確固たるエネルギーの源泉~「恩」を知る~②

打算や駆け引きの背景にあるもの

「恩に着るよ」
感謝の気持ちを表すこんな言葉がありますね。

「着る」ってなんだろうと思って調べてみたら、
「ありがたく受け取る」という意味らしいです。

「相手が自分にしてくれた行為をありがたく受け取る」
というのが「恩に着る」ということですね。

一方で「恩に着せる」とか「恩を売る」という言葉があり、どちらかというとこちらの方がよく使われるようにも
思います。
そのためか、どうしても「恩」という言葉から、打算的なニュアンスを感じたり、また借りを作ってしまうような負担を感じたりしてしまうのかもしれません。
またそういう場面があることも事実ではあります。

だけど「恩」というのは本来、そんな駆け引きや打算や重荷というものではありません。

意識するとしないとに関わらず、生活しているというだけで私にとっての「恩」は無数に存在しています。
「ご飯を食べている」
これだけとっても、生産地から自分の口の中に入る課程に無数の「恩」が存在しております。
自分の目の食卓に食事が並ぶまでに、農家、流通、販売、そして家庭による買い物や料理…どれだけの人のどれだけの苦労が伴っているか、想像したらいくらでも出てくると思います。
「洋服を来ている」も「家に住んでいる」も「電車に乗っている」も「本を読んでいる」も「スマホを操作している」も、あらゆる場面に無数の恩が潜んでいます。
ここで語るまでもなく、想像すれば無数に思いつくことと思います。

駆け引きや打算を論ずる以前に、無数の恩は存在している。
拒むとか遠慮する余地もなく「生きている」以上、「すでに存在している」ものが「恩」です。

だから私たちにとっての問題は、それらの「恩」とどう向き合うか、ということになります。

「目の前の人が私に何かをしてくれようとしている。さあ…どうする?」
確かにそんな場面もあります。
そんな時は「ありがたく受け取る」のか「遠慮しておく」のか、という二択が生じたり、駆け引きや打算が発生することもあるでしょう。
こちらの場面の方が目立ちますので、その時の「対応」を特に私たちは問題にしがちです。

だけど私たちにとって大事なのは、むしろその背景にある、「すでに無数に存在している恩にどう向き合うか」ということです。
そちらはあまり目立たないため、見落とされがちです。
目を向けたとしても「いろんなことに感謝しましょう」という綺麗事と済まされてしまう場合がほとんどです。

だけど本当はこちらの方がずっと大切なことです。
この問題を放置して、目に見えて分かりやすい、「目の前の相手が自分に何かしてくれようとする」場面の対応だけを考えるとなりがちですね。
これはまるで土台のないところに家を建てるような取って付けたものになってしまいます。

ただその場その場の「対応」を考えるだけではなく、すでに存在する無数の恩への向き合い方から整えていく。
そうしてこそ、地に足の着いた対応となります。

「恩に着る」「恩を有り難く受け取る」
これが日常にすでに存在する無数の「恩」に対してなされたならばどうなるでしょうか。

それは、私たちが生きていく上で、また何かを成し遂げる上での力強いエネルギー源になります。

「恩」に向き合うことは、打算や駆け引きの問題ではなく、私の心に変化を起こして力強く前進していくエネルギーの源泉を見つけることなのです。

感謝に至る具体的な方法論

「恩」という字は「因」の下に「心」とあります。
「原因」を知る「心」とよむこともできますね。
今、自分が受けている結果を、そのままスルーするのではなく、「どうしてこんな結果を受けられているのだろ?」という「原因」に思いを馳せるところから、「恩」を知ることにつながります。

日常生活の中で私たちは刻一刻と色々な結果を受けています。
日々のことなので「何気ないこと」としか思えないものがほとんどですが、それらにも必ず原因があります。

もしあなたが家族と一緒に生活しているなら、身近に多くの「恩」を見つけやすいですね。
着る服がちゃんと綺麗にタンスの中に入っているとか、部屋が綺麗に保たれているとか、冷蔵庫に食品が絶えず常備されているとか…
自分の見ていないところで誰かがしてくれたことの結果を受けるということが多いはずです。

会社に勤めている人なら、朝、出勤して会社に到着したら、すでに部屋の温度が夏なら涼しく冬なら暖かくなっているとか、備品がちゃんと常備されているとか、給湯室のポットのお湯が沸いているとか…
こういう結果がすでに目の前にあったりしますね。
当番制なのか、それを仕事にしている人がいるのか、もしかしたら課長が朝一番に来てしていたりするのか、実はいつも率先していてくれている人がいるのか、いろんな可能性があります。

