失敗しない欲の「出し方」を徹底解析~「惑い」と「摩擦」が起きる時~

欲を出すことは「失敗の元」?「成功の源泉」?

「あまり欲を出すと、失敗するぞ」
という忠告を聞くことがありますね。

この忠告は、何を意味するのだと思います?
「欲を出す」ことが失敗の元になるというわけですが、
そもそも「成功」を目指すこと自体が「欲」ですよね。

成功を目指して一生懸命努力している人の姿は、あちこちにありますが、
みんな、「欲」を出して、それを原動力に頑張っているわけですよね。

逆に「欲を出すこと」そのものに躊躇していては、何も得られるものはないわけです。
変に恥ずかしがらずに、
妙な「格好良さ」の価値観に縛られずに、
素直に自分の欲を出せるということは、一種の人間としての魅力にもなり、努力の原動力にもなります。
そう考えると「欲を出す」事に何も悪いことは無いようにも思えますね。

だけどその一方で、
欲のために失敗し、
欲のために苦しみ、
欲のために人を傷つけ
欲のために人生を棒に振っている
そんな姿があることもまた事実です。

一種の諸刃のような性質を持つ「欲」に対して無知であることは、
せっかくの原動力や魅力を出せない事にもなり、
また一方で、人生最大のリスクに暗いという事にもなります。

だからこそ
「欲を出すと、失敗する」
の意味を、よくよく掘り下げて理解する必要があります。
もっと言えば
「欲のために失敗するとは、どのようなパターンなのか」
このパターンを熟知することが大切です。

そのパターンさえよく知っていれば、
「欲を出す」事に対する不安を払拭することができます。
「こういうポイントに気をつけて、欲を出せばよいのか」
という考え方が出来るからです。

では、「欲で失敗するパターン」とは、具体的にどのようなものだと思いますか?

典型的なのは、
ギャンブルにハマって破産
クレジットカードを使いすぎて破産
身の丈に合わないローンを組んで破産
これは誰が聞いても分かる、「欲を出したことによって失敗した」パターンです。

「お金が増やせる」
「欲しいモノが手に入る」

いずれも、私達の欲が強烈に求めるものですよね。
そして、それを求めること自体は、当然のことであり、誰もがやっていることです。

この「欲」のために、
真面目に一生懸命働いたり、
新たなニーズを追求して、新たな商品を生み出したり、
新たなビジネスを模索してアイデアを生み出したり、
そんな「成功」への一歩を踏み出すわけですよね。

だけど一方でその「欲」が、
「ギャンブルにハマる」
「安易にクレジットカードでのショッピングを無計画にしてしまう」
という行動を掻き立ててしまうことがあるのですね。

同じ「欲」が、
成功への一歩を踏み出させたり、
転落への一歩を誘ってしまったり、
しているわけです。

「欲」という点では同じなのですが、この両者の違いって何なのでしょうか?
どんな「欲の出し方」が、失敗を招いているのでしょうか?

「欲」と「惑い」の失敗パターン

それは、
欲が「惑い」を起こして、因果の道理を無視して結果を得ようとしてしまっている
という事です。

欲の危うさは、実にここにあります。
「因果の道理を無視する」という惑いを、欲の心は起こしてしまうのですね。

「結果には必ず原因がある。」
これが、「因果の道理」です。文字通り、原因と結果の法則ということですね。
私達の欲が求めてやまない「結果」
それは必ずそれ相応の「原因」があってこそ得られるものです。

その原因と結果の関係を、仏教では「自業自得(じごうじとく)」と教えられるのですね。
自分が「得たい!」という結果は、それに応じた自分の「行い」という原因なしには得られない。
これが、私達の人生の原因と結果の鉄則だということです。

基本的には誰だって、このことを理解して生きているわけです。
だからこそ、勉強したり働いたり他人に気を遣ったり親切したり…
自分の「行い」を律して、より良い「行い」が出来るための努力をして、自分の「行い」にこそ、こだわるのですね。
そんな精神は多かれ少なかれ、誰だって持っているはずです。

ところが、その精神が吹っ飛んでしまう「惑い」を起こすのが「欲」なのですね。
そんな自業自得の道理をショートカットして、
絶対必要なはずの「原因」を造ることを完全に無視して、
ただ「結果」だけを「すぐに」得ようとする。
これは、「惑い」以外の何者でもありません。
ギャンブルに賭けてしまうのも、
自分の努力の積み重ねに見合わない買い物をクレジットカードでしてしまうのも、
因果の道理を無視して結果だけを得ようとしてしまう行動に他なりません。

