信じられない脱出劇が教えてくれた教訓〜パラダイムシフトという突破口〜

信じられない脱出劇

盛り上がるストーリーの鉄板というものがあります。
順調だった人生が突然、理不尽な災いに遭って一転、絶望のどん底へと叩き落とされてしまう。
その絶望から、色んな苦難を乗り越えながらも、起死回生を遂げる。

このパターンですよね。
上がって、下がって、それからまた上がって。
この流れのストーリーは、やはり惹きつけられます。

友達から
「自分の人生の中で一番良かった映画」
と教えてもらった、『ショーシャンクの空に』という映画も、まさにそんな展開でした。

これ、かなり前の映画なんですね。
知人に聞いてみたら、けっこう多くの人が知っていました。
「名作」として非常に評判の高い映画です。

そんな友達からの評判を聞いて、「これは見なきゃいけないな」と思い、あらすじも何も見ずにいきなり映画を見始めました。
さあ、どんな場面から、どんなストーリーが展開されていくのかな…と。

するとしょっぱなから、裁判が始まって主人公らしき人が殺人罪の有罪判決で終身刑を食らってしまう。
しかもこれ、なんだか冤罪っぽい…?
そして、たちまち刑務所へと送られてゆき、刑務所での生活が始まるのでした。

え…この話ってもしかして、刑務所が舞台の話なの…?
恋愛要素とか、そういうのはないやつなのか…?

という懸念は見事に当たって、舞台はほとんどが刑務所でした。

だけど…やはりこれは名作でした。
この刑務所での物語が、本当にとても良かった。

主人公は、アンディーという青年。
銀行の副頭取という超エリートだったのですが、妻がプロゴルファーの男と浮気をしてしまう。
その浮気の現場で妻と浮気相手のゴルファーが共に殺害され、その容疑がアンディーにかかる。
陪審制による判決で、アンディーは残忍な殺人者として終身刑に処せられてしまうのでした。

ショーシャンク刑務所と言われるその刑務所は非常に大規模で、さながら要塞のようでした。
そして、看守による抑圧や虐待、他の囚人からのいじめ、様々な苦難に満ちた場所で、彼は理不尽な苦しみを受け続け、希望の見えない日々を送ることになるのでした。

そんな中でも、少しずつ仲間も出来てゆき、やがて多くの囚人仲間に色んな形で希望を与える存在となってゆくのでした。
時にはみんなに音楽を聞かせたり、図書館を拡張させて文化に触れる機会を増やしたり、また勉強を教えて高卒の資格を囚人たちにとらせたり…と。

だけど、どの囚人仲間もなんだかんだで囚人としての塀の中での生活にどこか落ち着いて、外に広がる可能性に対して諦めていたのでした。
刑務所の中での居場所をつくり、仲間をつくり、役割を持ち、そこでの生活に慣れきってゆく。
むしろ、塀の外の世界が怖い…

特に印象的だったのは、仮釈放となった年老いた囚人が、外の世界の怖さの余りに
「ここから出たくない!」
と、喚き散らす場面でした。

一度、今いる場所が「守られた環境」となってしまうと、その外の世界が「恐怖」そのものとなってしまう。
「自分は、ここでしか生きていけない」
「ここから出るなんて、できやしない。」
と思い込むようになっていくのですね。

そんな中、アンディーだけは違いました。
ずっと、刑務所の外で生きてゆく希望を持ち続けていて、外に出られる未来を信じ続けていました。
そしてついに、冤罪を晴らすチャンスが訪れて、再審請求をと動き始めたところ、それを刑務所の所長によって握りつぶされて、差し込んだ一筋の明かりが無残にも消されてしまう。

ところが…
彼は、ずっと自分の独房の壁を掘っていたのでした。
入所して一ヶ月ほどしてから入手した、小さなロックハンマーで、20年間ずっと、自分の独房の壁から外へ通じる道を、彫り続けていたのでした。

囚人仲間たちは、そんな小さなロックハンマーで、外までの穴を掘るなんて誰も考えられませんでした。
そんなちっぽけな手段で、脱出の為の道を造るなんて、誰も想像だにしていませんでした。

彼は、誰にも気づかれずに、また誰もが想像もしないことを、たった一人、可能性を信じて20年間続けていたのでした。
手のひらサイズのちっぽけなロックハンマーで、固く厚い独房の壁を、看守に見つからずに彫り続けるという無謀としか思えない行動を続けていたのでした。

「その日」は来ました。
彫りきった穴からある夜、見事に脱出を遂げて、外の世界の自由を見事に手に入れた日が。
冤罪で20年、理不尽な抑圧、苦役を課せられたのに耐え続けて、誰も想像しえない可能性を信じ続けて、彼は道を切り開いたのでした。

パラダイムシフトという突破口

パラダイムシフトという言葉があります。
「基本的な考え方そのものが変化する」
「物の見方そのものが変わる」
というような意味ですね。

アンディーと他の囚人との違いは、このパラダイムの違いだったとも言えるでしょう。

「ここから出て、外の世界での自由を謳歌するなんて、あり得ない」
というパラダイムがこの要塞のような壁の中の環境で出来上がっていました。
高い塀、残忍な看守、強欲な所長、そしてこの刑務所での生活に慣れきってゆく囚人仲間…
あらゆる要素が、そんなパラダイムを形づくっていました。

