今日から「サザエさんシンドローム」をやめる手順〜「果」から「因」へシフト〜

サザエさんシンドロームやめようぜ

「もう、日が暮れる頃には心はどんどん暗〜くなっていって…」
「そうそう。ほんまに、それ。」

月曜日の職場でよく交わされる、昨日(日曜日)の心境を語る会話です。

せっかくの休日なのに、その休日を楽しめるのは前半だけで、後半は「明日からの出勤」という未来が見えて、心に陰りが出てきてしまう。
日曜日の「サザエさん」が始まる頃にはその憂鬱はピークに達するのでよく「サザエさんシンドローム」などと呼ばれる現象です。
きっとどこの職場でも、共感できる話題の最たるものの一つだと思います。

それにしてもこれ、なんとかならないものでしょうかね。
同僚と共感できるのはいいのだけど、それにしたって、せっかくの休日なのに、その半分は月曜から始まる日常に対して心の底で嘆いていなければならないなんて。

何か特別な嫌なことがあるわけじゃない。
ただ、月曜日が始まるだけ。平日の日常が始まるだけです。
始まってしまえば、当たり前のように過ごしている日常なわけじゃないですか。

その日常が、休日の半分に陰りを落とす原因になってしまっているなんて、なんだか残念というか馬鹿らしいというか。
毎回そんな心の損失を甘んじて受けるのは、やっぱり残念なことです。

そこで今回お話したいのは、

そろそろ「サザエさんシンドローム」やめませんか

という話です。

「いや、憂鬱になるもんはなるのであって、やめる、やめないの話じゃないのでは…」
と思うかもしれません。
だけどこの憂鬱を感じるかどうかには、相当個人差がありますよね。

その「違い」には、原因があるわけです。
平日の始まりに対して、憂鬱を感じる人を、あまり感じない人と、何が違うのでしょうか?
そういう憂鬱をあまり感じない人って、どんな人なのでしょうか?

「いいことありそうな日」に振り回されているだけ

それを理解する前提としてお話しておきたいのは、仏教で教えられる「自業自得」の道理です。
特に強調したいのは、「自業」と「自得」の関係です。
「自業」とは、「自分の行い」のこと。仏教で行いを「業」と言います。
「自得」とは、「自分が受ける結果」ということです。
仏教では「自分の行い」と「自分が受ける結果」とは100%対応していると教えます。

「自分が何か行いをしている」ということは即ち、「それに応じた結果を自分が受ける」ということだということです。
「自分が何かの結果を受けている」ということは即ち、「それに対応する行いを自分がしていた」ということです。

自分の行いは100%、必ず、それに応じた自分の結果を造り出す。
この道理を「自業自得」とか「自因自果」と言います。

この道理を理解すればするほど、どうなるかというと、
自分の行い(自業)に視点を置くようになるのですね。

言うまでもなく、私達が欲しいのは結果です。
何かいいことが、自分にあって欲しい。
誰だってそうです。
年始に初詣に行くのも、「今年一年、いいことがあって欲しい」という願いを込めてのことですよね。

「何かいいこと無いかな〜」
というのが正直な心の叫びですね。
それでとりあえず見つけるのが「土曜日」「日曜日」です。
朝起きて、学生なら学校へ、社会人なら会社へ行って、勉強したり働いたりしなきゃいけないのが平日です。
その束縛から一時解放される「休日」は、多くの学校や会社に通う人に与えられている「いいこと」です。

他にも
「今夜、とても面白そうなテレビ番組がある」
「もうすぐ、楽しみにしていたイベントの日だ」
「もうすぐ、社内旅行だ」
「もうすぐ、修学旅行だ」

何かと、ちらほらと、「いいこと」が散りばめられていますね。
それを楽しみにして生きている。
「いいこと」を欲する人間のとても自然な姿と言えます。

この「いいこと」は、「結果」です。
そして結果には必ず原因があると教えるのが仏教です。

仏教では、私達にもたらされる「いいこと」の原因は全て、「自分の行い」だと教えます。
それが自業自得自因自果ということです。

「え、でも別に何も行いをしなくても、土曜日や日曜日は来るのだけど…」
と思われそうですよね。
まさしくその通りです。

ということは、土曜日や日曜日が本当にいい日になる保証なんてありません。
当たり前ですよね。
風邪で寝込む日曜日もあります。
朝から家族と喧嘩ばかりして嫌な思いをする日曜日もあります。
別に、土曜日や日曜日といっても、無条件で「いい日」というわけではないのですね。

