願望を100×100%満たす極意〜因果が示す道しるべ〜

古来より伝わる規格外の成功法則

昔々、狩りをしたり木の実を採集したりして生活をしている部族がいました。
ところがここしばらく、狩りがうまくいかなくて、獲物が全然とれない。
さらに木の実も採り尽くしてしまったようで、新たな収穫場を見つけることができなくて、そちらの収穫も激減してしまった。
獲物も、木の実の収穫も得られず、その部族たちは深刻な食糧不足に苛まれていました。

一方、隣にもう一つの部族がありました。
その部族は、畑を造り、田畑を造り、農耕文化を築いて安定した収穫を得て、飢餓の心配もなく生活していました。
彼らは、食料不足にあえいでいる隣の部族の惨状を見かねて、援助をしようと思い立った。

援助①
当分の間食べていけるだけの大量の作物を持っていって、与える。

援助②
一掴みの「種」を与え、農耕のやり方を教えてあげる。

さあ、どちらが食糧不足の部族を助けることになるでしょうか?
と問えば、そりゃあ②でしょうと殆どが答えることと思います。
はい、その通りですね。

①は一時的に助けること。
②は永続的に助けることになりますね。

大量の作物を与えられて、しばらく飢えを凌げるようになったとしても、「食料の調達方法が乏しい」という問題がある限りはもらった食料もやがては食べ尽くし、また食糧不足で悩まなければなりません。
これでは元の木阿弥ということになってしまいます。

だけど、少量不足で飢えている人が欲しいものはどちらか、と問えば、やっぱり「食べ物」ですよね。
ぶっちゃけ、大量の作物が欲しいわけです。
「種」が欲しいわけではありません。なぜなら「種」で腹は膨れませんから。
「大量の食べ物を手に入れて、お腹いっぱいになりたい。」
これが本音なのですね。

そんな本音にダイレクトに応えて、大量の作物を与える方が圧倒的にウケはいいでしょうね。
確実に感謝されたならば、欲しい物をダイレクトに与えるという助け方をしたほうが良いでしょう。

援助②は、なかなか大変な道ですよね。
食料不足で困っているのに、一掴みの「種」だけを与えて、しかもそれを「土に埋めなさい」と言うのですよ。
「農耕」という文化のない人たちにとっては、意味が分からないですよね。
そんなものを土に埋めても、少しも腹は膨れないのに。
さらに、土を耕したり、水を与えたりと、面倒な作業が伴って、しばらく待たなければなりません。

「そんなことよりも、今すぐ食べられる作物を与えてくれ」ということになってしまいます。

だけど、土を耕し、種を植えて、育てることで、植えた種の何十倍、何百倍もの「収穫」が得られるのですね。
この「原因」と「結果」の関係を知れば、価値観は一変します。
ただ「結果」たる大量の作物を与えられるよりも、その「結果」を生み出し続ける「原因」を知る方がはるかに価値が高いことに気がつくでしょう。
その原因さえ知れば、その後ずっと、「結果」を手に入れ続けることができるからです。
ただ「結果」を手に入れるよりも、何十倍も何百倍も、ともすれば何千倍、何万倍もの価値となります。

欲しいものは「何度でも」手にれる

このような作物の話なら、
「原因を知り、原因を造る術を身につけることが、ただ結果を得るよりもはるかに価値は高い」
ということが分かりやすいですね。
仏教では、この原因と結果の関係は、あらゆることに当てはまると教えます。
これを「因果の道理」と言います。

どんな結果にも、それ相応の原因がある。
私達が望むどんな結果にも、それを得ることに至る原因があるということです。
その原因と結果の関係を仏教では「自業自得(じごうじとく)」と教えます。
「業(ごう)」は仏教で「行い」のことを言います。
私達が望み、手に入れようと求める結果は全て、「自らの業」すなわち「私達の行い」が生み出すというのが「自業自得」ということです。
私達が望むあらゆる結果は全て「行い」という「種」から現れてくる。
これが「因果の道理」です。

ということは、私達の望むどんな結果にも、それを生み出すための「行い」という「種」があるということです。
あなたがその「行い」をすれば、あなたの望む「結果」が手に入る。
そういう「行為」と「結果」との鉄則があることを「自業自得」の道理は教えています。

私達が求めているものはもちろん「結果」ですよね。

多くの収入が入った。
素晴らしい友人ができた。
素敵な異性と仲良くなれた。
仕事で素晴らしい業績を残せた。

といった「結果」を得られたら嬉しいし、誰もがそういう「結果」を追いかけていると思います。
だけど、「その結果がその後も続いて欲しい」というのが私達の更なる本音です。
一時的に幸せな気分になれたなら、その後はずっと惨めでもかまわない…なんて、思えないですよね。

