「マンネリの関係」の構造と脱却への道〜欲望の欲する「チャレンジ」〜

2種の苦痛の狭間に生きる私達

「仕事の閑散期」
というものがありますよね。

「そんなもん、ないよ」
という、常時、超忙しい会社で働いている人もいるかとは思います。
そんな人には羨ましく思える話かもしれませんが、
あるんですよね「閑散期」

「会社に行っても、あまりやることがないなあ…」
そんな状態ですね。
別にその人がいわゆる「窓際族」で、特に仕事が与えられていないわけではなくて、
社内全体、あるいは課内全体で、仕事がなくてヒマな時期ってのが、ある所はあるわけですね。

メールチェックして
パソコン内のフォルダの整理して
毎日のルーティンの作業をして
あとは、なんとか仕事を見つけて、資料の整理をしたり、マニュアルの読み直しをしたり…

そんな、極端に負荷がなさすぎる仕事状況もまた、辛いものですよね。
一言で「退屈」状態ですね。
そんな日々が続くと、毎日が苦痛になってしまう事でしょう。

一方で、「繁忙期」に入ると、始業時間からもう、全力で取り組んでも取り組んでも、
とても終わりそうにない量の仕事を抱えてしまっていて、
その上、自分のスキルでは対応しきれないようなイレギュラーが何件も発生してしまい、
周囲に頼ろうにも、周囲もみんな忙しくて、誰かに相談できる空気でもない…
過度の「ストレス」状態ですね。
そんな日々が続くと、会社に行くのが苦痛であり恐怖ですらある、危うい精神状態になってしまいますね。

「退屈」状態も、「ストレス」状態も、人間にとっては、大きな苦痛となる状態なのですね。

「退屈」というのは、言い換えると「チャレンジ」がなさすぎる状況なのですね。
だから、たとえ仕事がある程度ある状況であっても、自分の持っているスキルに対して、あまりに簡単すぎる、単純すぎる仕事をしていると、やっぱり「退屈」ですよね。
自分のスキルに見合った「チャレンジ」がない状態というのは、どんな分野においても苦痛だと言えます。

確かに
スキル>チャレンジ
これが圧倒的な差で成り立っているのは、「楽な状態」には違いありません。
「圧倒的なスキルの持ち主になって、どんな事も楽勝でこなせてしまう」
こうなれたらいいなと、どうしても思ってしまうところがあります。

だけど、どんな圧倒的スキルの持ち主になって、その有能さを誇れたとしても、
その為に「チャレンジ」が無い状況がいつまでも続くと、それはそれでだんだん辛くなってくるのですね。

生活の中で得られる「最高の心地よさ」は何か

今これを書いていて、ふと思い出した漫画が「ワンパンマン」なんですけど、知ってます?
「サイタマ」という名前の「ヒーロー」が主人公なのですけど、
この主人公、あまりにも強くなりすぎて、世に驚異をもたらすどんな強敵でも、「ワンパン(一撃)」で倒せてしまうのですね。
「ああ…またワンパンで終わってしまった…」
というつぶやきが、毎回の彼の口癖で、
「どうせまたワンパンで終わるんだろ」
と、もう完全に冷めてしまっているヒーローなんですね。

とにかく「苦戦」というものを知らないヒーロー。
ところがそんな彼が、初めて「苦戦」を強いられる回があったのですね。
「地底人」を名乗る怪人が現れて、戦闘が始まると、彼にとって衝撃的な展開が始まります。
いつものワンパンでも、敵が倒れない…!?
いつも自分はダメージゼロだったのに、強烈に重い一撃が自分の体に突き刺さる…!?
しかもそんな敵が、何体も自分に襲いかかってくる。
かつてないピンチを前に、
「なんだ…これは…!?」
「なんだ…この気持ちは…!?」
「このピンチ感、この高揚感…これだ、俺が探し求めていたのはこれなんだ…!」
そんな気持ちで、苦戦しながらも一体、一体と敵を倒してゆき、ボロボロになった頃に「ボス」が目の前に立ちはだかる。
「絶望」にも似た状況を前に、彼は不敵な笑いを浮かべて立ち向かおうとする…

と、その時、目覚し時計が鳴って、「チュンチュン…」と平和な鳥の鳴き声が聞こえてきて、
「え…夢…?」
というオチなんですけど。

あまりに「チャレンジ」のない日常が続くと、夢に見るぐらいに、自分に見合った「チャレンジ」を渇望してしまうものなのですね。
それぐらい、「チャレンジ」のない「退屈」状態は辛いということですね。

しかし、だからと言って、自分のスキルを余りに上回る「チャレンジ」が連続的にのしかかるような状況は、
逆に「ストレス」状態で、それが過度になってしまうと、これまた耐えられないぐらいの「苦痛」となります。

