チャンスが舞い込む仕組みを解明〜「成功の因果」と「自信」〜

「なぜか」上手くいくからくり

「最近、俺、ノッて来るような気がするな…」
「私、なんか最近、キテるかも…」

そんな感覚と共に、自分の目指す方向へとまっしぐらに突き進めていて
その為に必要な人が集まってきて、物が集まってきて、アイデアが生まれてきて、情報が入ってくる。
自分の考えたこと、提案したことが、みんなから受け入れられて、順調に事が進んでいく。

なんだか、色んなものを引き寄せているような気がする…

そんな状況になったことはあるでしょうか。

時にそんな、自分でも驚くほど物事がうまくいくことがありますね。

これはいわゆる「自信にみなぎっている状態」ですね。
その「自信」に根拠があるかどうかは、実はあんまり関係がなかったりします。
「思い込み」とは恐ろしいもので、根拠なしに「必ず上手くいく」と信じられたら、
いわば「自分を信じること(=自信)」ができたら、本当に上手くいってしまう。
こういうことが、結構あるのですね。

自信にみなぎった人の行動って、非常に影響力が強いものです。
なかなかそんな人って、少ないじゃないですか。
自分の心から願っていることが、「必ず上手く行く」と確信して生きている人って、周りにどのくらいいるでしょうか。
「上手く行ったらいいな…」
「どうせ、そんな思い通りになんて行かないかなあ…」
自分の「理想」に対してそんな風に思ってしまって、結局、周りに流されて生きているような気がする…
どちらかというと、そちらのパターンの方が多いように感じます。

だからこそ、そんな中で自分の理想や願望に対して
「必ず上手くいく」と確信して行動している人の影響力は、相対的にとても強いものとなります。
その「自信」が醸し出す、その人の雰囲気、挙動、力強い目、そんな色んなものが「場」を支配して、無意識に周囲をリードしてしまう。
周囲は、知らず知らずとその「場」に巻き込まれてしまう。

こういうことが起きてくるのですね。

「現実」を生み出す心の種

「心から確信している」という「思い」の力は、絶大です。
仏教ではこのような「心の行い」のことを「意業(いごう)」と言います。
色々な「行い」の中でも、これは「目に見えない行い」なのですね。

普通の感覚だと、外界に直接影響を及ぼすような
「身体で目に見える行いをすること」

「口で周囲に聞こえるように発言をする」
といった「行動」の方が強い力を持つような気がするかもしれません。
そんな外面に現れる言動ばかりが「行い」ではありません。
外に現れずとも、心の中で「思う」こともとても重要な「行い」です。

「身体での行い」は仏教では「身業(しんごう)」といい、
「口での発言」は仏教では「口業(くごう)」といいます。
「身業」「口業」そして「意業」
これを三業(さんごう)と言いますが、いずれも私達の「行い」です。

仏教では、「自分が何か行いをする」ということに非常に重きを置きます。

自分の今の現実を造っているのは、「神」に与えられたものでもないし、「他人」が与えたものでもない。
自分の現実を造る種は、「自分の行い」に他ならない。
このことを仏教では「自業自得」と言って、この道理を繰り返し説かれています。

自分の現実が「他より与えられたもの」という感覚は、けっこう蔓延しているように思います。
天地創造の「神」を信じる考え方からすれば、まさに
「世界」も「自分」も、そして「自分の運命」も、「神」によって、与えられているものという考え方となるでしょう。

それが「神」でなくても、何かしらの外部の影響で、「世界」が、「自分」が、そして「自分の現実」が造られているという感覚は、多かれ少なかれ私達の心にもあるはずです。

仏教は、「神」はもちろん、私の現実を「何か他のものによって造られる」という考え方と全く相反するものです。
私の現実を造るものは、「私の行い」に他ならないと説きます。
だからその「行い」たる「業(ごう)」というものは、非常に大きな存在なのですね。

私の「業」が、私の現実を生み出している。
まさに「自業自得」です。

もっと言えば、
「この世界そのものが、私の業によって造られている」
と教えるのが仏教なのですね。

「神」によって世界が創造されたのでもないし。
他の何かによって、この世界が形成された、というのでもない。
「私の業が、私の世界を造っている」
これが仏教の世界観です。
このような業によって造られる世界のことを仏教では「業界(ごうかい)」と言います。

ということは、私の行い(業)の積み重ねと、あなたの行い(業)の積み重ねは当然異なりますから、
私の業が造った私の世界と、あなたの業が造ったあなたの世界とは、異なるということですね。
一人一人が、それぞれの業が造った異なる世界に生きている。

きっと、そんなに目新しい考え方でもないと思います。
「この人は、世界が違う」
とか、言いますよね。
とても理解し難い考え方で生きている人に対してそんな言い方をしますが、
厳密に言えば、そんなかけ離れたように感じる人ばかりや違う世界に生きているのではありません。
かなり共感し合える人同士でもやっぱり、それぞれの業が生み出す、それぞれの違った世界に生きているということなのですね。
私の「行い」が、私の世界を造っている。
これが仏教で教えられる世界観です。

