たくましく生きる秘訣は「一人旅」に挑むスタンス~一人一人の因縁の~

「一人旅」こそ生きる本質

「一人旅」って、したことありますか?
私も一週間ぐらいの一人旅を海外でしたことがありますが、
どこに行って、何をするかを全部、自分一人だけで決めて、一人だけで行動するわけですよね。

自由といえば自由だし、寂しいといえば寂しいのだけど、
自分の思いと自分の決めたことがそのまま「旅」となってゆく感じは、「一人旅」ならではだと思います。

あくまで「一人」で、道連れはいない。
「他人」はあくまで、その時その時の縁で「出会う」人たちなのですね。
一時的に関わりを持って、時を共にすることはあれども、ベースはやっぱり「一人」です。
だから、どんな「旅」にするかを決めるのは全部、自分一人なのですね。
そして一人で、その「旅」と向き合ってゆきます。

自分が決めなければ、誰も決めてくれない。
自分が動かないと、何も始まらない。
だけど、決めて、動いたならば、それがそのまま自分の「旅」として実現してゆく。

とは言っても、「他人」との関わりもまた、旅の醍醐味の一つには違いありません。
しかも海外ならば、言語も違いますし文化も違いますから、
日常では味わえない様々な新鮮な「出会い」を味わうことができますね。
刺激を受け、影響を受け、また逆に影響を与えて、他人との様々な心の通い合いをすることは、「旅」そのものをとても豊かなものにしてくれます。
ですが、そんな一時的な「縁」はあれども、やがては別れなければなりません。一人旅ですから。
そしてまた別のところで別の出会いがあり、そしてまた別れがある。
そんな繰り返しを、たった一人で何度も何度もしてゆく。
そうして、楽しみもあれば、しんどいことや不安なこともある、トラブルも発見や学びもある、
そんな経験を、決断と行動を繰り返しながら味わって、進んでゆくものが「一人旅」なのですね。

私達一人一人の「人生」も、本質的には「一人旅」です。
「家族旅行」でもなければ、「新婚旅行」でもなければ、「友達同士での旅行」でもありません。
また、リゾートでも慰安でもありません。
険しくもダイナミックな道を、絶えること無く進んでゆく「一人旅」です。

人生だけは「道連れ」が出来ない

「人生」「旅」であることは、わりとみんな共感することですね。
生きている限りは、必ず「明日」はやってきます。
「あし〜たがある〜さ明日がある〜♪」
なんて歌われるように、今日がどんな日であったとしても、命がありさえすれば、
その「今日の日」は終わり、「明日という日」がやってきます。
「日」なんて、考えてみれば地球が一回転しただけの単なる一区切りなのですが、
それでも「明日が来る」というのは、「新たな展開」という感がして希望を感じさせてくれますね。
「昼」と「夜」が交互に訪れるというこの環境は、気持ちを切り替えて前へ進むためにはとても大切な気がします。

そうして、新たな日、新たな日が展開してゆくことがまた、「旅」のようですね。
処を変え、場所を変えて、景色がどんどん変わって、どこかへと進んでゆく「旅」と通ずるところです。
今日という日に対して、色々と反省もある、後悔もある、辛い思いもあった。
だけどもう今日の日は過ぎてゆく。さあ、明日だ、また明日を生きよう。
そんな感じで、「人生」という「旅」は、絶えず展開してゆくのですね。

だけどあくまでそれは「一人旅」です。

やけに「一人旅」にこだわっているようではありますが…
私は家族で生活しています。
私は恋人と同棲しています。
私は仲間と一緒に事業に打ち込んでいます。
私は愉快な友達とワイワイ楽しく過ごしています。
などなど、「縁」は様々あるかもしれませんが、
だからといってそれで、人生の旅が「家族旅行」や「修学旅行」のような「ご一行様」とは、ならないということです。

