「凄い人」と「残念な人」の違いって
「違う世界の住人」だと感じる人っていますよね。
テレビに出てくる芸能人やスポーツ選手のような有名人
歴史的な偉業を成し遂げた人物
起業して年収億を稼いでいる人
そういう「凄い人」もそうだし
社会問題を起こした責任を問われる記者会見で、責任逃ればかりする「残念な大人」としてテレビで取り上げられる人
悪質なパワハラやセクハラが明るみに出て叩かれている人
私利私欲のために横領や収賄を行って書類送検されている役人
凶悪な殺人事件を起こして世間を震撼させている犯人
私たちが「残念だな」「恐ろしいな」「許し難いな」と感じる人もあります。
同じ人間でも、こんなにも違うものだなと感じる話題には事欠きません。
あなたはそういう人たちを見たり聞いたりして、どう感じますか?
「まあでも、同じ人間だよね」
そんな風に思えるでしょうか。
思える人もいるかもしれませんけど…なかなか難しいですよね。
殺人事件のニュースで手錠をかけられてパトカーに乗せられている凶悪犯人を見た後に、大リーグで活躍する日本人選手を見て、「同じ人間だよね」なんて、まあ思えません。
住んでいる世界が違う。立っているステージが違う。
そんな思いを誰でも抱くと思います。当然の感覚です。
これはちょっとひねくれた見方と思われるかもしれませんけど…
人間同士で見るから、「違うな」と感じるのです。
例えばもし、猫から見たらどうでしょう?
凶悪な殺人犯と国民的アイドルと、そんなに違うように見えるでしょうか?
どっちも同じように可愛がってくれるかもしれないですよね。エサもくれるかもしれない。
(凶悪殺人犯も猫は可愛がるかもしれない。)
オレオレ詐欺師も、善良な一般人も、世界レベルのアスリートも、牛や豚から見たらどうでしょう?
どれも、自分たちを食料としている「天敵」それ以外の何者でもないでしょう。
(その点では、タンパク質の摂取量が人一倍多そうなアスリートの方が、彼らからしたらタチが悪いかもしれません)
ゴキブリやハエの視点から見るに至っては、男であろうと女であろうとどんな社会的立場の人間であろうと、自分を全力で抹殺してくる存在でしかないでしょう。
そんなことを、考えたことはありません?
きっと一度はあるんじゃないでしょうか。
「他の動物から見たら人間なんてみんな…」的な発想。
また
「宇宙から見たら、チリのようは星屑にわずか100年足らず生息する存在でしかない」
という、「宇宙から見たら人間なんて…」的な発想。
ありますよね、ちょっと視点を変えて人間を見るっていうこと。
あるけど、人間としての生活を営む以上は日常生活にはそれを持ち込まない。
それだけのことだと思います。
人間同士が「人間社会」の価値観で見るから、「高いステージの人」「低いステージの人」という発想が生まれるのです。
ある意味それは、人間のその時代の価値観が生み出した産物と言えるでしょう。
ごく表面的な、それも一側面でしかないのですね。
だから、「視点を変えれば人間同士、そんなには変わらない」という理解も、あるんじゃないかなと思います。
「人間同士、そんなに変わらない」を明確に一言で言うと
ただ、「変わらない人間の姿」とは言っても具体的にそれはどんな姿のことなのか
というと漠然としていますよね。
猫から見れば、やたら可愛がってくる生物?
牛や豚から見れば、食わせるだけ食わせて最後は殺す存在?
ゴキブリから見れば、とにかく全力で殺しにかかる巨大生物?
そんな色んな側面を全て含めて、一言で「こういうものが人間」などと表現することができるのだろうかと、思いますよね。
それをズバリ言い切っている仏教の言葉が、「煩悩具足の凡夫」なのです。
「凡夫」とは人間のこと。
「具足」とは「それで出来上がっている」ということ。
凶悪犯人も国民的アイドルも一般のサラリーマンも大統領も世界的アスリートも、もれなくみんな「煩悩」から手足が生えてそれぞれの格好をして生きている存在。
「煩悩で出来上がっている人間」
それが「煩悩具足の凡夫」ということです。
「煩悩」については前々回からお話ししています。
全部で108個あって、「108の煩悩」などと呼ばれたりしますが、その代表格が「欲の心」です。
そこで今回はこの代表格である「欲の心」について詳しくお話ししたいと思います。
文字通り「欲しい、欲しい」と何かを求め続ける心のことです。
その「何を」求めるかによって、欲の種類が5通りに分類されています。
食欲
財欲
色欲
名誉欲
睡眠欲
この5つです。
字を見ればだいたい、意味は分かるかもしれませんね。
「食欲」と「色欲」と「睡眠欲」が、生物学的にも心理学的にも原始的な欲求として扱われるのではないかと思います。
生存するため、そして種を残すために絶対に欠かせないものですよね。
「食べたい」という「食欲」、「眠りたい」「楽がしたい」という「睡眠欲」。
食べなければ生きられませんし、眠らなければやっぱり生きられません。休息も必要です。
「色欲」とは性欲のことで、男が女を、女が男を求める欲です。
無くても生きてはいけますが、子孫は残せないので種は存続できません。
これらの欲求に加えて、お金や物を求める「財欲」と、他人から必要とされたい、評価されたい、好かれたいという「名誉欲」。
これで五欲です。
「人それぞれの姿」と「万人共通の姿」
この五欲が「煩悩」の代表格ですが、確かに人間はもれなくこれらで「煩い」、「悩んでいる」と言えるのではないでしょうか。
前回、こんな写真を見てもらいました。
また登場。「悩める人」です。
この人、何で悩んでいるのかなということを考えてみて欲しいのです。
私からもいくつか例をあげました。
ざっとこんな感じで…
①お客さんからクレームが出てしまって、困った…
②浮気がバレそうで、どうしよう…
③借金が返せそうになくて、まずい…
④昼ご飯に何を食べるか決められなくて、困った…
⑤彼女からLINEの返信がなくて、心配…
じゃあ、これらの「悩み」をさっきの五欲に当てはめてみてください。
それぞれ、どの「欲」に関係しそうですか?