「可能性」が「現実化」する鍵

ということは、私の「信じる」という心の行い、すなわち「意業」は、私の「業界」をダイレクトに生み出す、強烈な種だと言えます。
「信じる」か「信じない」かで、その人の「世界」が大きく変わります。

UFOを信じない人にとっては、どこどこまでもUFOなんて存在しないのですね。
「何か光るものが空をウヨウヨしていた。明らかに飛行機やヘリコプターの動きとは違っていた。」
と言っても、信じない人にとっては、何かの錯覚だろうとか、別のどこかからの光だろうとか、とにかく存在しないことになってしまいます。
「信じない」人の業界には、「そんなものは存在しない」ということになるのですね。

「信じた」瞬間から見えてくるものが、山ほどあります。

「自信にみなぎって行動していると、いろんなチャンスが舞い込んでくる
ということがあります。
これは、その人がそういうチャンスを引き寄せている、という言い方もできるでしょうが、
「もともとそんな可能性はいくらでの周囲に潜んでいて、「信じる」ことからそれが現実化してきた」
という言い方もできます。

自分の周囲に満ち満ちている「可能性」も、「信じる」という「意業」がなければ、何も無いのと同じです。
当然、その可能性を更に現実化してゆく次の行動にも、繋がりようがありません。
「信じる」ことから、「応援してくれる人」「必要な物」「必要な情報」などが私の世界に現れ始めて、現実は自分の願望に向かって動き出します。

「人が集まってくる」
「物が集まってくる」
「情報が集まってくる」
「周りが受け入れて、応援してくれる」

これらは外界の事象のようでいて、その現実を生み出している根本的な種は、私の業です。
「信じる」こと
「その自信にみなぎった行動をする」こと
そんな私の行動(業)そのものが、周囲の可能性を現実化していきます。

ということは、
「自分の可能性を心から確信できる」
という「自信」を抱くことができるかどうかが、自分の現実を開く根本的な「鍵」だということですね。

結論だけ言うと実に陳腐な事にように思うかもしれませんが、このことを、「現実的な事として理解する」ことが何よりも大切です。
仏教は、こういう教訓の根拠となる因果を解き明かしているとも言えます。

「だから自信を持つようにしましょう」
という話になってくるのですが、
「自信を持て」と言われて持てるのなら苦労はないのですね。
これがなかなか、「持ったほうがいい」と分かっても、自信を持つということが出来ない…

心の問題なのだからどうとでも出来る、というものでもありません。
逆に、心の問題だからこそ、難しいのかもしれません。
なにせ、目に見えない領域の話ですから。

「自分の望みは、必ず叶う、必ず上手く行く」
こんな気持ちに、私達はどうやってなることができるのか…ここに私達の課題があると言ってもいいでしょう。

もし私の未来の成否は「神のみぞ知る」みたいな話だったら自信の持ちようもありません。
だけどそうではない、ということをこれまでお話してきました。

「私の「行い」は、間違いなく私の現実を造ってゆく」
これを理解しているからこそ、自らの意思で切り拓く未来を確信することができます。
この自業自得の道理をどれだけ理解しているかにかかっていると言えます。
そして大切なことは、この道理を日常生活の中で確かめていくことです。

私達は日頃から自業自得の道理に則って、色々な結果を得て生きていると言えます。
ちょっと、いつもより速く仕事が終わった
いつもよりも成績がちょっと上がった
普段よりちょっと難しい仕事に着手したけど、なんとかこなせた
友達との会話で、やけにウケが良かった

そんなちょっとしたことでも、「結果」を勝ち取っているのですね。

ささやかな結果でも、それは紛れもない「結果」であり、紛れもない「成功」です。
いわば日々「成功体験」の連続で生きていると見ることだってできます。
その「成功体験」を、自分の未来を確信するための糧とするかどうかで「自信」が芽生えてゆくかどうかが分かれます。

そんな小さなことを「成功」と言うなんて、どうなのだろう…と思うかもしれないですね。
もっと、周りの人も目を見張るような大きな成果を出さないと「成功」などと呼べないのではないかと。
だけど、そんな大きな「成功」なんて、そうそう滅多にあるものではありません。
そんなことでもなければ「自信」の糧を得ることはできない、となれば、いつまでたっても「自信」など持てないままです。

細かいことでも些細なことでも、「成功の因果」に違いはありません。
どんな小さなことにも「必ず原因がある」というのが因果の道理です。

そういう因果をつぶさに観てゆくこと。
自分の成功の因果の一つ一つ確かめてゆくこと。
自業自得、間違いないと確信すること。

その積み重ねがいつしか、大きな自信となります。

そうやって積み重ねた「自信」が、未来を切り拓く「鍵」となることでしょう。