守るべきモノを見失わない為に~見えない「無常」をみる~

「無常」の精神から芽生える気持ちとは

「無常」という有名な仏教の教えがあります。
仏教の専門用語なのですが、日本人にとってはかなり身近な言葉になっているようで、だいたい意味は通じますね。
「ああ、無常だなあ…」
という呟きを聞けば、だいたい何を言いたいか、分かりますね。

「無常」という教えは日本人にとって、とても身近なものとなっているようです。

字の意味から言えば、「常」というのが「変わらない」ということですから、
「変わらないものは、無い」ということです。
一切が変化し、移り変わって行くということです。
どんなにその変化を止めたくても、移り変わって欲しくなくても、どんな力でもそれを止められないということです。
満開の桜が、あっけなく散っていく姿は、その無常の象徴で、どんな綺麗な姿も、無惨にも移り変わってしまうことをよく示しています。

桜でも他の物でも何でも、やがては無惨に移り変わり、見る影も無くなってしまう。

なんとも切ない事実ですが、無常をごまかさずに見つめるという精神が日本人には伝統的に伝えられているように思います。

無常のものを、ごまかさずに無常のものと見つめる。
これをやってこそ、大切にすべきものを本当に大切にすることができるのですね。

たとえば
学校へ毎日通って勉強するのが苦痛という人も多いですが、やがて卒業が近づいて、「この教室で過ごすのも、あとしばらくなのか」と思うと、嫌だった校舎も教室も、また違って見えると思います。
なんだか懐かしく、捨てがたく思える気持ちが芽生えてきます。
「この友達とも、一緒に過ごせるのはあとしばらくなのか」と思えば、なお大切な存在と感じることができるものですね。

「いつまでも続く」と思っていると、あまり大切に思えないものです。
「終わりがあるんだな」ということを意識した時から、その終わりまでの存在に対して大切にする気持ちが芽生えてくるものです。

こんなガラス細工を運べと言われたら、どうやって持って行きますか?
片手で乱暴に扱うという人は少ないと思います。
両手で優しく持って、大切に運ぶことと思います。
「壊れやすいもの」と認識すると、大切に扱います。
「無常」を理解することはそのまま、「大切にする気持ち」が芽生えるということに直結するのですね。

目に見えない「人との関係」に生じる亀裂

目に見えて「無常」だと認識できるものなら大切に出来ますが、
目に見えず「無常」と認識できないため、ついつい粗末にしてしまっているもの、大切にできていないものが私たちにはありますね。

どんなものがあるでしょう?

「身近な人との人間関係」なんて、どうでしょう。
「人との関係」って、見えるようで、やっぱり見えないものですよね。

たとえば結婚して親族となれば、戸籍上には「配偶者」と明記されます。
それを「見える」と言えば、「見える」ということなのでしょうけど…
だけどそれはあくまで役所で保管されている「戸籍」に入力された記録に過ぎません。

その記録と、実際の生の関係性は別物ですよね。
役所の記録は動かなくても、生の関係性は、常に動き、移り変わっています。

私と、身近なあの人との関係は、今、どんな状態なのだろうか?
1年前と今とで、やっぱりだいぶ変わっているのだろうか?
どう変わっているのだろうか?
考えてみれば、ちょっと不安になります。
「無常」という真理を前にすれば、ずっと変わらない、なんてありえないのですから。

これが、もし、目に見えて「変化している」が明確に分かれば、もうちょっとその人との関係を大切にできるのかもしれません。
ガラス細工のように「壊れやすいもの」と明確に認識できれば、もうちょっと気をつけられるでしょう。
だけど、人との関係は目に見えません。それは目に見えない心と心の間のことですから。

目に見えないからついつい、「無常」ということを忘れ、油断して粗末にしてしまいます。

どんな親しい人同士でも、やってはいけないことがあり、言ってはいけないことはあるはずです。
それをやったり言ったりした時、その関係性に決定的な亀裂が生じてしまう。
そういう言動がどんな関係にもあるものです。

それが、無常を忘れてしまうが為に、うっかりとやってしまう、言ってしまう。
それでその人との関係に修復しがたい亀裂が生じてしまう。
しかもその亀裂は目に見えないため、気づくこともできない。
こういうことがあるのですね。
「無常を忘れる」というのは、本当に恐ろしいことです。

だから、目に見えないものこそ「無常」だということを強く意識する必要があるのですね。

最も身近で見えないモノ

「目に見えない無常」について話をしていますが、「自分の心」はどうでしょうか。
これも目に見えないですよね。
目に見えませんが、「自分の心」もまた、激しく移り変わってゆくものだと仏教では教えられます。