ある意味私達は、ちょうどいい「心地よさ」を求めて、「スキル」と「チャレンジ」のバランスを取ろうと努めていると言えるかもしれません。
「スキル」をアップさせるのか。
「チャレンジ」をアップさせるのか、又はダウンさせるのか。
これらはある程度調整することが出来るものですから。
そうやって、絶妙の心地よさを求めて、私達は生きているのですね。
そして、スキルとチャレンジのバランスが絶妙にとれている状態に入ることが出来ると、
人間は最高の心地よさを感じると言われます。
俗にこれを「フロー状態」と言うそうです。

これがまさに、人間の「欲望」がもたらす精神状態の特徴だと言えます。
なのでこれは、仕事に限らず、あらゆる人生の場面において当てはまる事なのですね。
欲望渦巻く人間にとっては、変化のない、ルーティンばかりの退屈状態は耐え難いもので、
どうしても「チャレンジ」が欲しくなります。
「非日常」「刺激」を求める、と言ってもいいでしょう。

たとえ、衣食住に不自由なく、家庭にも恵まれ、友人にも恵まれ、裕福な生活をしている
そんな毎日でも、それが「日常」となって、変化が無いと、人はそこから抜け出したくなってしまいます。
「現状」そのものに、どうしても満足が出来ないのが、底なしの「欲望」を持つ人間の実態です。
「あんなに恵まれた家庭生活の奥さんが、まさか浮気をするなんて…」
という事が決して珍しくないのも、どうしても「チャレンジ」を求めてしまう欲望の性質を知れば、頷けます。

ところが、そのチャレンジがこんどはヤバ過ぎて、重すぎて、泥沼の苦境に陥っていまうのもまた、欲望が燃え盛る人間が陥る苦悩です。

「相対的な変化に幸せを感じる」
これが欲望の特徴なので、絶妙な「チャレンジ」が与えられる「フロー」状態に最高の快感を感じるのも当然なのですね。

他人との「最高の関係」像が見えてくる

この人間の特徴をよく理解して、ほどよい「チャレンジ」を自分に課すようにして、
自分のモチベーションを維持し続ける事が大切。
という事はもちろん言えることです。

それと同時に、「他人とのいい関係を維持する」上でもこの人間の性質の理解はとても重要になります。

「尽くすタイプ」を自負して、相手にひたすら「楽になれる状態」を提供し続ける事が、良好な関係を維持する事になると思っていると…
相手からすればこれは、「チャレンジ」が無いのですね。
それが常態化した時、せっかくの「提供の精神」が、ただ「退屈」を作ってしまう事になってしまいます。
男女間であれば、先程の「裕福な家庭の奥さん」のように、浮気をされてしまうリスクにもなります。

「この人は、自分のワガママを何でも聞いてくれる」
「この人は、自分なしでは生きていけない人なんだ」
「この人はいつも、私の事を考えている人なんだ」
確かにこの事は、ものすごい「安心感」を与えてくれるて、とても心地よく感じます。
しかしその事が「日常的」にずっと続くと…
人間の欲望は本当に恐ろしいもので、「退屈」を感じて初めて、「チャレンジ」を求め始めるのですね。

これは辛辣な言い方かもしれませんが、
「相手にチャレンジの無い状態を、押し付け続けていた」
と言えるのかもしれません。

人と人とが、

人→←人

こんな風に双方に尽くし合うというのは、確かに幸せを感じられます。
最初はそれが心地よくて、「もっと、もっと、尽くせば…」という気持ちになってゆくのですが、そこに落とし穴があるのですね。
実はそれが「お互いにチャレンジの無い不健全な状態が続いている」となりかねません。

もちろん、時には向き合って尽くし合う時間がある事は大切ことでしょう。
だけど、同時にお互いがチャレンジするような関係を作ることも大切ですよね。

すごいざっくりしたイメージですが、

↑ ↑
人 人

こんな風に双方にちゃんと歩む道があってそれを大切にしている
こういう関係には、お互いに「ゆるゆる」にはなりにくく、ほどよい緊張感やチャレンジを持てますね。

ただ尽くして、お互いに「ゆるゆる」になるよりも、
ある程度の距離や緊張感のようなチャレンジをほどよく持つことが、関係を維持するための要素になるのですね。

「自分の信念に生きる人」
というのは、そういう緊張感やチャレンジを縁ある人与えやすいと言えます。
ただ「楽」を与えるだけでなく、無言のうちにも「チャレンジ」を作ってあげられるような人間が、
私達が「魅力」を感じてやまない人物像なのでしょう。

そしてそれは、努力次第で誰もが目指せるものです。

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