なぜなら、未来の人生の結果を造ってゆくのはあくまで、「自分自身の行い」以外にはないからです。
自らの心で決めて、自らで行動を起こしてゆく、その自分の「行い」だけが、自分の未来を造ってゆくのですね。
他の誰の「行い」も、私の未来を造ってはくれません。
このことを「自業自得(じごうじとく)」と言います。

「自業(じごう)」とは、「自分の行い」であり、「他人の行い」はその代わりにはなり得ません。
「自分だけの行い」こそが、自分未来への「種」となるのですね。

「自得(じとく)」とは、「自分の結果」です。
「結果」とは一人一人の問題であり、自分と他人とは、決して同じ結果にはなりません。

たとえ、同じ場所で同じ場面に何人かで遭遇していても、一人一人、「同じ結果」を受けているなどとは言えません。
一人一人が「自分だけの結果」を受けているのが現実です。

たとえば、
友達と一緒に学校でいたずらをして、それがバレて、一緒に先生から叱られた。
そんな時、一人で叱られている時よりも
「友達と一緒に叱られている」
という一種の絆みたいなものを感じて、
「独りじゃない」
という感覚を覚えることはあると思います。

だけど本当は、一人一人がそれぞれに、その叱責を受け取っているのですね。
なぜなら、同じ「いたずらをした」といっても、友達みんなが全く同じ行いをしたわけじゃありませんから。
実行役、アイデア役、見張り役…
みたいな分担もあったでしょうし、同じ役割を担ったとしても、行いそのものはやはり違います。
つまり、「業」が違うということです。
そもそも、そのいたずらをするまでに至る、それまでの子どもたちの「業」もまた、全然違います。
それぞれ違った「業」を持って、先生からの叱責を受けているわけですから。
同じ「先生の叱責」という「縁」にあっていても、やはりそれぞれ違った結果を受けているのですね。

表面上「一緒だ」と思える場面も、本当はそれぞれが違った世界で、違った結果を受けているのが実態です。

「一人旅」は、お互い様

「人生は一人旅」と聞けば、寂しい感じがするでしょうか。
いや実際に、そうです。
本当は、他人と心を通わせたい一杯ですし、誰かに自分を理解していて欲しい。
そんな、他人との繋がりを求める「愛欲」に満ちているのが人間ですから、
「たった一人の旅」なんて、本当は寂しくて仕方がないのですね。

だけど、
「他人と心を通わせたい」
という「愛欲」は、本心から満たされることはないのが現実で、
どうあっても人生は「一人旅」とならざるを得ない。
一人一人が、そんな寂しさの中で生きているのが真実です。

けれどそれは、自分だけのことではありません。
この世に生きている皆がそれぞれ、「寂しい一人旅」の現実で、精一杯生きている。
そういう意味では、そこに「お互い様」という共通点を見出すことができます。

私も一人旅。
あなたも一人旅。

だけど、そんな「一人旅」同士がこうして出会って、いま「縁」を持っている。
もちろんそれは「しばらく」の縁です。
そして、「しばらく」だからこそ、その「縁」の中でお互い、精一杯の「行動」を、それぞれの未来のために出来るのですね。
それが、一人一人の人生の「因縁」となって、明日を生み出してゆきます。

ベースは「一人旅」
常に自分だけの「行い(業)」が、自分の未来を生み出してゆくという生き方しか、しようがありません。
だけど、一人旅にも、その時その時の「出会い」があるように、
私達の人生にも「一人旅」ながらも、様々な「縁」を持つことが出来ます。
自分と誰かとの出会いは、それぞれにとってかけがえない「縁」ですね。

「他人」と一心同体になんてなれないし、「二人旅」状態になることもできませんが、
それぞれの「一人旅」を、お互いに大切に思って、お互いに助けとなる「縁」となろうとする努力は出来るのですね。
「お互いに、因縁を大切にする」という精神こそ、そんな一人旅の人生をたくましく生き抜く土台となることでしょう。