他人の姿に翻弄されずに自分の道を歩むには~「有無同然」を知る~③

「現実を生み出す想像」と「想像にしかならない想像」

私たちは普段からいろんな想像をしながら生きていると思います。

「私、普段から結構、色んな事を妄想してるんです。」
ていう話は、よく聞きます。

あなたはどうでしょう?
よく、妄想に浸るタイプでしょうか?

実は私は、結構色んなことを一人で想像するタイプです。

前回と前々回の記事を読んで下さっていると、
「おやおや、前回まであれだけ、想像上のものに振り回されるな、みたいなことを言っていたのに…?」
と思われるかもしれません。

誤解して欲しくないのは、別に「想像」そのものが悪いと言っているわけではないのです。

成功者の多くが「イメージトレーニング」をやっていると言われます。
アスリートが分かりやすいですが、スポーツに限らず何かしらのパフォーマンスをする時にその場面を出来るだけリアルに想像することは、非常に重要だと言われます。
自分のベストなパフォーマンスをしているところを、生々しくリアルに想像する。
それが「出来る」という確信を自分の中で深めていく。
これはとても大切な習慣だと言われています。

これも、想像ですよね。

一方で、
宝くじ売場を通りかかって
「あー、もし私に3億円が当たったらなあ…」
と始まる想像もあります。
高級車を見かけた時に
「自分もあんな高級車に乗れたなあ…」
と始まる想像もあります。
綺麗な女性と歩いている男を見て
「自分もあんな美女とつき合えたらなあ…」
と、想像が始まることもあります。

これらは、私たちがかなり日常的にやっている想像かもしれません。

どちらも「想像」には違いないですけど、何が違うか分かりますか?

この「違い」にこそ、「他人の姿に翻弄される」か、「自分の道を歩む」かの違いを知るヒントがあります。

前者は、自分の現実を生み出す想像です。
後者は、想像にしかならない想像です。

「自分の現実」は何が生み出すのかというと、それは自分の「行動」です。
このあたりについては、「行動を貫く信念の源泉~「業(ごう)」の哲学~」のところに詳しく書いているのですが。

「行動」が「自分の現実」を生み出す。
このことを仏教で「自業自得(じごうじとく)」と言われています。
自分の行い(自業)が、自分の受ける現実(自得)を生み出す、ということです。

ということは、
自分の現実を生み出す想像というのは、「自分の行動」をリアルに想像することです

私たちは、「他人の結果」を日々見せつけられているものだから、その「他人の結果」をなんとなく、「自分だったらなあ…」と想像するということの方が多いのですね。

今の自分から、未来に自分の現実が現れるまでの因果を全部すっ飛ばして、「他人の結果」だけを想像している。
そんな想像から「自分の道」が現れるのは、ちょっと難しいでしょう。

「他人が得ている結果」と言っても、それは外野から見たごく表面的なものであり、限られた一側面でしかあり得ません。
そんな想像は、表面的な姿だけを見て生み出した幻想でしかなくて、「現実」とはほど遠くかけ離れたものになってしまう。
そんな幻想を追いかけてしまう私たちに向けられた仏教からのメッセージが、「有無同然」という言葉です。

現実は、そんな想像のようなものではありませんよ。
有ったところで、現実はそう変わらないのですよ。
「有って」も「無くて」も、変わらないのですよ。
これが「有無同然」ということです。

私たちの見るべきものは、表面的な他人の結果ではなく、今の自分の「行為」だと、仏教では言われるのです。

今、自分はどんな行いをしているのか。
そのことにまず目を向けることを教え勧めます。

そこから初めて「自分の道」が見えてきます。

果報は寝て待て

「果報は寝て待て」という言葉があります。
まさか、「寝ていたらいい結果が来るよ」なんていう意味じゃないですよね、これは。

「あなたがそれだけの行動をしているならば、結果のことを心配する必要はない。」
ということを言われた言葉です。
だからこの言葉の前提は、「行動している」ということです。
「行動」は、必ず自分の「結果」を生み出す。
遅いか早いかの違いがあるだけ。
種を蒔いたなら、然るべき時期が来れば芽を吹き花を咲かせる。
それを、毎日毎日「まだ生えてこない」「まだ生えてこない」なんて気にして待っていても仕方がないということです。
そんな暇があれば、次の種を蒔いたら良いということなのです。
「行動すること」に心がけていれば、結果のことを心配する必要はないということを教えている諺が、
「果報は寝て待て」です。

その逆で、「行動」もしないで「結果」のことばかり考えてしまうという人が多いということでもあるのでしょう。
「ああなれたらな…」「こうなれたらな…」
「あの人はあんな結果が得られていいな…」
「なんであの人ばかりいい目にあってるのだろう…」
これ全部、結果ばかりですよね。
誰もが欲しいのは結果なので、結果のことばかり考えてしまうのは無理もないことです。

しかし言うまでもなく、それで結果が現れるものではないですよね。
自分が「行動する」ということでしか、自分の結果は現れない。
これが仏教の「自業自得」という教えです。

「行動」のことを考えた方がずっと自分の現実は動いていくのですね。
「今の自分の行動はどうか」
「行動をどのように変えたらいいか」
「今の状況で、自分のとるべき行動は」
「今日一日の行動はどうだったか、改善点はあるだろうか」
こういうことばかりを考えている人の現実は、間違いなく動いていきますよね。

そしてその積み重ねが、誰よりも誇れる「自分の道」となって現れていくのです。

ということは、その自分の「行動」を突き詰めるために、他人の行動を観察して学ぶということは、非常に有効ですよね。
同じ「他人」を見るなら、その「他人」が「どんな行動をしているのか」を見る方がいいのですね。
そして自分の行動に取り入れてプラスになりそうなら、憚ることなく取り入れれば、それは間違いなく自分の現実がまた、大きく動き出すことでしょう。

どこどこまでも、自分の行動を洗練させていくことに注力することです。

自分の道へと踏み出す一歩

「自業自得」が仏教の教えの根幹となっているので、自分の行い(自業)に焦点を当てることを仏教では非常に重視しています。

「外」に、「他人」に向きがちな目を、「内」に、「自己」に向けていく。
「有無同然」という教えも、外側の「有る」「無し」に心を奪われている私を、内側の自己の姿に目を向けるように導く教えなのです。

そうやって自分の行いに目が向くようになれば、それまで気づかなかったいろんな自分の行いに気がつくようになります。
「他人」のことばかりに心を奪われていた目が、自分に向いたなら、それまでより遙かに「自分」の姿が深く知らされていきます。

「灯台元暗し」で、周りを照らす光を放っているため、周りの様子はよく分かる。
だけどその足下は暗い。

ちょうどそのように、自分の周りの他人の方についつい心を奪われてしまい、
「今、自分はどんな行動をしているのか」については、驚くほど暗いのが人間の実態なのですね。
広告に溢れ、誘惑に溢れ、気になるものだらけの外界を持つ私たちが、内側に心を向けることは簡単なことではありません。
「自分を見ていない」
そんな状態で、「自分の道」など見えてくるはずがないのです。

だから、そんな私たちの目をいかに自己に向けるかというための教訓が、この日本には山ほどあります。
その多くは、自己に焦点を当てさせようとする仏教の教えから来ているものなのです。

これからも、そんな仏教思想をルーツとする日本の哲学を、いろんな角度からお話ししていきます。
その学びを通して、自己に目を向ける習慣が根付いてくるはずです。

そうして「自己を知る」ということから、自分のなすべきこと、自分の進むべき道が見えてくるのです。

それではまた!

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