後悔しない行動の原動力~「無常」を観ずる~①

儚さに思いを馳せる精神の源は

 儚いものに思いを馳せるという感覚が日本人にはあるようですね

 

華やかに咲き誇っていた桜があっけなく散ってゆくのを見たり

真夏にあれだけ騒がしかった蝉が夏の終わりに命尽きて横たわっているのを見たり

夜空にパッと美しく輝いて人の目を奪う花火がほどなく薄れて消えてゆく様を見たり

ストローの先から飛び立ったシャボン玉がすぐにはじけて消えゆくのを見たり

 

そんな時に

ああ儚いなあ…」

ああ無常だなあ…」

そんなつぶやきには哀愁と共に愛おしさや美を見るような気持ちも漂っています

 

「無常」という言葉は仏教から来ている言葉です

なるものはということでいつまでも変わらないものは無い

ということは全ては変化し移ろっていくものであり、儚いものであるということです

 

「儚さ」、「無常」というものに思いを馳せる日本人の思い古来から変わらずありつづけているようです

 

祇園精舎の鐘の声

 諸行無常の響きあり

 

これはとても有名な古文の書き出しですね

平家物語の冒頭です

 

ここにも無常の響きという言葉が入っていますが

儚いなあ無常だなあ…」と心に響く思いが語られています

 

平家物語自体が

そんな無常をテーマとする物語であり

権勢を誇って栄えに栄えていた平家という家柄がたちまち源氏という勢力に滅ぼされてしまう「無常」の有様が描かれています

 

日本人は古くからこうして無常に思いを馳せるという感覚が根付いているようですがこれは本当に大切な感覚なのですね

 

日本人独特とも言えるこの、「儚さ」「無常というものに対する感慨深い思いの中に私たち一人一人が悔いのない人生を送るための教訓がこもっているのです

 

後悔を起こす典型パターン

 私たちはどんなことに「後悔」をするのか

考えてみればそれは

「無常」のものを、「無常」と思わずに過ごしてしまった時

私たちはそのことに対して後で悔いることになってしまうのです

 

ギックリ腰になったことはありますか

私は時々、腰をグキッとやってしまうことがあります

そのたびに私はいつも後悔してしまいます

というのもそれをやってしまう時はたいてい私がそういうリスクを抱えていることを忘れてしまっている時だからです

 

私の場合は前かがみの姿勢になって無理な力を入れるような動作をすると腰を痛めるリスクが非常に高いのです。(誰でもそうかもしれませんが私は特にそのリスクが高いようです

ある意味これは私が抱えている「無常」の一つです

経験上分かっていることなのですこのような無常が私の腰に潜んでいることは

 

それをいつしかまるっきり忘れてしまうのですね

私の腰に潜む無常を完全に忘れた状態ついつい無理な動作をやってしまった時に案の定腰に鈍い痛みが走る

あっ…!」

と心の中で叫んだ時はもう後悔の始まりなのです

 

そして無常が現実化してからはじめて

そうだったそうだったこの腰が自由に快適に動くのは決して当たり前ではなくて無常と隣り合わせの現実だった

こんな思いが頭を巡るのです

 

この「無常」に心がかかっていなかったことを、その「無常」が現実化した時に強く悔やんでいるという状況なのですね

 

思えば「後悔」と呼ばれるものはこの「無常を忘れていた」ということに対して起きるものが非常に多いのです

もしかしたらそればかりと言ってもいいのかもしれません

 

他人との良い関係に潜む危うさ

 不用意な言葉で大切な人を傷つけてしまって後悔するということがありますね

どうしてあんなことを言ってしまったのだろう…」

一度吐いた言葉はもう取り消すことはできません

そしてその言葉が相手に深く刻みつけてしまった心の傷も消すことはできないでしょう

その結果自分とその人との間に深い亀裂が生じてしまった

それを修復するのは容易ではありません

こういう時に私たちは深い後悔に苛まれます

 

他人と良い関係を作るというのはよほど馬が合う人同士なら違うかもしれませんが基本的にかなり苦労が伴うことです

相手がこの人は信頼できる人だと確信してくれるに至るまでには私たちは誠実な言動に努め続けているはずです

約束を守り親切な言葉をかけたりいい情報を提供したり相談ごとを聞いたり

時間をかけて、「信用を積み重ねてきているはずなのです

そうやっていろんな人との間に築いた信用私たちにとっての大きな財産です

 

築き上げるためには並ならぬ苦労が伴う信用ですがそれを失うのはあっという間だったりします

それはほんの一言の不用意な発言かもしれない

たった一つの約束を忘れてしまったことかもしれない

思わずついてしまったたった一つの嘘によるのかもしれない

たった一つの私の至らない言動が、信じられないくらいに相手との関係を激変させてしまう。

 

こういうことがあるのですね

 

苦労の末に造り上げた強固な信頼」のように思えるものも本当は実に危うい無常のものだったりするのです

絶対にこの関係が崩れることは無い

そんなことを言い切れるような関係があるでしょうか

 

