楽しみ下手の奮闘記~トラウマ克服の因縁~

楽しみ下手のトラウマ

こないだ、生でジャズを聞けるイベントに参加しました。

とあるホステルのラウンジにて、バイオリン・チェロ・ピアノ・ヴォーカルで
織りなされる音楽を1時間ほど楽しんでゆっくりくつろげる感じのイベントでした。

とても素敵なイベントなのですが、ただ、参加するにあたって一つ、私には不安なことがありました。

実は私には、
「みんなで楽しむ系のイベントに溶け込める自信があんまりない」
という自覚がありました。

よく知っている人同士ならば、もちろん普通に楽しめるのですけど、
今回は、知っている人は1人だけ(その方はこのイベントの常連)で、ほとんど知らない人だらけの中に入っていく感じでした。
「溶け込めるかな…」という不安は、実のところありました。

普段、私は勉強会を主催していて、初めてお会いする人と接することが多々あります。
そういう場では、私が主催しているので、皆さんに楽しく有意義に過ごしてもらえるように心がけるばかりで
私が「溶け込めるかな…」なんて不安に思うことはもちろんありません。

だけど、いち参加者としてイベントに行くとなると、普段とは全然状況が違います。
ほとんど主催者側としてばかりで行っているため、参加者視点の感覚に、どうも慣れないところがあります。

何年か前に、ある音楽イベントに参加したことがあったのですが、
「場に溶け込めた」感がなかなか得られずに、なぜか自分だけが場違いのような感覚のままで終わってしまいました。
今でもその感覚はよく覚えていて、ちょっぴり苦い経験として自分の中に刻まれているのでした。
今回もちょうど、その時と同じようなシチュエーションでした。

だけど、
「いや、僕はもうあの時とは違う」
と思い、もう一度、こういうイベントに参加してみることにしました。

さてイベント当日、そのイベント会場に入った瞬間、私の中では、
「あ…、あの時もこんな感じの雰囲気だったな…」
かなりリアルにフラッシュバックが起きるのですね。

だけど私はどうしても、こういう苦手意識を克服することが必要だと思っていました。
「もっともっと、人を楽しませられる人間になりたい」
という願望はずっとあるので、私自身がこういうイベントで楽しめないのはどうなのかと。

いや、むしろ、私がもっとこういうイベントを楽しんで溶け込めるようになれば、
他人を楽しませられる幅がもっと広がるのではないかという思いもありました。

今日は、このイベントをとことん楽しもう。
そして出来れば、いち参加者として、始めて会う人たちと打ち解けられるようになろう。
そして、エンターテイナー的な要素を自分にもっと加えていこう。

「主催者側で行う勉強会のイベント」
という得意とするフィールドから一転、
「いち参加者として飛び込む楽しむ系のイベント」
という苦手意識の拭えないフィールドに、再度チャレンジすることを決意したのでした。

ここまで読んで、
「真面目か!ぜんぜん共感できない感覚!」と思われた方もいるでしょうし。
「分かる分かる。私も克服したいと思ってる…」と共感してくださる方もいるかもしれません。

どちらの方にとっても、私のこのチャレンジ記録にはきっと役に立つ発見があると思いますので、お読みいただければ幸いです。

トラウマに打ち克つ瞬間

さて、イベント会場に入った所まで、話を戻しましょう。
かつての「上手く溶け込めなかった記憶」も手伝って、明らかに私の心に緊張が走りました。
「あ…、なんか結構みんな「知っている人同士」感が強いな…。すでに一定の「輪」が出来ている感じ…」
「あ…なんだか、外国の方もいる」
「すでに僕のテンションだけ、ちょっと周りとズレてるかも…」
まさに私は、「慣れない新参者」丸出しの男だったのでした。
唯一の知人が親切に声かけてくださったことにずいぶんと救われていました。

だけど、こういう場に行けばどうしても緊張状態になってしまうことは、すでに分かっていたことでした。
なので、この「緊張が走ってしまう」事実はもう、認めてしまおうと決めていたのでした。
「緊張すまい」という意識を持つことには、あまり意味はないのですね。
というかむしろ、思えば思うほど余計に緊張するものだということは、経験上でも明らかです。

「緊張している」ということは、まあ良しとして、置いておいて、
その「緊張」を遥かに超えるぐらいに、このイベントを、音楽を、楽しめばいいんだという方針を立てていたのでした。

さて、音楽イベントが始まりました。
ピアニストと、バイオリニスト兼チェリストが位置に着く。
まずはこの2人の演奏からのスタートでした。

司会の方が挨拶し、2人の弾き手の紹介をされて、演奏が始まります。

パフォーマンスが始まった瞬間から、私に強烈に伝わってきたものがありました。
それは、司会の方、演奏家の方の、私に対して
「楽しませよう、楽しませよう」
という強い思い。
それが色んな動作を通して私に伝わってきたのでした。

明るい笑顔と、一段とテンションをあげたトーク
笑顔を浮かべながらキーボードに向かって手を動かすピアニスト
バイオリンを引いたり、チェロに持ち替えたり、軽やかな動きで次々と新たな動きを見せてくれるバイオリニスト(チェリスト)
そして、冗談混じりのMC
とても楽しげにリズムを刻みつつ、身振り手振りと明るい表情一杯で歌うヴォーカリスト

