成熟した「人間観」を持つために〜もう、他人にガッカリしたくない〜

「あんなに尊敬していたのに…」の失望の原因は

この上なく尊敬している人に幻滅したことは、あるでしょうか。
好きでたまらなかった人に、何かをきっかけにガッカリしてしまったことはあるでしょうか。
信頼していた仲間に、失望してしまったことはあるでしょうか。

人同士の評価が上がったり下がったりすることをよく
「株が上がる」とか「株が下がる」などと言われますね。
本当に、上手く言ったものだなと思います。

「株」の動きも予想困難で、急激に高騰したり、突如暴落したり、
そしてまたその度に、狂喜したり、激しく落胆したりしています。
もちろん勉強すればある程度の予測を立てる事もできるのでしょうが、
それでも「完全」はないですよね。
どんな「想定外」で、高騰するとも暴落するとも知れません。
そして、泣いたり、笑ったりのドラマが織りなされています。

人同士の評価も、ちょうどそんな「株」みたいなところがあるのでしょう。

他人のちょっとした発言や行動をきっかけに、自分の中で、その人の「株」が高騰することがあります。
「へ〜、そういう考え方を持っているのか、なんて素敵…」
「わ、そんな気遣いをしてくれるのか。なんかこの人、いいな…」
もしかしたらそれは、その人のただの気まぐれの発言かもしれない。
単に、絶妙にタイミングのいい行動がたまたま心をくすぐっただけかもしれない。
だけど、他人の「絶妙な行動」が、一度私の心をとらえたら、私の中で勝手に、その人の「理想像」が造られてゆきます。
そんな、私の中で勝手に造った「理想」をその人に求めるようになってしまいます。
これが、「落胆」や「失望」への第一歩というわけなのですが…

仏教では、そんな「他人」への感情を、
「愛欲の広海」
と言われます。
他人に対する「好き」「嫌い」の感情のことを仏教では「愛欲」と言われ、その深さ、大きさは「海」の如くだと言われるのですね。
何かしらのきっかけで自分の「愛欲」が掻き立てられたなら、すさまじい激しさで、その相手の「株」が上昇してゆきます。
「待て待て、たまたまその時だけの行動かもしれないじゃないか」
「だいたい、家に帰ってその人が何をしているかなんて、知らないじゃないか」
「本当にそんな『理想の極み』みたいな人いるわけないじゃないか」
なんてことは、分かっていても、そんな「知識」や「常識」では制御し難いのが「愛欲」で、とんでもない「理想像」を造ってしまいます。

そんな「愛欲」を、相手が満たしてくれなかったら妨げたりすると、とたんに
「裏切られた!」
「そんな人だったなんて…!」
と、怒りや失望の気持ちを起こしてしまう。
考えてみれば、ずいぶん勝手なものですよね。
自分で勝手に高騰させて、自分でまた落として、相手への敵意を抱いてしまうなんて。
それほどに「愛欲」は、自分の理想を相手に対して、どこどこまでも求めてしまうのですね。

愛欲を裏切らない者たち

アイドルや漫画のキャラクターなんかは、私達の「愛欲」にとことん応えてくれる演出がなされるので、
多くの人が夢中になるのは本当によく分かります。
あれぞ、私達の「愛欲」の具現化ですよね。

最近、少年マンガの『名探偵コナン』に出てくる「安室透」というキャラクターが大変な人気だと知って、その漫画を読んでみたのですが、まあ、納得ですね。
(いま、「あむろとおる」で変換したら、一発で漢字が出てきた!)
背が高くて、金髪で、イケメンで、細やかな気遣いが出来て、どこか天然で、だけど実は内に熱いものを秘めていて…
クールで頭が良くて、冷徹に任務をこなす男…と思いきや、情に熱くて、優しい。
そうかと思うと時に、狂気に似た行動をする危なっかしさも見せてくれる。
「探偵」という設定で登場するのだけど、背後に謎の組織との関わりを持つというミステリアス要素まで持っている。(知らない方、ごめんなさい(汗))

「魅力」のなんたるかのお手本みたいなキャラクターですが、こういうキャラクターは、作者がしっかり描き続けてくれる限り、私達を裏切らないわけですね。

アイドルの場合は、たまにスキャンダルを起こしたり、時には犯罪に手を染めてしまって、多くのファンをがっかりさせてしまうこともありますね。
それでも一定上の「距離」がありますから、基本的にはキラキラした部分だけを見ていられます。
ですが「生身」の人間なので、年は取りますし、過ちも犯しますから、いつまでも私達の「愛欲」に応え続けるのは難しいかもしれませんね。

