「努力精進」を劇的に加速させる心得~「精進」と「睡眠欲」~

「結果を眺めている時間」多すぎません?

受験生として志望大学を目指していた頃に、私は何度も「模擬試験」というものを受けました。
「模試」を受けると、数日後にその「結果シート」なるものが送られて来ます。
点数、偏差値、順位、志望校に対する合格判定…
などの「結果」が数字やらA〜Eやらで表示されているシートです。

それはもう、出てしまった結果です。
何度見ても、もうその結果は変わらない。
だけど、それでもいつまでもそれを眺めてしまうのですね。
A判定が欲しかった。
せめて、B判定が欲しかった。
だけど…何度見ても、望まない「結果」が非情にも表示されている。

私達は、こういう「結果」のことばかりを考えがちなのですね。
これは模擬試験だけのことではありません。

職場で上司からどう評価されているのか、という結果。
同僚たちからどんな風に思われているのか、という結果。
自分の銀行口座の残高はいま、いくらなのか、という結果。
自分の体重はいま、どのくらいなのか、という結果。
フェイスブックの記事に「いいね」が何個ついているか、という結果。

また、「自分の結果」ばかりか、「他人の結果」もまた気になります。

同僚は、どんな風に評価されているか。
友達の年収はどのくらいなのか。
同僚の営業成績はどのくらいなのか。
友達はどんな車に乗っているのか、どんな家に住んでいるのか、どんな人と付き合っているのか。

自分であれ他人であれ、目がいくのは結果、結果、結果ばかり…

確かに、「自分の結果」に向き合うことは必要なことではあります。
だからこそ、模擬試験では「結果」を明確に突きつけてくるわけです。

ではどうして、結果に向き合って現状を認識することが大切なのでしょうか?
望ましくない結果である場合、それに向き合うなんて、苦痛でしかありません。
そんな苦痛に耐えて、自分の現状に向き合うのが大切な理由は、なんでしょうか。

「自分が何をするべきか」を見つけるためですね。

どの分野が足を引っ張っているのか…
それを探ったら、数学がかなりネックになっていることが分かる。
その数学の中でも特に図形問題が壊滅的なことになっている。

こんな風に、望ましくない結果の「原因」を探っていくことで、今、自分は何に力を入れるべきかが見えて来る。

模試の結果シートは、そういうのが分かるように作られていますよね。
教科ごとの結果はもちろん。
教科の中でも、分野ごとの得点率なども出してくれています。
今の結果に対する原因を分析するように促しているわけですね。

このシートを眺める行為の目的は、
「これから自分は、何に力を入れて努力すればよいかを明確にする」
ということ一つのはずです。

ということは、それが明確になったならば、あとは、それを「やる」だけなのですね。
それからもまだズルズルと、「ああ、あの結果が…」などと引きずっていても、あまり意味はありません。
そんな「結果」のことを考えている時間の分、ただ「前進」が停止しているだけですね。

やるべきことは明確で、あとはその「努力」に一点集中すべきなのに、
私達はついつい、必要以上に「結果」の方に何度も何度も目を向けて、前進が停止してしまいます。

「これ」を止めることで、努力は劇的に加速する

宿題でも仕事でも、やりながら時折、
「あとどのくらい残ってるのかな…」
と、「残量確認」をして、
「ああ…まだこんなに残ってる…」
と、イヤになってしまうことがあります。

よく考えるとこの「残量確認」にどんな意味があるかというと、特に意味はないのですね。
もちろん、「今のペースで、残り時間で終われるのか」を確認するためなら、意味のあることと言えるでしょう。
それは、「自分は今、ペースアップすべきなのかどうか」を知るため、「何をすべきか」を知るための現状確認となりますから。

だけど、そんな意図もなく、ただ「もうすぐ終わりであって欲しい」という願望からなんとなく「残量確認」をしているのがほとんどですよね。
しかもそれを、何度も何度もしてしまう。
これは、ただその都度「前進を停止している」だけですね。

なんとなく結果を確認するために、努力の手を止める。

ちょっとしたことのようですが、この行為がどれほど前進を妨げていることか知れません。
ただ一時手が止まる、その「時間」だけでは済まない損失がそこには発生しています。
努力には「勢い」というものがあり、「集中度合い」というものがあります。
ノンストップで「集中して」やるからこそ、その努力の勢いや質は加速してゆきます。