私にも

この人との関係が崩れることなんて考えられない

そんな関係が崩壊してしまう経験が何度かあります

 

頑張ってとてもいい関係を作れた時には本気で「この人との関係が崩れることなんて想像つかない」と思えるのですね

相手は自分に対して何でも打ち明けてくれる

他の人にはとても言えないことでも自分にだけは打ち明けてくれる

自分のことを心から信頼してくれていると感じられるとついついそんな気分になってしまうのです

だけど突然、そういう関係が崩壊してしまうことがあるのですね

相手の心が大きく変化し、「いい関係と思っていたのがたちまち崩れてしまうことがあるのです

 

例えばある日突然たった一通もう会えませんという内容のメールを受けてそれ以降どうにも修復できず関係が終わってしまったとします

どの時点で相手の心は変化してしまったのでしょうか。

そのメールを送ってきた日に何かがあったのだろうか。」

前に会って一緒に過ごしていたその時にはすでに実は気持ちは変わってしまっていたのだろうか。」

実はもっともっと前から私の色んな言動に違和感を感じていて少しずつ少しずつ気持ちは変わっていってしまっていたのかもしれない

こんな風に色な想像ができます

いずれのケースも十分に考え得ることなのです

 

間違いなく言えることは

相手の心は無常であり、どんなきっかけてどう変わってしまってもおかしくない。

ということです

それを

「この関係が崩壊するなんて考えられない」と信じ込むのは「無常」という世の鉄則を完全に忘れてしまっている状態に他ならないのです

 

思えば危ういことです

本当は無常なのに自分のどんな言動でどんな風に動いてしまうか分からない相手の心なのに

「この関係は崩れようがない」

と信じ込んでしまっているなんて

もうその瞬間から後悔を残す行動は始まっていたと言わざるを得ません

 

後悔しない行動を作るつの理解

 後悔は、「無常」を忘れてしまうことから引き起こる。

 

だから大切なことは「無常」を忘れないことなのです。

自分にとって大切なものであるほどそれは無常だということを深く理解することです

その理解が深ければ深いだけ、あなたの行動は後悔のしない行動になります。

 

その「無常」に対する理解ざっくりとつに分けることが出来ます

例えばさっきお話しした大切な人との関係ということについて言えば

 

つは「危うさ」を理解すること

どんな関係にも、いつ、どんなきっかけで、どう変化してもおかしくないという危うさを常にはらんでいる。

これが無常だということの一側面です

この理解があるから不用意に傷つけたり信用を失うような言動を防げるのです

 

どんなに親しいといっても

親しき中に礼儀あり

と言われる通りどんなに付き合いが深く長くなってもあくまで他人であり何でも許されるなんてことはありえない

自分に理解できない部分は必ずあるし相手を気遣う心を持っていなければ思わぬ形でその人を傷つけてしまうことがあるということですね

目の前にいるこの人の心は「無常」であり、つねにどう変化するか分からない。

この認識を強く持つことが、「無常を理解するということです

 

もうつは「限られている」ことを理解するということ

どんな関係にも、それをどんなに大切にしていても、永遠ではないということです。

これを仏教では「会者定離」と言われます

会った者は離れることが定まっている。」

お互い状況は変化していますからどこかでその関係に終わりが訪れることは必ずあるということです

極端な話お互いの命に限りがあります

今の目の前の人との関係は永遠ではないいつまでも続くというものではない

この認識を持つことが、「無常を理解するということです

「いつまでも続く」と思ってしまうところから、気遣いが抜けてしまったり、大切に思えなくなったりするのですね

この人とは限りのある時間であり限りのある関係であることを理解して意識することです

 

「無常を忘れてしまっている」状態から「無常をごまかさずに観つめる」状態になった時あなたの行動は後悔しようのないものとなっていきます

 

日本人が古来より大切にしている無常に思いを馳せる精神

それは私の行動を後悔しないものへと変えてくれるとても大切な宝であると言えるのですね

 

仏教ではこの無常を観ずるということをどのように教えているのか

次回もっと詳しくお話ししたいと思います

 

実はこれややもすると誤解されるのです

無常だなんてそんなことを考えていたら心から今を楽しめないのでは?」

なんだかネガティブ思考のような気がする

極度の心配性になれてことなのだろうか?」

 

こういう「ネガティブ」や「心配性」と、「無常をごまかさずに観ずる」とはどう違うのか。

 

そのあたりも含めてもっと掘り下げたいと思います

▶続きはこちら

夕刻にみる無常の教訓 夕刻になって日が暮れかけてきて、西の空が赤々としているのをぼんやり見ていると、なんとも言えない胸を締め付けられるよう...

ブログのカテゴリ分けを一新したことに伴い、従来のカテゴリ分けを廃止してしまいました。 なので、従来のカテゴリ分けを参照いただく...