「11次元の世界」を語る「超ひも理論」
「え、この世は11次元で出来ている…!?」
今の最先端の科学では、そんなことが語られているというのだから、驚きです。
科学雑誌ニュートン別冊シリーズの『超ひも理論と宇宙のすべてを支配する数式』を、
最近購入して読みましたが、これが面白いのですね。
この宇宙の仕組みを解き明かす理論として、いま最も有力視されているのが「超ひも理論」と呼ばれる学説だそうです。
「この世の全ては原子で出来ている」…なんて言われていたのはもう昔の話で、
今はその「原子」を構成する、もっとミクロな粒子が発見されており、それらは「素粒子」と呼ばれています。
ところが、その「素粒子」がまた、極小の「ひも」で出来ていると言われるのが、「超ひも理論」なのですね。
この宇宙は全て、「ひも」で出来ている。
なんとも奇妙な理論のように思いますが、そう仮定すると、この宇宙の仕組みの様々なことが、見事に説明できるのだそうです。
ギターは、弦を弾いて、振動させることによって音を出します。
一本の弦でも、弦を抑える位置や、弦を弾く強さなどで、様々な振動のさせ方をすることで、様々な音を奏でることができますね。
そんな、弦の振動のバラエティが、様々な音のバラエティを生み出しているように、
極小の「ひも」が、様々な振動をすることで、種々の「素粒子」の姿を現して、
それらが「物」や「光」や「エネルギー」などを作り、このダイナミックな世界を造り出している。
ギターが、弦の振動だけで無数の音を奏でるように、
「一本の『ひも』の振動」だけで、宇宙の全てを造り出してしまうという発想が、なんとも面白いですね。
そしてさらに面白いのが、
その「ひも」の振動は、私達が認識している「3次元空間」だけではなく、※「10次元空間」にも及んでいるのだと説明されているのですね。
そう考えなければ、説明がつかないのだそうです。
そう。この「超ひも理論」では「異次元空間」なるものが、大真面目に語られているのですね。
まさかの「異次元」の登場に、「ついに科学はここまで来たのか…」という衝撃を覚えずにいられません。
だけど、
「この世界は、私達が日頃、見たり聞いたり感じたりしている『3次元』空間が全てではない」
ということ、
もっとざっくり言い換えると、
「目に見えるものだけが全てではない」
ということは、
大昔から言われ続けていたことだとも言えます。
それも、「とても大切な考え方」として、いろんな場面で語られていることですよね。
見えない、聞こえない、触れられない…だけど大切なもの
私達の人生で「大切なもの」といったら、
家族、友人、お金、会社、健康、エンターテインメント…
など色々ありますが、これらは「目に見えるもの」と言えますね。
見て、聞いて、触れて、味わって…
そんな「五感」で感知できて、リアルにその存在を確かめられるものたちです。
だけど、
目にも見えない、
耳でも聞こえない、
匂いもしない、
味わうこともできない、
触れることもできない、
だけど私達にとって、とても大切なもの。
そんなものがあるとすれば、それは何でしょうか。
仏教で教えられる「業(ごう)」は、まさにそういうものと言えるでしょう。
「業」とは、仏教で「行い」のことを言います。
「行い」と聞けば、
それは、目にも見えるし、音として聞こえるものではないか、と思われるでしょう。
それはあくまで、「現在進行形でなされている行い」ですね。
「掃除をしている」という行いは、見れば分かります。
「電話で話をしている」という行いも、聞けば分かります。
「パソコンで作業をしている」という行いも、見れば分かります。
「殴り合いの喧嘩をしている」のも、見て聞いて分かるものです。
それが「為されている間」は、「見て聞いて分かる行い」という事ができます。
ところが、仏教で教えられる「業」は、「為されている間」だけで終わるものではありません。
為し終わった後も、ずーっと残り続けるものが「業」であると、仏教では教えられます。
上に挙げたような、
「何らかの『行い』を私が為した」
ということは、
「私のこれからの人生に起きる結果の『原因』を造った」
ということが出来るのですね。
業(行い)とは、私の人生に起きる様々な結果の「原因」と言えます。
「自分の言動には責任を持て」
と、よく言われますよね。
「行動する」ということは、自ら未来を切り開いてゆく「原因」を造ってゆくということに、他なりません。