「誰がしてくれたのだろう?」
あなたの目の前に表れている結果について、そんな質問を投げかけてみて下さい。
「いや、自分がお金を出して買ったから」
とか
「いや、自分もこういうことをしているから」
ということは一旦置いておきましょう。
それはそれで、また別のこととして考えれば良いことです。

「誰が、どんな苦労をして、こういう結果を目の前に起こしてくれているだろう?」
ということだけをとりあえず考えてみるのです。

そこまで思いを馳せてはじめて、
「有り難いな…」
という感謝の気持ちになることができます。
このことだけで、自分の心に相当の変化を起こすことができます。
この自分の心の変化こそが、私にとってのエネルギー源です。
「頑張ろう」という気持ちに非常に繋がりやすい精神状態になれます。

何か一つのことでも、その「原因」に思いを馳せて「恩」を知ることができたなら、自分の心を「感謝」という状態に変えることができます。
逆に、原因に思いを至らせることなくスルーしてしまえば、感謝の気持ちが出る余地はありません。

前回もお話ししましたが、自分の心をこの「感謝」という状態にすることが、困難を越えたり目指すものを果たすために「前進してゆく」原動力となります。
「欲望」を満たしたい。
「不安」から逃れたい。
「悔しさ」を晴らしたい。
という原動力とはまた異質の、「感謝」という気持ちから沸いて出てくるモチベーションは、長く継続して努力を支える糧となります。

しかし仏教では、ただ「感謝しましょう」と言うだけではなくて、その気持ちに至る具体的な方法論
「恩を知ることです」
と教えています。
それは、自分が受けている恵まれた一つ一つ結果に対して、その「原因」に思いを馳せることなのです。

「感謝」できるスキル

これは、意識して、努力して心がけることができます。
磨くことができるという点では一種の「スキル」と言ってもいいかもしれません。

「感謝できる人」というのは、そういう「原因」一つ一つに目を向けられる人といえます。
自然と思考がそういう「原因」へ向くようになっていて、すぐに
「ああ、あの人が苦労してしてくれたのか」
「ああ、こういう工夫努力がその背景にあるのだな」
気づくことができる。
そこに「有り難いな…」と感謝することができる。
だから、周りに優しくもなれるし、努力し続けるエネルギーを保ち続けられる。

もし、「自分にはそういう感覚が鈍いな」と感じるのであれば、それは努力して磨くことができます。
もしかしたら自然と「感謝できる」体質を持っているような人も、最初は意識して努力して、「原因」に目を向ける感覚を磨いてきたのかもしれません。
「一つ一つの結果の原因に思いを馳せる」
この感覚は、センスのある無しに関わらず、努力して磨くことができるものです。

そして、その努力の積み重ねがあなたの「感謝できる体質」を作り上げてゆくことになります。

さらに、その「原因」を、より深く深く掘り下げることで「感謝」の念はより強くなります。

例えば誰かが自分の誕生日に何かプレゼントしてくれたとします。
これは、そうしてくれた「原因」が目の前にいますから、すぐに「ありがとう」という気持ちになれますね。
「この人が、自分のためにプレゼントを買ってくれた。」
このことに対して「有り難いな…」という感謝の気持ちになることができます。

だけどそれだけで終わらずに、ここでもっとその「原因」を掘り下げてみるのです。
「この品物をどこで買ったのかな。その店をどうやってリサーチしてくれたのかな。このプレゼントで私が喜ぶことに気づくために、自分のことをどれほど考えてくれたのかな。」
「この品物をチョイスする」に至った原因をさらに、掘り下げてみるのです。
すると、「自分のためにプレゼントを買ってくれた」という「恩」のさらに底に、もっともっと自分のために気を遣ってくれた、苦労してくれた、より深い「恩」を知ることができます。
そうすれば「有り難いな…」の気持ちはもっと深いものになります。

「原因」をどれほど深くまで考察できるかによって、より深く自分の中に感謝の気持ちを起こすことができます。
これも、心がけ次第で努力して実行できることです。
感謝は、「センスや性格の問題」というだけで片づけてしまえるものではありません。

より多く、より深く、自分に恵まれた結果の原因に思いを至らせて、自分の中に「感謝」の気持ちを起こしてゆけば、それだけで自分の中に前進するエネルギーが溢れてきます。

「感謝」は、ただの綺麗事ではありません。
自分の人生を力強く切り開くエネルギーの源泉であり、また努力して磨くことのできる一種のスキルという面を持つものです。

次回、感謝に至る方法としての「原因を知る」ということについて、さらに詳しくお話ししたいと思います。

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