確固たるエネルギーの源泉~「恩」を知る~①

綺麗事だけでは頑張れない

会社のパソコンの壁紙を子供の写真にしているのを見かけることがあります。
きっとその人のお子さんの写真だと思います。

スマートフォンの待ち受け画面を家族の写真にしているという人も見かけますね。

「これを見たら元気が出る」
「辛いことも理不尽なことも「家族のため」「子供のため」と思ったら頑張れる。」
家族がその人の働くエネルギー源となっているのでしょうね。

勉強したり仕事をしたり、決して楽ではないことをやっていく時にはそれなりのエネルギーが必要です。
「やる気」とも「モチベーション」とも言われますが、私たちは何をエネルギーの源泉としているでしょうか。

一番分かりやすいのが「欲望」です。
いろんな欲望がイヤな仕事を頑張れる源泉になっていると思います。
わりと一般的なのが、「週末に休める」だったりしますね。
とにかく「のんびり過ごせる時間が欲しい」というのが切実な欲望だったりします。
「朝、起きなくていい日」があることが、多くの人にとってどれだけ希望となっていることか知れません。

他にも、
美味しいものを食べに行く楽しみ。
観たい映画を観に行く楽しみ。
好きな人と一緒に過ごせる楽しみ。
ビールを飲みながらナイターを観る楽しみ。
「こういう楽しみがあるから頑張れる」というエネルギーの源泉は数多くあります。
いずれも人間の欲望から来ているものばかりです。

これが、もっと大きな欲望になると、それは「夢」「成功」と呼ばれるようになります。
「マイホームを建てて、そこで明るく楽しい家庭生活を送りたい」
そんな日を夢見て、昇給、昇進を目指して精一杯働く人もいるでしょうし。
「高級車を乗り回せる生活をしたい」
そんなステージを目指して努力する人もいるでしょう。
「色々な海外旅行を楽しめるようになりたい」
そんな「成功者」を目指して着実に行動している人もいると思います。

自分が心から「欲しい」ものを描いて、努力の末にそれを叶えた自分をリアルに想像したなら、それは日々頑張るエネルギー源になることでしょう。
とても一般的な「やる気」の源だと思います。

「楽しみ」「夢」「成功」というポジティブなものに対して、「悔しさ」「不安」などのネガティブな感情もまたエネルギー源となることがあります。

「いつも偉そうにしているあの上司や同僚に負けたくない、屈してくたくない。」
「いつもバカにして見下している周りのヤツらを、あっと言わせてやりたい。」
悔しさをバネに頑張るということもあります。

「このままでは将来、生活していけなくなるかもしれない」
「このままでは、家族も友達も自分から離れて行ってしまうかもしれない」
このままでは、マズい…
そういう不安焦りから、頑張らなきゃという気持ちになることもあります。

こういったネガティブもまた、時に力強いエネルギーの源泉になることがあります。

これらの
「欲望」というポジティブも
「不安」や「悔しさ」というネガティブも
いずれも仏教では「煩悩」と呼ばれます。

歎異抄という古典には人間のことを「煩悩熾盛の衆生」と言われています。
「熾盛」とは、激しく燃えさかっているということです。
煩悩が激しく燃えさかっているのが人間だということを「煩悩熾盛の衆生」と言われます。

煩悩のエネルギーは凄まじいのですね。
これを無視して、綺麗事ばかり言っていては努力して何事かを成すという結果を生み出すことは難しいでしょう。
「人間は煩悩で出来上がっている」とまで、仏教では言われるのです。
「食べたい、飲みたい、寝ていたい」というあからさまな欲丸出しのように見える人も
そんな誘惑に負けずにストイックに努力しているような人も
いずれも「食」や「財」や「色(異性)」や「名誉」や「睡眠(楽)」を求める「欲望」の表れ方の相違に過ぎないのであって、「煩悩」で動いているという事実は動かせない。
これが仏教の人間観です。

「欲望を満たそう」とするエネルギー。
「悔しくてたまらない」という思いが生み出すエネルギー。
ポジティブもネガティブも燃えさかる激しい煩悩は力強く行動に駆り立てます。
そのエネルギーを自分が頑張るべきことに上手に向けることができれば、苦痛や困難を乗り切る力になります。
そして、夢を成功を実現させる原動力にもなるでしょう。

燃え盛る源泉に伴う諸刃の危うさ

これらの「欲望」「不安」「悔しさ」とはちょっと異質な感じがするのが
「感謝」というエネルギー源です。
今、自分が受けている色々な恩に対して「有り難いな…」と感じて、そこから「がんばろう」という気持ちが芽生えてくる。
これもまた人間にとってのエネルギーの源となります。