「気づいたら、ものすごくはかどっていた」
そんな時もありますよね。

その時の努力の質って、凄かったはずです。

「ああ、まだこんなに残ってる…」
という意味のない「残量確認」「結果確認」を何度も何度もして、ダラダラと作業を進めた時と、その質の差は大きいはずです。

なかなかそんな理想的な集中状態に入ることはできないかもしれませんが、
その「集中」を妨げる大きな要因である、「意味のない結果確認」をやめることで、相当変わってくるはずです。

「結果」をどれだけ見ても、私の結果は変わりません。
「結果」を変えるものはただ一つ、私の「行い」だけです。
これを仏教で、「自業自得(じごうじとく)」と言います。
自分の行為(自業)だけが、自分の結果(自得)をもたらす。
これが、仏教が教える道理であり鉄則です。

「結果」をジーっと見て、
「結果よ、変われ、結果よ、変われ…」と心で念じたり口で唱えたりしたら、
ズ…ズ…ズズ…
と、結果が変わり始める、なんてことありえないですよね。
そんなアホなこと、誰も信じないよと思うかもしれませんが、案外そういうことをどこかでほんのちょっと、信じているのかもしれません。

かく言う私も、ついついブログのアクセス数の確認を、けっこう何度もしてしまいます(苦笑)
自分のブログの「アクセス数確認画面」を開いて、「今日の閲覧数」という欄に目をやります。
その時の私の心は
「数字よ、上がれ、上がれ…」
と、スマホのディスプレイに向かって「念力をかけている」のですね。
そういうことをした時に限って、アクセス数は、さっきと全く変化していなかったりしますよね。
ただガッカリするだけ。
時間と、通信データ量と、神経の無駄遣いでしかありません。

そうかと思うと、他の事に一生懸命努力して、一段落して休憩しているときに、
コーヒーをすすりながらふと結果を見た時には、びっくりするぐらい数字が伸びていることもあります。

「大きな結果になっていて欲しくて、その結果を確認するために努力の手を止める。」
これは、結果を求めながらも結果から遠ざかる行為に他なりません。

結果は、結果を見ることでは変わらない。
「行為」を積み重ねることによってのみ変わる。

このシンプルな鉄則をどれほど理解しているかが、こういうところで問われてきます。

「精進」状態に没入するために

自分のやるべき「行為」が見えたら、
あとはその「行為」に、ただ一点集中。
もう「結果」など、目もくれない。
そんな状況をできるだけ多く作りたいものですね。

ああ…あの時の結果はマズかったな、と、過去の結果を思い出したり。
いま、どのくらいの数字になってるから、どのくらい作業進んでるかな、と、現在の結果を確認したり。
あの人、こんなに結果を出していて、すごいなあ、と、他人の結果を気にしてみたり。
いつか、ああなったらいいな、こうなったらいいな、と、未来の結果をなんとなく思い浮かべてみたり。

そういうことを一切忘れて、
ただ、
「今の」
「私の」
「努力という行為(原因)」
これに一点集中する時間を、どのぐらい作れるか。

これが私の結果を変える唯一といっていい方法でしょう。

人間の欲の一つに「睡眠欲」というものがありまして、これは、「楽したい」という欲です。
もっと言えば、「楽して結果だけが欲しい」という欲です。
「睡眠欲」のない人はいませんので、人から「あの人は努力家だ」と言われる人だって、持っている心です。

その心の現れがまさに、「意味のない結果のチェック」ですよね。
努力せずに、結果だけを求める心が今、発現しているというわけです。

だからこれは、誰でもやってしまうことです。
私は、「楽して結果を得たい」という心を持っている。
だから、努力の真っ最中でもなんとなく、「結果どうなってるかなー」と、欲しい結果に目を向けてしまう心がある。
この現実を自覚することが大切なことです。

仏教で教える「善」の一つに「精進(しょうじん)」と言われるものがあります。
「努力」ということですね。
「精を出して進みなさい」
ノンストップで、努力を重ねるモードに入る時間を、極力増やそう、ということです。
その「前進」を妨げるものは、他の何でもなく、自分の「睡眠欲」です。

その大敵の存在を自覚し、またそれがどんな形で自分に現れているかを知ることが、その大敵に負けずに「精進」を貫くための大切な対策です。

「意味のない結果のチェック」
これを「精進」を妨げる、自己に潜む睡眠欲の発現だと自覚することで、「精進」の質はグッと上がるはずです。