その結果は自分が受けることを、私達はちゃんと覚悟していなければならないという事ですね。
さて、そんな「原因」となる「行い」をしてしまった以上、
たとえその「行い」が、すぐに何かのリターンに繋がらなくても、
たとえその「行い」が、誰にも見られていなくても、
たとえ、録画も録音もされていなくても、
その「行い」は、未来の結果を生み出す「因」として、決して消えることなく残り続けると言われます。
もちろん「残る」と言っても、「脳の中に記憶する」という事でもなく、何かの物理的な形となって残るわけでもありません。
「業力(ごうりき)」と呼ばれる、目に見えない力として、決して消えることなく残ると言われます。
これを「業力不滅」と言います。
私達は、常に色々な「行い」をしていますね。
食べなければ生きられません。「食べる」のも行いです。
朝、起きるのも、着替えるのも、働くのも、勉強するのも、喧嘩するのも、駆け込み乗車するのも、友人と語らうのも…
「昨日一日、どんな行動をしたかな?」
と考えて、私達はどれだけ思い出せるでしょうか。
記憶にはとても収まりきらない、実に多くの行いをしている事は間違いありません。
その「行い」の一つ一つが、「やったら終わりで無になる」というものではなくて、
全て、目に見えない「業力」となり、未来を生み出す「因」として残り続けているのですね。
それは、覚えていようがいまいが、関係ありません。
記憶の有無と無関係に、「行い」はすべて「業力」として残り続けます。
そして、私達が日々、様々な運命に見舞われるのはすべて、その業力が生み出している結果であると教えられます。
これを「自業自得(じごうじとく)」というのですね。
自分が造った「業」が、自分の運命を生み出してゆく、ということです。
私の中には今、いったいどんな「業力」があるのか。
それは、目に見えないものだし、音にも聞こえませんし、匂いもしませんし、触れることもできませんから、
五感で感知して確認することはできませんが、言えることは、
「自分が過去に造ったものである」ということ。
そして、
「結果となって現れれば、分かる」ということです。
あなたが見ている「世界」は…
「そんな業力なんてものが、どこにあるのか?」
「あるって言うのなら、見せてみなさい」
そんな風に訝しく思う人の、
「どこに」というのは、「この3次元空間の、どこに?」と言うのでしょうし、
「見せなさい」というのも、「私達の五感で感知出来るもの」という前提で言っているのでしょう。
だけど、
「この3次元空間に存在するものが全てではない」
「五感で感知できるものが全てではない」
この発想を持つことができなければ、本当に大切な事を見落としてしまう事になります。
「3次元空間だけでは存在は確認できないもの」
「人間の五感だけでは感知できないもの」
そういうものこそが、間違いなく私の人生に多大な影響を及ぼしている
…どころか、それらが私の人生そのものを造り出しているとも言えます。
「人生の結果」は、そんな「業」が生み出してゆくのだから。
いま、私達が見ている、聞いている、感じている「世界」だけが全てではない。
そういう視点に立ち、見えない領域にまで視野を広げることで、人生への挑み方は大きく変わります。
目に見える世界のことばかりに、翻弄される必要はありません。
それは世界のごく表面的な部分に過ぎないのだから。
周囲に翻弄されそうな時ほど、「自分の業」に一点集中すべきです。
「自分の業」にこそ、とことんこだわって、
人が見ている、いないを問わず、場面を問わず、心の中で密かに思っていることも含めて、
自分の「業」を、最も大切にしながら生きるならば、
それは、着実に「見えないタネを蒔き続けている」と言えるのですね。
「見えないタネ」の力は、凄まじく強いです。
そのタネが結果を生み出すことを、何人も妨げることはできません。
誰に邪魔されることも、ありません。
否が応でも、未来の結果を次々と生み出してゆきます。
そんな大切なタネは、「見えない領域」にあるのですね。
今の最先端の科学は、「異次元」を現実的な問題として語り始めて、
これまでとは比較にならない広い視野で「世界」をとらえ始めています。
それは私達にとっても、人生の視野を広げ、大切なものに目を向けるようシフトしてゆく良い機会と言えるでしょう。
※10次元は「空間」を表しているので「10次元空間」と言われる。それに「時間」という1次元を加えると「11次元時空」となる。