そういう感覚はありますか?
「私の心って、本当にコロコロと変わり、移り変わるな…」
というように、感じる人もいると思います。

これも目に見えませんから、自分のことでありながら、なかなか自覚できないことなのですね。
だから、
「自分で自覚しているよりもずっとずっと激しく心は変化している」
と認識して間違いありません。

誰と関わるか。
何を見るか。
何を言うか。
どんな服を着るか。
どんな部屋で生活するか。
どんな行動をするか。

こういった様々な要因で「心」はものすごく変化するものです。

「権力者」と言ったら、残忍なイメージが強いと思いますが、これはあながち間違いではないですね。
もちろん、みんながみんな残忍な人格を持つわけではないでしょうけど。

だけど権力を持つということが「心」に与える影響は多大で、残忍性を引き出しやすいのは事実と言えるでしょう。

人間の奥底には底の知れない欲望が渦巻いている、というのが仏教の人間観です。
仏教の言葉では「貪欲」と呼ばれ、「煩悩」の一つとして教えられるものです。

ですが、私たちはそんな欲そのままに行動するわけにはいかないですよね。
欲そのままに行動できるなら、眠いなか朝早くに起きて会社へ言って、他にやりたいことも我慢して会社に命じられた仕事を何時間もする…なんてことしないと思います。
どれだけ心の奥底で欲望が渦巻いていても、そのままに行動することは、私たちの周りの状況が許しません。
周りの環境による制限で、欲望は露骨に表面化できないのが普通の人ですね。

ところが「権力」を持ってしまうと、「許されて」しまうわけです。
心の奥底で渦巻く欲望が露骨に表面化してしまう。
そしてそれが、言動にも現れ出てくる。
そうしたら、これまでと同じ心、同じ行動ではいられないのですね。
まるで人間が変わったのかと思われるぐらいに変化してしまうことも珍しくないのは、よく知られている通りです。

私たちが思っている以上に、環境によって心は激しく変化します。
放っておいたら、心はどこへ行くか分からない、どう転がっていくかも知れない。
それを今の環境が、良くも悪くも一種の歯止めとなっているのですね。
今の自分の周りの環境は、自由を束縛するものも多いと思います。
しかしそれは同時に、自分の心の暴走を調整する歯止めとしても機能しているのです。

心一つ変われば…

言うまでもなく、私の「心」はとても大切なものです。
この「心」から、体の行動も口からの発言も現れるのですから。
「心」一つ動けば、それがそのまま行動の変化となり、発言の変化となります。

たとえば帰宅する途中に、「家に帰ったらあれもやって、これもやって」と思っていたのに、いざ家に帰って自分の部屋に入ると、何一つできずに寝ないといけない時間になってしまった。

こんな経験を誰もがしているのではないかと思います。

なぜできなかったのか。誰が邪魔したのか。
というと、誰も邪魔なんてしていないのですね。
部屋に入れば、むしろ邪魔するものはなく、自分の「自由」というわけです。
ところがこの「自由」がくせ者で、その環境が「やらなきゃ、しなきゃ」の心を無惨にも変えてしまいます。
「ま、とりあえずー」みたいな心が出てきて欲に任せれば最後、「やらなきゃ、しなきゃ」の帰宅途中の心境に戻ることは期待できない…というわけですね。

環境によって、心一つがコロッと変われば、行動も発言もコロッと変わってしまう。
自分の一晩の過ごし方、一日の過ごし方、ともすれば一年の、一生の過ごし方すらも左右してしまう。
「心」はそれほど決定的なものです。
そして、その「元」である「心」は、環境によって、コロコロ変わってしまうわけです。

自分の「心」がそれほど大切なもので、その「心」はそれだけ変わりやすいものだ。

こういう認識を持って、私たちは日々を過ごしているでしょうか。
本当はもっともっと、自分の「心」を、大切に整えるように努力しないといけないのかもしれません。

自分の「心」を、良い方向に向けて動かすために、
どんな人と関わるべきか
どんな部屋で生活すべきか
どんなものを見るべきか、聞くべきか
つまり、どんな「縁」を選ぶべきかを考えることは、とても大切なことです。

こういうものを見たら、心にどんな影響があるだろうか。
こういう人と関わったら、心はどう変わるだろうか。

心の無常をよく理解してそのような視点を持つことで、人生は大きく好転するはずです。

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