突然に人生の「道」を見失った時、私は…〜未来を拓く「力」とは〜

「夢」を見失って先が見えなくなった数年前の事…

「不安だから、どうしても行動に踏み出せない」
この気持ちは、よく分かりますよね。
ちょうど、真っ暗闇の中では、たとえ住み慣れた部屋であっても、ずんずんと歩くことなんてできない。
ましてダッシュで駆け抜けることなってとてもできない。
「先が見えない」ことは、どうしても行動を躊躇させます。

だけどその逆も言えるのですね。
「不安だから、行動せずにいられない」
この気持ちは、分かります?
不安だからこそ、
勉強したり、仕事したり、人と会ったり、遊んだり…
今、イメージし得る限りの「行動」を精一杯せずにいられない。
それによって造られていく「道」に、希望を託さずにいられない。
そんな場合もあるのですね。
「行動をする」ことは、実は安心を得られるものです。

私事ですが、もう何年も前、まったく未来が見えなくなり、深刻な不安にかられた時期がありました。
それは、それまでずっと目指していたものがあったのですが、その道に全く望みが見えなくなってしまったのですね。

それまではその夢があったから、「自分はそこに向かって着実に進んでいる」という安心感があったのでした。
そこに向かう努力を積み重ねて、その道が望む目標に続いている感覚がありました。

だけど、色々事情がありまして、「その夢を断念せざるを得ない…」と思うに至ったのです。
その夢がもう見えなくなってしまい、突然、それまであった「道」が途絶えてしまいました。
そうするともう自分はどこに向かえばよいのやら、先が見えない。
それは、なんとも言えない「不安」でした。

その時に私はどうしたかというと、
その夢とはまた違う方面の努力に、打ち込むことにしました。
具体的には、「司法試験の勉強」に打ち込み始めました。

それまでは、法律家を目指していたわけではありませんでした。
目指す夢は、全然別の方向にありました。
だけど、その道が途絶えてしまって、その方向へは進めなくなって右往左往せざるを得なかったのですね。
その時「法律家を目指す」という事に、どれほど納得できていたかというと、正直まだまだ思う所もありました。
だけど、このモヤモヤした、どうしようもない「不安」から、とにかく解放されたかった。

その時、私の知識と経験から見出すことのできた行動がこの「司法試験の勉強」だったわけです。
それは、私が法学部出身だったこと。
そして「法律家」の道が、それまで目指していた「夢」と近いものを感じることができたからです。

ともかく、なんとか見出すことのできた「行動」を始めることで、少しずつ光が見えてきたのでした。

悔いのない行動を見つけるには

私の望む「生き方」というのは、実は子供の頃からあんまり変わっていません。
進歩がないと言うべきか、本質は変わらないと言うべきか…
「憧れる生き方」像は、本当に一貫して変わらないのですね。
みなさんも、そういう「一貫して変わらない願望」というものはあるのでしょうか?

私の場合は、この2つの要素です。
・何かしらの「スキル」を高め続ける
・常にその「スキル」を活かして活躍し続ける
とにかくこの2つを、生涯を貫いて続けたい。

まあ…これは体裁の良い「人に語れる範囲内」での願望ですけどね。

もし、さらに私に
「じゃあ、なぜそれをしたいのか?」
と問うなら、その奥にはさらなる本音が私の心の底に渦巻いていることは否定できません。
今は、そこまでは触れませんが(苦笑)

ともかく、その「スキル」に何を当てはめるかが、私にとってのテーマになるわけで、
「生涯、この力をずっと磨き続けたい」
そう思える「スキル」に出会えた時に、自分の進む道はハッキリと決まるわけですね。
自ずと、自分のなすべき「行動」も見えてきます。

あの「夢」と「道」を見失った時に、

その元来からの願望に従って、その時に選び得た「道」と「行動」が、
「法律家を目指して司法試験の勉強をする」、という行動でした。
そして、その「行動」に精一杯打ち込むことが、私にとっての救いになったわけです。

私にとっての「一番磨きたいスキル」とは違っていましたが、
それでもその「スキル」に価値は感じられたし、少し近いものも感じていましたので。
少なくとも、
自分の願望に、そんなにズレない「行動」を積み重ねている
という状況には、なることができました。
それによって、不安から解放されることも出来ました。

その「行動」を通して見えてきたことも多々ありますし、また新たな可能性が見えたりもしました。
「不安だからこそ、今の知識と経験から導き出せる限りの行動を精一杯する」
私の経験上も、これはとても理にかなっていることですね。

「リサーチ」と「実行」のタイミング

仏教では「行い」のことを「業(ごう)」と言いまして、
行い(業)には、自分の未来を拓く「力」があると説きます。
これを「業力(ごうりき)」と言われます。

「行い」の積み重ねは大きな「力」になることは、誰もがなんとなく理解していることではないかと思います。
「善い習慣」の力がどれほど力強く人生を切り開いてくれるか、
また逆に、「悪い習慣」はどれほど人生に損失をもたらしてしまうか。
「物理」でも「化学」でもない「力」ですが、人生を左右する大きな力「行動」の力なのですね。
それを仏教では「業力」と言います。

そんな「業力」を理解すればする程、自分の「願望のため積み重ねる行動」は、何よりも自分の未来に希望安心をもたらすものとなります。

だから
「不安だから行動できない」
でなく、
「不安な状況だからこそ、行動する」
なのですね。

もちろん、情報不足のために失敗はしたくありませんから、ある程度のリサーチは必要です。
情報を集めて、知識を集めて、少しでも不安を和らげる事も必要でしょう。
だけど「知識」や「情報」を頭に入れて、「知った」という事だけではどうしても限界があります。
「結局、やってみないと分からないし、手応えは十分に得られない」
という不安はどうにも拭えません。
いつまでも情報集め、知識集めの勉強ばかりに終始して、それでも不安は拭えなくて、行動に移せない。
こういう事になりがちなのですね。

ある程度までリサーチしたら、どこかの時点で「えいっ」と決断して、行動を始めることが、どうしても必要になります。
「不安が残るから行動できない」
では、実はいつまでたっても行動なんて、できません。
やはりどこかの時点で、
「この不安ごと晴らしてゆく行動をいま、始めるんだ」
という決断をしなければ現実は動いていきません。

自分の行い(業)の持つ、未来を拓く力(業力)を信じて、
自分の信念に従った「行動」という種を蒔き始めた時、本当に意味で不安は少しずつ、晴れてゆくことでしょう。