自分の「欠点」を前に冷静になれる視点〜生き辛さの「因縁」〜

「ダメ」なのではない、ただ「都合が悪い」だけ

会社のデスクで、ディスプレイとにらめっこして、
「うーん、これはどうしよう…」
かなり対処に迷う案件に出くわしてしまって、考え込んでしまう。
色々な書類と突き合わせつつ、こう考えれば、こうして、こうして…
徐々に考えがまとまりそうで、まだまとまらない…

そんな時に、上司から「至急、この案件に取りかかって下さい」と別の指示が降りてしまう。
今考えていることは一旦保留にして、切り替えて、別の仕事にかからなきゃいけなくなる。

この「切り替え」が私は、とても苦手、というか、とても気持ちが悪いと感じてしまう方なんですね。
こういう「切り替え」の得手不得手には個人差がありそうですね。

割と上手に割り切れて
「じゃあ、一旦保留にしておこう」
と、一度それらの関係書類をしまいこんで、今必要とされている仕事へとまた没頭してゆける。
そんな人もいると思います。

正直、こういう人すごいなと思います。
私の場合は、指示に従って他の仕事に取り掛かりながらも、ついつい頭のどこかでさっきまでの案件がチラついてしまいます。
「ああ…続きをやりたいな。せめて、見通しがつくところまでやりたいな…」
そんなことを考えてしまいます。
そして、こっそりと、さっきの書類を出してきて…
いやいや、だめでしょう、て話ですよね。

切り替えが悪くて、一つのことを保留にして別のことに取り組むのが気持ち悪くてたまらない。
これは私の「性格」なのでしょうね。
会社で仕事をするときに、これに悩まされることが多くあります。
そんなことでは、会社から求められている仕事をしっかりこなせないのは分かっているので、少しずつ改善中というところです。

だけどこれ、「欠点」なのかというと、この性質が逆に強みになる場面だってあるわけですね。
「一つのことをやり遂げる」
ことに対しては、この性格上、かなりこだわりを持つことができる方だと思います。

これは、自分が「本当にやりたいこと」を、どこどこまでも貫くためには、とても大切な性質だと思っています。

ただその性質が、今の会社の今の立場という「縁」の中にいる時に、少々都合が悪いということなのですね。
「一つのことを保留にして、別の作業に切り替えてかかる」を割り切ってやれないと、この会社で高い評価をもらうにおいては不利でしょう。

これはただ、
「この縁の中では都合が悪い」
という、ただそれだけのことです。

何も
「こんな切り替えの悪い自分は、ダメだ」
なんて思う必要は全くありません。
ただ
「こんな切り替えが悪いと、
この縁の中ではちょっと苦労するな…
この会社での貢献度合いが落ちてしまうな…」
まあそんな所ですよね。

だけど、この性質は武器にもなる。
別にそれを否定する必要も無くする必要もない。

ただ、この「縁」の中にいる間はもうちょっとセーブできるように努力してみよう。
こんな結論に至るわけですね。

生き辛さの因縁を観察すれば

仏教では、どんな「結果」にもそれを引き起こす「原因」があるという「因果の道理」が教えられています。
ただ、この「原因」「結果」になる時に重要な要素として「縁」というものが教えられているのですね。

そして、その「縁」次第で、同じ「因」を持っていても「結果」が変わってしまうことがあります。

同じ作物の「種」があっても、「じゃがいも」「白菜」「さとうきび」「れんこん」などなど、それぞれの種によって、
どんな気温だと育ちやすいか、
どんな湿度が適しているか
どんな性質の土壌があうのか
「適した環境」というものはそれぞれ異なります。
それぞれの「因」にふさわしい「縁」というものがあるわけですね。

こういう「縁」の要素が、因果の道理をかなり複雑にします。

私達が、人生を切り開いていくための「因」は、「行動」に当たります。
私のする「行い」が「因」となって、私の人生の結果を切り開いてゆくこととなります。
ただそこに「縁」という重要な要素が入ってくるということですね。