アンディーだけは、そんな中で、そのパラダイムに染まることなく、「外の世界で自由に生きる」未来を信じ続けていたのでした。
だから、そのための方法を「考える」ことができた。そしてそれを忍耐強く実行できた。
いずれも他の囚人たちにとっては「考えもしない」ことだったのです。
それを彼だけは「考え」続けた。
それは彼だけが、他の囚人たちと違うパラダイムを持っていたからです。

私達にも何かしらのパラダイムがあります。
家族、友達、会社、そして自分自身のこれまでの実績…などなどにより、いつしか自分の中にパラダイムを作っているのですね。
もしかしたら、
「自分の人生は、まあこんなものだろうな」
「ビッグになる可能性など、まあないだろうな」
「魅力的な人間に変われるなんてことは、ないだろうな」
「このまま、この会社で退職するまで働き続ける以外に道なんてないだろうな」
そんなパラダイムを持っているのかもしれません。
そしてその枠内で生きることに対する安心感もまた、私達は知っています。

だけど時に、チャレンジの道が見える時もありますよね。
心の底に抱いていた大きな願望を、果たせる道が見えるタイミングが人生でやってくるものです。
一度しかない人生、自分が本当に望んでいることを、やっぱり果たしたい。
そんな希望の光が差す瞬間が。

その時に、これまでのパラダイムをシフトできるかどうかが、鍵なのですね。
本当に、その望みを実現したいならば、パラダイムを変える必要があるわけです。
「出来ると信じてみる」
「その可能性を一度、考えてみる」

このちょっとした思考が、道を切り開く最初の突破口となります。

仏教では、「行い」には大きな力があると教えられます。
「業力(ごうりき)」と言って、自分の未来を造っていく力が私の「行い」にはあると教えられます。
特に「心の中で思う」という行い(これを仏教では「意業(いごう)」と言います)には、非常に強い業力があると言われます。

今の私のパラダイムを造ったのも「意業」なら、それを変えるのもまた「意業」です。

新たな可能性を見出して、その「先」を「考える」という行い。
これが、とてつもない突破口になるということですね。
「考えすらしなかった」
これが、大抵の可能性を閉ざす要因と言えます。
それが、ちょっとでも「考えてみた」ということがあれば、その意業の力が、新たな世界の広がる未来へとグイグイ引っ張っていきます。

「出来ると信じてみる」
一度でも、その可能性を「考えてみる」
これは、非常に力強い「意業」となって、道を切り開く大きな力となります。

「不可能」というパラダイムを変えた時から

私事なのですが、いまこうしてブログの記事を書き続けて、いつの間にか50を超える記事を書いています。
前までは、そんな、新たな新たな話題を盛り込んだ記事、しかも他人に「読みたい」と思ってもらえるような記事を絶えず書き続けるなんて、不可能だと思っていました。

「どこかでネタ切れになる。」
「コンテンツを生み出すにも、限界がある。」

こういう考え方がずっとあったわけです。

だけどどこかでその考え方が変わりました。
「出せるコンテンツに限度がある」
この考え方は間違いだと。
そして、
「本質を見る目さえしっかり養えていたならば、コンテンツを無限に生み出し続けることは可能だ」
という考え方を持つに至ったのです。

これは私の中でのいわばパラダイムシフトです。
「限界がある」→「無限にできる」
というシフトが私の中で起こりました。
そのことを「信じる」ことができたのでした。
一度信じることができたら、そこから行動することができます。

もちろん、それでもちょくちょく、「やっぱりネタ切れなのか…」という考えがよぎることもありました。
だけどその都度、考え方そのものを修正します。
「そんなことはない。ただ新たなネタを見つけるのに時間がかかっているだけ。ネタなんて無限にある。」
そう言い聞かせます。
それで、もうちょっと辛抱して考えれば、やっぱり見つかるのですね。
そしてまた自分に言い聞かせます。
「ほらやっぱり、あった。見つかった。見つからないのは、ちょっと忍耐が足りないだけ。考え続けることをやめなければ、大丈夫なんだ。」

そんなことを繰り返して、気づけば50を超える記事を書くことができていました。

思考を積み重ねて新しいパラダイムを造る。
人間の「意業」のなせる大きな働きです。

何かの「縁」をきっかけに、あなたにこれまでにない思考が始まり、意業が造られていったなら、それはパラダイムシフトの始まりと言えるでしょう。

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コメント

  1. やまぐちかおり より:

    50記事達成おめでとうございます!!

    いつも楽しく読ませてもらっています(´∀`*)
    普段何気なく生活してしまう中、
    ブログを受け取ると色々考える事ができて、
    大切な時間のキッカケを頂きありがとうございます✨
    職場で話題になってて、ちょうどショーシャンクの空見たいと思ってたとこなので笑
    近いうち見ます^_^

    • takeshogo より:

      ありがとうございます(^ー^)
      お陰さまで、ここまで続けてこれました。

      そうやって活用して下さっていると思うと、続ける意欲がますます高まります。
      これからも頑張りたいと思います☆

      とってもいい映画でしたよ。
      ぜひぜひ。