね。
そんな「活路」を知らない状態からしたら、
「こんな状況、活路なんてないんじゃないか」
と思うかもしれません。
だけど、すでにその活路を知っていて、その活路を進む「スキル」を持っているあなたからすれば、「絶望」なんて、ナンセンスのはずです。

ということは「窮地」というのは、
「問題解決のための行動を知らず、そしてそれがスキル化されていない状態」
ということが出来ます。

そう、ただ「解決のための行動」を知らないだけです。
ただ、「スキル」が無いだけです。

もしその「解決のための行動」を知り、それがスキル化出来ている人からすれば、何てことない、ただの「日常の仕事」です。
「クレーム対処」を仕事にしている人って、すごいですよね。
ひっきりなしに、何本もかかってくるクレームに、一件一件応対して、対処して仕事をこなしてゆく。
これは、「クレーム対処」というスキルを持っているから出来ることですよね。

そういう経験の乏しい人からすれば、「窮地」以外の何者でもありません。「地獄」かもしれません。
だけど、スキルを持っている人からすれば、
「まずはこんな姿勢を見せて、それからこのように聞き出して、ここでよく共感して、このような言葉をかけて…」
活路に向かう道を、一歩一歩進むことができるのですね。

「窮地とはスキルの無い状態」
因果の道理から見れば、そのように捉えることもできます。

「窮地」の向こう側に見える胸踊る可能性

先程
「窮地」=「チャンス」
ということを言いましたが、もっと詳しく言うなら
「窮地」=「スキルを手に入れるチャンス」
ということですね。
「窮地」が現れたということは、自分に無いスキルが浮き彫りになったということです。
今まさに、私に新たなスキルが必要とされている状態が現れたということです。

そこで得たスキルは、同じような問題を、何度も何度も解決してくれます。
それで色んな人を救えるかもしれません。
またそれを人に教えて、人に感謝されることだってできます。
ブログか何かに書いて、多くの人に読んでもらうことができるかもしれない。

「私に問題解決のスキルが身につく」ということは、凄まじく可能性を広げることです。
そこから、ワクワクするような人生が開けてくるかもしれません。
そんな「スキル」も、「窮地」に遭うことがなければ、自分に必要性を感じることもないでしょうし、そもそもそのスキルの存在にすら気が付きません。

因果の道理を「窮地」に当てはめて理解すれば、あらゆる窮地は「チャンス」ともなります。

今は、インターネットによって色んな情報を手に入れることができます。
今の自分の窮地と似たような場面に陥っている世界中の人の中で、その活路を見出している人がたいてい、何かしらの解決法をアップしてくれています。
自分にとってのジャストミートの解答ではなくても、自分の活路を見出すヒントになるようなことを、世界の誰かが発信してくれている、そんな世の中です。

「窮地」に陥ればこそ、そういう「解決法」を求めて調べるという自分のレベルアップの行動が出て来るのですね。
「必ず活路は見つかる」この「因果」を信じて、「窮地」を「死地」にせずに、「チャンス」に変えていきたいものです。

まずは、今の「様々なスキルを持っている自分」の状態がすでに、
様々な「窮地」と言える場面に活路を見いだせている姿
だと理解するといいですね。
どんな「窮地」にも、必ず活路を見出だせるという確信の材料にできるはずです。
因果の道理は、今の日常にも、窮地の場面にも、等しく当てはまります。

この普遍の道理を知り、生活に活かせたならば、窮地あふれる火宅無常の世界をたくましく生きることができるでしょう。

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