今、自分はどんな「縁」の中にいるのか。
それによって、どんな行動をするのが自分の望む結果をもたらすかは、当然変わってきます。

私達の生活上には、本当に様々な「縁」が入り乱れてきます。
「会社」という「縁」の中で働く場合は特に複雑です。
その「会社」の中でも、「上司」「同僚」「部下」それぞれの縁によって、要求される行動はまた違ってきます。
それを見極められないと、苦労することになってしまいます。
そういった、「縁」を見極めて、それにふさわしい行動ができる人は、世渡りが上手と言うことができますね。

ちょうど、気温や湿度や土壌を見極めて、蒔くべき種を上手く選べるようなものです。
とても効率の良い実りが見込まれます。

どんな土壌であろうと気温であろうと、私はこの「種」が蒔きたいのだ。
そこにあまりにこだわると、けっこう苦労します。
自分の「行動」に対する強いこだわりのあまり、周りとの摩擦を起こしてしまうことがありますね。
こういう人は、基本的に世渡りは苦手ではないかと思います。

けれど、「どちらが善い、悪い」という話ではありません。
ただ、世渡りの苦労が少なくなるか、ちょっと苦労するハメになるか、それが変わってくるということです。
「世渡り下手でもいい」
のであれば、別に「縁」にそぐわない行動を貫くことも、一つの生き方です。
もちろん、あまりに周りに迷惑をかけることは、考えものですが…

世渡り下手で、苦労することが多くなっても、それでも私はこの「行動」にこだわりたい。
そして、その行動の先にある現実に向かって、まっしぐらに進みたい。
そういう「こだわり」を重視するか

周りとの摩擦や衝突は極力避けたいし、極力ストレス無く生きたい。
自分は空気を読むのが得意だし、そうやって周りに「合わせられる」ことに自分の特性があると思っている。
だから、「縁」によって、上手に「行動」を適合させる生き方を大切にしたい。
そういう「調和」を重視するか

これは0か100かという話ではありません。
誰もがこのバランスの中で調整を求められているというものです。

ちなみに一番理想なのは、自分のこだわりの「行動」を貫ける「縁」を選んで生きることでしょうね。
これが一番ストレス無く、そして自分の悔いの無い人生を築いていきやすいでしょう。

そうはいっても、何もかも理想通り選べるわけではないので、どこかで
「行動のこだわり」と、「縁との調和」とで、バランスを取ることにはなるでしょう。

モヤモヤが晴れて冷静になれる視点

もし時折「こんな自分はダメなのかな…」という思いがよぎったときは、この構造を思い出してください。
たいがい、自分の行動が単に今の自分が触れている「縁」に適合していないだけのことですから。
この「縁」にとっては、自分の行動は「都合が悪い」だけです。
そしてそのため、ちょっと生き辛い現実が現れているということです。

「この縁の中では、今の行動では生き辛いのだな」
ということなのですね。

この実態を踏まえた上で、
「じゃあ、行動を調整してゆけるかどうか」
それとも
「縁を変えられるか」
それとも
「生き辛くても、今の縁の中で今の行動を貫くか」
という話になってきます。

私の場合だと、周りにそんなに迷惑がかからないなら、多少生き辛くなっても、自分の行動にこだわる方に傾くタイプですね。
それはやっぱり、自分の人生に後悔したくないという思いがあるから。

今の自分のいる「縁」がどうあれ、ゆずれない「行動」を積み重ねてゆくことは、最優先したいと思っています。
その上で、どれだけ今の「縁」と調和が取れるかも精一杯努力する、というスタンスです。

「因」と「縁」と「結果」の道理から物事を眺めれば、かなり現実を冷静にとらえられるようになります。

一つの「縁」の都合をまるで絶対的なルールのように思って、
ただ単に「その縁」の中で行動が適合できずに生き辛くなっているだけなのに、
「自分はダメ」だと自分や自分の人生を否定する必要は、全くありません。

冷静に、「この縁の中で生き辛くなっているな…」という「因縁」を観察すれば、そこから「今の因縁をどうする」という「選択」が見えてきます。

人生の因縁を冷静に観て、悔いのない人生を築いていきたいものですね。

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