一つ一つの動作の全てに、私を
「楽しませよう、楽しませよう」
という強い気持ちが籠もっていることが、なんだか強烈に伝わってきました。

いつしか私は、その気持ちを余す所無く受け止めようと、前のめりに五感をフルに逆立てて、
そのパフォーマンスを全身で感じ取っていました。
すると、緊張の気持ちを徐々に、徐々に、
「あ…楽しいな」
「なんだか居心地いいな…」
という思いが自分の中で力強く募っていくのを感じていたのでした。
そうするといつしか、自分と同じように「楽しんでいる」周りの人たちも、自分と一体になっているような感覚を覚え始めたのでした。

そうなってようやく
「僕は、この場に受け入れられている」
を実感し始めました。
「今この場は、僕の居場所なんだ」
という感覚が芽生え始めました。

楽しみの因縁と緊張のスパイス

「楽しませよう」としてくれる奏者たちの存在は、私にとってはとても心強い「縁」だったのです。
自分の「楽しもう」の思い(因)をもって、「楽しませよう」してくれる「縁」に一点集中してアクセスする。
もともと持っている「緊張」や「緊張を感じてしまう環境」は、とりあえず良しとして、置いておいて、
「楽しみ」の因縁にフォーカスしてゆく。
そうすると、「緊張」はさておき、「楽しみ」は「楽しみ」として、高めていくことは出来るのでした。

「緊張」が無いわけではないのですね。
そうさせる「種」が私の中にある以上、それを「無くす」ことはできないでしょう。
それは、あっても良いのです。
問題は、その「緊張」に私が支配されているということ。

消すことのできない「緊張」があったとしても、「楽しい」の因縁に一点集中し、その緊張を上回るほどに気持ちが高まったならどうなるか。
たとえ「緊張」があっても、それに勝る「楽しい」があるから、もうそれに支配されてしまうことはありません。
いや、むしろその「緊張」は、募りに募った「楽しい気持ち」に絶妙の味わいを加えるスパイスにさえなってきます。

その時に気づくのですね。
「緊張」は別にあってもいい。
それがあるままで、楽しんだらいい。
そこには「楽しませよう」としてくれる強い縁があるのだから、そこに全力でアクセスしたら、自然とそうさせてくれる。
その先にあるのは、「楽しみ」と「緊張感」の織りなす、絶妙のエンターテインメントだったのです。

考えてみると、以前はその「楽しませてくれる縁」へのアクセスが弱かったのかもしれません。
自分の中の「緊張」の「種」と、また緊張させる環境とに囚われすぎて、そこに間違いなくあったはずの「楽しみの縁」を十分に活かせていなかった。
どこか、楽しみ方が中途半端だったのかもしれません。
その場にも、今回と同様に、私を全力で楽しませようとしてくれる強烈な「縁」は、あったにもかかわらず…

さて、このジャズイベントでは、素敵な「縁」と思う存分アクセスできたおかげで「この場に受け入れられている」感覚を、得ることができました。

そして演奏が終わった後、
私は、奏者の方の所にいって素直に私の感動を伝えて、興味をもった色んなことを尋ねさせてもらったり、
さらに「一緒に写真を撮ってください」と、記念写真まで撮らせていただくことができました。
「写真撮ってください」
なんて、これまでの自分だったら、ちょっと遠慮して言えないタイプの人間だったのですけど、この時は自然とそんな行動まで出ていたのでした。
今回は「そういうことをしたっていいんだ」と、素直に思えたのでした。
だって、こんなにも楽しんだのだから。
「きっと僕は、この会場で一番楽しんでいたんだ。」
本気でその時、そう思えたのでした。
「そしてそんな僕は、この場に受け入れられている。今この瞬間、ここは自分の居場所だ。」
かなりそう思うことができました。

「本当にその場の人たちが私を受け入れてくれているの?」
「本当に自分が一番楽しんでいたの?他の人たちより?」
そんなことはこの際、さほど重要ではないのですね。
そんなことを確かめようがないのだから。
「客観的にどうなのか。実際にどうなのか。」
こと他人に関しては、そんなことは確かめようがありません。

重要なことは、私が「楽しませてくれる縁」を十分に感じて、私が「この場に受け入れられている」と思えたことなのですね。
そしてその思いが、最初からあり続けた「緊張」を上回ったことでした。

こうして、私の今回のイベント参加は、成功だったと自分では思っています。
そして、自分の苦手意識の一つの克服の兆しが見えたように思いました。

このイベントのことを教えてくれて、優しく声掛けしてくださった知人に、そして奏者やスタッフの皆さんに、本当に感謝ですね。

…というわけで、楽しみ下手の、楽しみ下手による、楽しみ下手のための楽しみ方解説コンテンツ、いかがでしたでしょうか。

「真面目か!」
というツッコミも予感はしていますが、この「楽しみの因縁に一点集中」という方法は、他のいろんな苦手場面においても応用できることだと思います。

「苦手意識」の克服の、力強いツールとなることでしょう。

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