①のクレーム問題は、やっぱりお客さんという他人から責められるので、「他人から悪く言われたくない」という「名誉欲」が損なわれてしまうという悩みと言えるでしょう。
また、クレーム処理のためにいろんな時間や労力を割かなければならない、面倒なことに追われると考えれば、「楽したい」という「睡眠欲」が損なわれるという悩みとも言えるでしょう。
売り上げが落ちて利益に響くと考えれば「財欲」にも関係してきます。
②の浮気は、言うまでもなく「色欲」問題ですね。
それで世間から後ろ指さされるのが嫌だというのは「名誉欲」の問題でもあります。
③の借金は、お金の問題だから「財欲」の悩みですね。
これが家族にバレたら…という問題も含んでいれば「名誉欲」にも関係してきそうです。
④は「食欲」ですね。友人に見栄を張っていい店に入りたいという「名誉欲」もあるかもしれません。
財布と相談中の人は「財欲」も絡んでいます。
⑤は恋人との「色欲」がらみですね。
こう考えていくと、「悩み」って人それぞれみんな違いますけれど、その「源」はこの五欲に尽きると言っても良いのではないでしょうか。
「煩い」「悩み」を引き起こす源は万人共通して「煩悩」であると言われるのは、そういうことなのです。
この五欲の視点で見たならば、一見自分とはかけ離れた世界の悩みと思えることも、本質的には自分の抱く悩みと同じだということが見えてきます。
前回、権力者が世継ぎの問題で悩むという話をしました。
そんな世継ぎ問題なんて、経験したこともないし、経験しそうな見込みもないので、イメージが沸かない。
全く共感できない悩みとも思われます。
だけどこの、自分が築いた権力や財産を自分の子供に継がせたいという欲求。
これは、財産や名誉を自分のものにしたい、他人に奪われたくないという「財欲」や「名誉欲」の現れですよね。
ということは、同じ種を私たちも持っているのです。
私たちはその財欲や名誉欲を私たちなりの形で現しています。
それが巨大な権力や財産という「縁」によって、「世継ぎで悩む」という形となって現れているというわけです。
同じ「煩悩」という源を持つ人間が、いろんな「縁」によって違った「形」の悩みを引き出されている
これが、様々ちがった悩みを持って生きている多種多様な人間の実態なのです。
私たちにもそういう「縁」が来たならば、世継ぎのことで悩むでしょうし、マスコミの目を恐れることもあるでしょうし、記者会見での言い訳について弁護士に相談するかもしれない。
そうさせる種は、私たちも持っているのです。
それが表面化してテレビで取り上げられている人たちと私たちとの違いは、これらの煩悩をそういう形で表面化させる縁に触れているかいないかの違いなのですね。
「縁次第でどんな自分が現れるとも知れない」
このことについては、「自分へのモヤモヤを晴らす思考法~因縁(いんねん)の哲学~」の記事で3回にわたって詳しくお話ししています。
この内容と併せて理解すれば、とても理解が深まると思います。
最善の判断とベストパフォーマンスはこの「土台」から
さて、3回にわたって、「イライラから1秒でも早く脱却する思考法~煩悩を理解する~」というタイトルでお話ししてきました。
イライラさせた相手も、イライラしている自分も、同じ「煩悩具足」という本質を持っている。
そこに、
正義=自分
悪=相手
という構図を造って、イライラを正当化してより助長させても、イライラは増幅して自分が苦しむばかりなのですね。
どちらも同じ「煩悩具足の凡夫」ならば、相手の醜さばかりに注目して、イライラを強めるよりも、その目を自分に向けたほうがずっと楽になれるのです。
「自分のどんな煩悩がこんなイライラを起こしているのだろうか?」
自分に問いかけることを、まずやってみることです。
そのことで冷静になれます。
相手の問題を考えるのはその後でもいいわけです。
誤解して欲しくないのは、お互い煩悩具足だからと言って、「相手の問題を放置すればよい」と言っているわけではありません。
相手に問題があることも事実で、それに対策を打つことも必要でしょう。
ただ、イライラと攻撃性むき出しの状態でそれをやってしまうと、最善の手を打つことは難しいでしょう。
まずは一度冷静になることが必要だということです。
現実をありのままに見て、冷静になること。
的確な知恵を発揮して、最善の判断とパフォーマンスを出すには、そういう精神状態がベストなのです。
「煩悩具足の凡夫」という現実を見る視点は、この先いろんな場面であなたが最善の判断とパフォーマンスを発揮するための、大切な土台となるはずです。
それではまた!