修学旅行があるからといって、学園祭があるからといって、楽しいイベントが用意されているからといって、その日が私にとっていい日になる保証はありません。

ただ「いいことありそうな」日です。
この「いいことありそうな」日を、本当に「いい日」にするかどうかは、やっぱり自分の行い次第ということになりますね。

なんだか当たり前のこと、と思うかもしれませんが、その当たり前のことを忘れるのが私達なんですね。
ついつい、「結果ばかりを追いかけてしまう」という性質から、私達はなかなか離れきれません。
「いいこと無いかな〜」という気持ちは、常にどこかにあります。

この「結果ばかり追いかけてしまう」心に支配されてしまうと、「平日」「土曜日」「日曜日」に振り回されてしまいます。
「いいこと」のある日が来る…と、心待ちにする。
「嫌なこと」のある日が来る…と、心が暗くなる。
社会によって設定された「いいことありげに見える」日に、翻弄されて、心が浮いたり沈んだりしてしまいます。

視点一つをシフトするだけ

仏教では、「いい日」なんて社会の設定で決められるものではない、と教えます。
「いい日」を生み出すのはあくまでも、自分の行いです。
自分の蒔いた種しか、自分には現れない。
社会が何を設定しようとも、自分の蒔かない種が、自分に現れることはありません。

「いいこと」「いい日」を作るのは、自分の行い。
この自業自得の道理を深く理解すればするほど、
「結果ばかり追いかける」心から、「自分の行いに注目してゆく」心へとシフトしていけます。

なぜなら、「自業」と「自得」は100%対応しているから。

「自分が行いをしている」ということが即ち、「自分にそれに応じた結果をもたらす」ということです。
この道理を理解すればする程、結果ばかり追いかけていた心が、だんだんと、自分の行いに向いていくのです。
明日が平日か、休日か、ということが問題ではない。
未来を決めるのは、「今、私が何をしているか」一つである。

この「自分の行いに注目する心」をどれほど強く持てるかどうかが鍵です。

最初のお話した
「サザエさんシンドロームやめようぜ」
というのは、「結果ばかり追いかける心」から「自分の行いに注目する心」にシフトしていきましょう、ということです。

ただ、畑を眺めて「果実が実らないかな、実らないかな…」と心待ちにするのは置いといて、
畑に種を蒔き続けることに専念しましょう、ということです。

そうすれば、別に心待ちにしてもしなくても、果実は実ってきます。
「いいこと」は、平日であろうと休日であろうと、自分に現れてきます。

このように、「結果ばかり追いかける心」から「自分の行いに注目する心」へとシフトしたなら、
それまで、
「今日はいいことあるかな、明日は、明後日は…ああ、週末が待ち遠しい…」
こんな感じだったのが、
「今日一日、どんな種を蒔くことができるか、明日は、どんな種を蒔けるか、明後日は…よし、週末はこういうことが出来る」
こんな発想に変わっていきます。

そうすれば、平日を迎えることを嘆く必要など全くなくなります。
休日には休日の種蒔きができ、平日には平日の種蒔きができる。
その、それぞれの種蒔きが、やがて自分に実って来るわけですね。

もしかしたら、かなりストイックになるようなイメージを持たれるかもしれませんが、
もちろん「結果を楽しみにする心」を無くするというわけではありません。

「いいことないかな」という気持ちは、人間には常にありますから。
「行いに注目している」といってもやっぱり、結果を楽しみにしているのが正直なところですよね。
こう言ってる私も、楽しみにしていることは一杯あります。

そんな中にあって、自業自得の道理に則って、極力自分の行いに注目してゆくよう努力するということです。
そうやって、「結果をみる心」と「原因を見る心」とのバランスをうまくとっていくことが大切です。

この道理を知ることが、そのバランスをとる鍵となることでしょう。

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