つっぱり棒の教訓②~未知の危機への対処法~

こうやって解決しました

前回、僕の身に起きた「つっぱり棒」事件の話をしました。

「ところで、その状況をどうやって切り抜けたの?」

ってのも、気になると思って…

え、気になりますよね?知りたいですよね?

これもなんだか教訓につながるような気がしているので、お話ししたいと思います。

そもそもどんな事件だったかというと

ある休日の夜に、自宅へ帰ったらどうしてもドアが開かない。
鍵はあくのに、ドアノブを捻ることはできるのに、ドアを押すと「ガツン」と何かにぶつかる感触がして、ドアを開くことができない。

わずかな隙間から覗いて分かったことは、
洗濯物を部屋干しするために、部屋の中のドアの横に設置していたつっぱり棒が、出かけている間に落ちてしまっていた。
それがちょうどドアとドアの向かいの壁の間に落ちてしまっていた為、ドアが開くのを防ぐ「つっかえ棒」のような状態になってしまっていた。
ということでした。

夜中の11時近くに、そんな状況で家のドアの前で立ち尽くしてしまった…

こういう事件でした。

さすがに血の気が引いて、軽くパニックになりかけました。

「家に入れない状態」って、結構なショックなのですね。
しかもそれが真夜中ともなれば、なおさら…

あと、非常にもどかしいわけです。
中にあるつっぱり棒1本を、取り除きさえすれば家に入れるのに、ドア1枚隔てて外側にいるので、どうにも取り除きようがない。

なんでよりによって、こんな位置につっぱり棒が落ちるのか…
というやり場のない恨めしい気持ちも起きてきます。

しかも、そんな経験はしたことがなかったので、「こんなの、どうするの?」という困惑は増すばかりなのです。

人間ですから、そんな気持ちをゼロにすることはできません。

だけど、いつまでも悶々としていても何の解決にもなりません。

最初にやったことは、スマホを取り出して、ネットのブラウザを立ち上げて、Googleの検索窓に

「ドア つっかえ 開かない」

と打ち込んで検索ボタンを押すということでした。

すると、なんと…出るわ出るわ。

Yahoo!知恵袋とかのサイトで、
「ドアが何かでつっかえて開かないのです。困っています。」
みたいな質問と、それに対する色々なアンサーが挙がっているというようなサイト。
また、同様の体験談を書いているブログ。

わんさか出てきました。

これを見てとりあえず、少しだけホッとしました。
自分だけじゃないんだって。

そして、みんな、なんとか解決しているらしいというのがすぐに分かりました。

解決方法は、必ずある。
もちろん自分とまったく同じ状況の人がいるかどうかは分からないけれど、自分の状況に応じた最善の解決方法はきっと見つかる。
そういう見通しがついたのでした。

そうなれば、あとはそれを見つけて、適切な形で実行するだけ。

僕が選んだ方法は、

「窓を割る」

という方法でした。

というのも実は僕のドアには、すりガラスの窓があったのです。
なので、その窓の部分を割ってしまえば、その部分から手を突っ込んで、棒か何かを使って「つっぱり棒」を取り除くことができることは間違いなさそうでした。

とは言ってもアパートなので、勝手に窓を割るわけにはいきません。
夜遅かったのですけど、そこは申し訳ない思いと共に大家さんに電話をかけて事情を話して、窓を割ることについて了承していただきました。

さらに(大家さんは近くに住んでいたので)、親切にもハンマーとガムテープと箒(ほうき)を貸してくれたのでした。

それで、ガムテープを窓の部分にペタペタと貼って、ハンマーを振り上げて…

ガシャン!

「ああ…こんなに簡単に窓って割れるんだ…」
なんてことを思いながら、ガラスを取り除く作業を終えたのでした。

ガムテープのおかげでそんなに大きな音も起きず、ガラスがそんなに派手に飛び散ることもなく、ドアから手を入れる空間を作ることができました。
そこから、箒(ほうき)を持って手を入れて、中のつっぱり棒を「よっこらしょ」と箒で持ち上げて、取り除くことができ、無事に家に入ることができました。

窓の修理という代償を負うことにはなりましたが、問題の解決は果たせたのでした。

未知の危機に出会った時は

その日に僕に訪れた危機は、世の中の事故や事件と比べたら些細なことかもしれませんが、
それでも危機は危機でした。
「家に入れない」
けっこうな絶望感でした。
しかもそれは、これまでになかった未知の危機だったので、得体の知れない不安は増すばかりなのです。

きっとこれからも、人生に未知の危機はいくつも訪れることでしょう。

だけど、どんな危機にもどこかに必ず解決方法はある。
それを見つけることができるかどうか、の勝負だ。

考えるべきことは、このことなのですね。

どんな危機にも、必ずそれに応じた解決方法は存在する。

このことをどれほど確信しているかが、まさに問われるのです。
それが信じられなくなって、解決方法を見つける努力を止めた時に初めて、本当の絶望が起きるということです。

自業自得という仏教の教えがあります。
「自分の行動が、自分に起きる結果をもたらす」という道理を教えた言葉です。

これを言い換えると
自分の得たい「結果」を得るための「打つ手(行動)」が、必ずある
ということです。

「行動」が「結果」を生み出す。
ということは、そういうことなのです。

得たい「結果」に対応するような「行動」が必ずあるのです。

「つっぱり棒で塞がれたドアを開けて中に入りたい」
この結果を得るための行動は、必ず存在するということなのです。

これぐらいのことなら、いくつも選択肢はあります。
Googleの検索だけで、その打つ手はいくつも見つかります。

その中の自分にとっての最善と思える手を選ぶ。
それを実行する。

やることはそれだけです。

その道筋が見えれば、
危機に直面した時に起きたいろんな感情
「家に入れない」ことに対する大きな不安
つっぱり棒に対するもどかしい気持ち
そんな感情も、スーッと引いていきます。

そして後は、打つ手を打つだけ。

こういう思考を、どんな局面でストレスに苛まれた時にもすることができれば、極力早くに、大部分のストレスは解消されてゆくのですね。

「道」は必ずある。
それが「見えない」ことが、不安でありストレスなのです。
だけどそれは「今は見えない」だけで、必ずある。
そのことを確信できることが大切なのです。
それはそのまま、「自業自得の道理」をどれだけ信じられるかが問われることでもあります。

自分の「行動」が、100%自分の「結果」を引き起こす。
「行動」に応じた「結果」が、自分に引き起こる。
ということは、得たい「結果」に応じた「行動(打つ手)」が必ずある。

このことを、どんな場面にも当てはまる道理として理解することができれば、あらゆる困難を乗り越えるエネルギーの源泉となるでしょう。

この道理については、
「行動を貫く信念の源泉~「業(ごう)」の哲学~」の記事で3話にわたってお話ししていますので、よければ読んでみて下さい。

ではまた!

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