「成功を掴みたい」と言う人も、
「一時的にだけ、大金が入ればいい」とも
「しばらくの間だけ、大勢の人からちやほやされたらいい」とも、
思っていないはずです。

継続して、安心して、収入は入って欲しいし、人気は継続して欲しい。
これが切実な、私達の願いであるはずです。

長期的に成功し続けたい。
継続的にずっと私の心は満たされ続けたい。

正直な私達の願いですよね。

そんな私達の願いに対する仏教からのアドバイスは、「因果の道理」から明らかです。
「原因の方に注目しなさい」
です。

「結果」だけを追いかけるのではなく、「結果」を生み出す「原因」に焦点を当てて、
「原因を造り続けるようになること」

このことを中心に考えることです。

仏教で教える「私の欲しい結果」の「原因」は、「私の行い」でしたね。
その「行為」と「結果」の鉄則に従って、
「欲しい結果を得られる行為」を為し続けられるようになること。
これを目指せば良いということです。

そうなればちょうど、欲しい作物の種を蒔き続けて、永続的に作物が採れるように、
自分の望む結果を、何度でも何度でも、手に入れ続けることができるということです。

道理にかなう成功の極意〜スキルハンター

「結果」を生み出す特定の「行為」を継続的に為せるようになること
これを世の中では「スキルを身につける」と言います。

「スキル」とは、「特定の行為を生み出せる元」ということができますね。
「価値あるスキル」というのは、欲しい結果を生み出す行為を、継続的に為し続けられる能力です。

「スキルを手に入れる」
ある意味これこそ、最もシンプルで最も強烈な「成功法則」と言えるでしょう。
そしてそれは、「自業自得」の道理にかなったことです。

書いててちょっと思い出したんですけど、少年ジャンプの人気マンガで「ハンター✕ハンター」というのがあります。
その話の中で「幻影旅団」という盗賊が登場するんですけど、この「旅団」のメンバー一人一人が、「強すぎる」ぐらいに強くて、ほぼ無敵なんですね。
そして、彼ら一人一人が「特殊能力」を持っています。
その旅団のリーダーが「クロロ」という男なんですけど、彼の特殊能力が「盗賊の極意(スキルハンター)」というものなんです。
(そう、これが言いたかった(笑))
「盗賊の極意」と書いて「スキルハンター」と読むところが個人的には「深いなあ」と勝手に思っているんですけど。
他人の「特殊能力」を奪ってしまって、自分が使えるようになってしまうという反則的なやつです。

マンガの話ですけど、「欲しい物を盗むのではなく、スキルを盗め」という教訓のネタとしてはいいなと思っています。
(ちなみにクロロの「スキルハンター」では、奪った相手はその能力を失ってしまうので、その点は道徳的にアレなんですけど、現実の世界ではスキルを盗んでも相手は何も減りませんよね。)
「スキルを盗む」というのは、因果の道理から言ってもまさに、成功のための「極意」ですね。

他人が欲しい現実を手に入れているのなら、その結果を横取りしようと思うことは、ナンセンスに過ぎます。
そんな結果の横取りを考える思考能力を全て、
「なぜこの人はこんな結果を得ているのか」
「この人のどんな行動がこんな結果を生み出していのか」

を観察して考察することに注ぐべきです。

繰り返しますが、仏教からのアドバイスは「原因に焦点を当てよ」です。

「その人の周りにはなぜか、人が集まって、支えや援助の手が差し伸べられている。」
そんな人があなたの周りにいないでしょうか。
必ずその原因となる、その人の行為があるはずです。

周りの人に、どんな言葉をかけているのだろうか。
また逆に、話しかけられた時にその人はどんなリアクションをどんな表情でしているのだろうか。
色んな場面に、「人を引きつける行為」という原因が散りばめられているはずです。
それは紛れもなくその人の「人を引きつけるスキル」です。
意図してなのか、自然になのかは分かりませんが、その人が身につけた価値あるスキルです。
そしてその中に、私が取り入れられるものもあるはずです。

結果を他人から盗むでもなく、結果をただ追い求めるのでもなく、「スキル」に注目してスキルを手に入れる「スキルハンター」になればいいということですね。

「スキルを手に入れる」というのは、「成功」を、何度でも何度でも果たせる「元」を持つことです。
それを持っている人は、たとえ何かの失敗やら、何かの陰謀やら、時代の波やらで、手に入れたものを全て失っても、ゼロからまた成功を掴むことができるわけです。
いますよね、そういう人。
「あの人、あの事件で逮捕されたはずなのに、いつの間にかまたすごい成功を手に入れている」という人。
「スキル」を持っている人ですよ、その人は。

焦点を「結果」から「原因」に移す。
常に「原因」を探り、変動の激しい現代の中で結果を生み出し続ける人になる。
これは言うほど簡単なことではありません。
「結果」にばかり注目して、「原因をショートカットして結果を得たい」と思うのが、人間の「欲」の実態だからです。
だからこそ、常に因果の道理に目を向け、「原因」と「結果」の関係を深く理解することが、まず大切なことです。

これからも色んな角度から、因果の道理の話をお届けしていきたいと思っています。