そしてこのエネルギー源を持つことが、ブレることなく継続して頑張り続けられる重要な糧になります。

というのも、実は煩悩から出てくるエネルギーは、確かに強烈なものですが、同時に危うさもあります。
ややもすると、本来向かうはずの方向とは全く別の方向へと駆り立ててしまうことがあります。

世の中には「お金さえ出せば、インスタントに欲望を満たしてくれる」というもので溢れています。
いや、お金さえも必要なく、ネットにつなげば色々と欲望を楽しませてくれるものにアクセスすることが出来てしまいます。
より「手軽に」欲望を満たせてしまう環境が特に現代は顕著ですね。

そのため、ハマってしまうわけです。
「不安」や「悔しさ」のストレスさえも、努力で地道に塗り替えるということをせずに、世の中のいろんなサービスで手軽に解消できてしまいます。
(本当は何の解決にもなっていない場合がほとんどですが)

欲望を源泉として地道に努力しているはずなのだけど、そんな苦労もいらずに欲を満たせてしまうものに出会ってしまうと、そっちに流れてしまう。
極端なのが、お酒やギャンブルにハマるという類ですね。
あるいは、ネットゲームにハマってしまう。
スマホゲームにハマってしまう。
YouTubeにハマってしまう。
マンガ喫茶にハマってしまう。
地道に、着実に努力していくはずの道を大きく踏み外して、生活のバランスを大きく損なうことになりかねません。
欲望には常にそういう危うさがあることは、誰もが経験上知っていることですね。

「道がそれてしまう」という危うさと、もう一つ言えるのが「マイナスに一転してしまう」という危うさです。

欲望が頑張れる源になっている間は良いのですが、その欲望が理不尽に何者かに妨げられることもあります。
そうすると努力を支えていたエネルギーがそのまま、八つ当たり、やけっぱち、というマイナス方向のエネルギーに一転してしまうことがあります。
欲望が強ければ強いほど、それが妨げられて怒りに転じた時の被害は甚大です。
時には、これまでの苦労のすべてを台無しにしてしまうこともあります。
「まじめに頑張っていたはずの人がキレて…」
という悲劇はあちこちで聞く話だと思います。

「煩悩」は確かに強烈なエネルギーの源になり、それを生かすことは有効な手段には間違いありません。
しかし、同時に「迷いやすさ」「破壊に一転する可能性」という大きなリスクを持っていることも知るべきです。

だから、あからさまな「欲望」や「不安」や「悔しさ」を源として持つだけではなく
「感謝」というエネルギーの源泉を持つことも必要なことなのです。

実はこれが一番強い

「何かに感謝できている状態」をちょっと想像してみて下さい。
一人暮らしの寒い冬に、遠く離れた実家から暖かい毛布が送られて「頑張れ」という手紙が添えられていたり。
仕事で落ち込んでいるときに会社の先輩が元気づけるために飲みに連れて行ってくれて励ましてくれたり。
「有り難いな…」
「本当に、ありがとう…」
心からそう思える時に起きてくる「頑張ろう」という気持ちは、欲望を満たそうとする気持ちとも悔しさをバネにする気持ちともまた異質です。
非常に深くて力強いエネルギーの源泉となります。

そして考えてみて欲しいのは、この感謝の気持ちから沸いてくるエネルギーには「道を踏み外す」とか「マイナスに一転する」というリスクがあるでしょうか。
ちょっと、想像がつかないですよね。
感謝の気持ちから道を踏み外してしまうとか。
感謝の気持ちからネガティブを強めてしまうとか。

ただただ、力強く私を前進させてくれる。
その頑張りに幸せすら感じることができる。
非常に力強いエネルギーの源となります。

私たちは煩悩に突き動かされる本質を持っていますから、基本的には欲望や不安や悔しさなどの燃えさかる煩悩が行動の原動力となっております。
それらを上手に生かすことはもちろん有効なことです。

そこにもう一つ「感謝」という要素を加えていくことで、より深くより安定して、日々の頑張りを支え続ける原動力が得られます。
これを持っている人は本当に強いです。

「感謝」が大切というのは色んなところで言われていますね。
これは今回お話しした「生きる力の源」という観点からも間違いないことです。

ただ、じゃあどうしたら「感謝」という理想的な精神状態になることができるのか。
ただ「感謝しなさい」と言われても、ちょっと抽象的すぎて分かりづらいのですね。
このことについて鍵となるのが「恩」です。
仏教ではこの問題について「恩を知ることですよ」と教えています。
「感謝する」「恩を知る」
同じことのようにも思えますが、ちょっと違ったニュアンスも感じますね。

「恩を知る」の構造を深く理解することで、ただ「感謝しなさい」と言われただけでは拭えないモヤモヤが晴れて、確実に自分の心に「感謝」という原動力を生み出していくことができます。

「恩を知りなさい」と仏教で言われるその意図について、次回お話ししたいと思います。

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