そういう惑いを起こしてしまうものが「欲」なのですね。
本心を言えば、
「努力なんてしたくない」「面倒なことはしたくない」「楽していたい」
そして、
「素敵な結果だけは、欲しい」
これが偽らざる欲の心の実態です。
だから、そのまま欲に任せていては、「惑い」から失敗パターンへ一直線となってしまいます。
これが、「欲を出す」際に気をつけなければならないポイントです。
欲から「惑い」の行動を起こしてしまう。
これを私達は厳に警戒しておく必要があります。

そして常に、「因果の道理に則って思考する」ように習慣づけるべきなのですね。
欲が何かを求めるときに、
「因果の道理に則って、必要な原因となる行動をする」
という所へ焦点が当てられていれば、その「欲」は、成功への一歩一歩を歩むための原動力となります。
欲を出せば出すだけ、必要な行いのための行動力の源泉となります。

欲を出すことが、
失敗の元になるのか、
成功への行動力の源泉になるのか、
それは、「因果の道理に則った思考」をどれだけ深く身につけているかどうかで決まります。

欲の演出は「柳」のように…

もう一つ、欲を出すことで招く失敗のパターンが、
他人の欲と衝突や摩擦を起こしてしまう
ということです。

寒い冬に、友達と家で「鍋」をする。
こんな場面なら、みんなで一緒に欲を出しながらも、仲良く楽しく過ごすことができますね。
そうそう、お互いに摩擦を起こすようなことはないと思います。
それは、みんなで同じ欲を満たそうとしているからです。
とはいえ、もちろんこういう場面でも摩擦を起こすリスクはいくつも潜んでいますよね。
限りある量の肉を「たっぷり食べたい」という欲が全面に出過ぎると、摩擦どころか衝突が起きて喧嘩になってしまう。
これは、「欲を起こしたが故に失敗」のパターンですね。

「欲を出す」事は常に、周囲の欲との調整を伴うもの。
この事をよく心得ている人ほど、
他人との摩擦なく、周囲が喜ぶような、魅力を感じるような形で、自分の欲をどんどん出せています。
私達は「欲の出し方」を常に洗練させてゆくように心がける必要があるのですね。

このために大切なことは、自分の欲の性質を熟知している事です。
自分が最も満たしたいと思っていることはどんなことか。
それをよく知り、自覚する事です。
「どうしても譲れない。これだけは満たさないと気がすまない。」
一人ひとり、そういうこだわりがあるはずです。
それは逆に言えば、「それ以外はある程度譲れる」という事でもあります。

例えば、
「自分の実力を、周囲からちゃんと認めて欲しい」
これが自分にとっての譲れない欲だとすれば、
それさえ叶えれば、他の細かいことは譲れるという事が分かります。

多少、自分の仕事の負担が増えることがあっても、
割に合わないような面倒ごとに見舞われても、
嫌いな人と関わらなきゃいけない事が出てきても、
周囲の人が、
「やっぱりあの人は頼れる人だ」
「さすが、デキる人だ」
「紛れもない、実力者だ」
という思いを向けてくれるのなら、それで自分は満たされる。

そういうタイプの欲であることをよく自覚していれば、その欲の出し方により柔軟性が帯びてきます。
つまり「譲れる」という、他人の欲との調整の余地が増えるのですね。
そうすれば、上手に、摩擦や衝突の極力少ない形で、自分の欲を一種の「魅力」として演出しながら出す事ができるのです。
譲れない事はどんなことで、譲れる事はどんなことか。
己の欲と向き合って、己の欲を出来るだけ深く知る事は、本当に大切なことなのですね。

柳の木が、あらゆる方向からの風を受けてもゆらゆらとしなやかに動いて折れることがない。
これは、根っこがしっかりと大地に張っているからです。
そして、はゆるやかにしなるのですね。

どこに根っこを張っているのか、
どこは、枝のようにしなやかに周囲の風にまかせられるのか、
自分の「欲」にそういうポイントを定めることが出来れば、柳のようにしなやかに立つ姿が実現できます。

きっとあなたの周囲にも、そういう人がいると思うのですね。
「柳」のような姿を体現している人が。
とても柔軟に、色んなことを周囲に許せる人、譲れる人。
だけどそんな人もよくよく見れば、どこかに
「これだけは譲れない」
というこだわり、信念を持っている。
そんな、「こだわり」と「しなやかさ」のメリハリがつけられている人は、とても魅力的ですよね。

己をよく知り、「欲の出し方」をより洗練させてゆきたいものです。

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