その点、漫画のキャラクターは、作者が人々の「愛欲」を理解して、その具現化をし続けてくれる限りは、ずっと人々の「愛欲」に応え続けてくれます。
なんなら、本来の作者が描かなくても、熱烈なファンが二次作を造って、いつの間にか、愛好家によって創作されたキャラクターが独り歩きする事すらありますよね。
二次作って、凄いらしいですね。
何しろ、そのキャラクターが好きでたまらない人が、ピンポイントにその魅力を強調するストーリーを造るわけですから。
より「愛欲」の純度の高い具現化がなされている感じがしますし、よりコアなファンが惹きつけられるのかもしれません。
本当に、人間の「愛欲」の造り出す妄想エネルギーは凄いですね。
「アニメ」や「漫画」という文化は、現実にはなかなか叶わない私達の「愛欲」を、擬似的にとことん叶えてくれるものだと言えるでしょう。

同時に、そんな人間の「愛欲」に、本当に応え得る「生身の人間」がいるのかと考えると…
いや、
「我こそは、そんな存在になるぞ!」
ぐらいの気概があってもいいのではないかと、個人的には思いますが。
そこは、いわゆる「厨二病」にならない程度には。

「生身」ゆえに備わっている煩悩を見れば…

創作キャラクターなら、裏切ることなく、私達を満たし続けてくれるでしょうが、
やはり現実の人間は、そうはいきません。

『歎異抄』という仏教書の中に、
「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」
という言葉が出ています。

「縁」さえ来たなら、「きっかけ」さえあったなら、
どんなに尊敬される人格者であっても、
どんなに多くの人を魅了するスポーツ選手でも芸能人でも俳優でも、
「如何なる振舞」をもするだろう。
どんな行動で、人の期待や尊敬や好意を裏切ってしまうとも知れない。
そこは、生身の人間の限界なのですね。

漫画の魅力的なキャラクターがパワハラやセクハラのような残念な行為をするようなことは、おそらくないでしょう。
(やったとしても、それすら魅力的に描くことでしょう)
作者がよほどの決意でキャラ崩壊を断行しない限りは…

しかし生身の人間の奥底には、激しい「煩悩」が燃え盛っていると仏教では教えられます。
同じく『歎異抄』の中には私達人間のことを「煩悩熾盛の衆生(ぼんのうしじょうのしゅじょう)」と言われています。
「欲」やら「怒り」やら「妬み」やら…
そんな心が常に奥底で燃え盛っていて、きっかけさえ来れば何をしでかすか知れない。
「自分はこんなキャラクターなんだから、こんな立場なんだから、そんな行動はあり得ない」
そういう「常識」が通用しないのが煩悩です。
現に、世の中では、警察官や検察官や学校の教師が、痴漢や窃盗のような残念極まる犯罪を犯す事件も後を絶ちません。
「その立場が、そのキャラクターが、それだけはやっちゃいかんでしょう」
という事が、実際に起こってしまうのが現実です。
それもまた、私達の心に渦巻く「煩悩」の仕業なのですね。

そんな人間に対して、私達の愛欲の「理想」を求めすぎてしまうことは、危ういことと言えるでしょう。

人間は、「煩悩熾盛」のもの。
「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞も」するもの。
この人間観を常に持っておくことが大切です。

これは、
「どうせこの人も煩悩で動いているのだから、信頼も尊敬も出来ないだろう」
と、人間不審に陥るわけではありません。
「煩悩熾盛」と言われる人間の姿は、
いつの時代でも、どこに行っても、時空を超えて変わらない、人間の真実の姿を言ったものです。
それは、自分も他人も「お互い様」なのですね。

だけど、そんな中にあって、精一杯、
誠実であろう、親切であろう、魅力的であろうと努力しているのもまた、人間です。
そんな「努力」や「忍耐」には、敬意を持って然るべきでしょう。
だけどそれと同時に、「人間」である以上、煩悩の引き起こす「闇」の部分も必ずあるもの。
尊敬や信頼に足る、その人の精一杯の「努力」も見ているし、
欲や怒りや妬む心が渦巻く煩悩という真実の姿もちゃんと分かっている。

そんな成熟した他人への視点をもって、縁ある大切な人たちと接してゆきたいものです。