最大のミステリーは「人間」
ミステリーものの映画は嫌いではないのだけど、そんなに好んで観るようなジャンルではありませんでした。
というのも、このジャンルのストーリーについてのイメージとして
殺人事件が起きる
その謎解きが始まる
最後の衝撃の結末が、全てのこれまでの伏線を回収してしまう。
だいたいこういうパターンだろうと思っていました。
もちろん概ね間違いないのかもしれませんが。
ただ、私の認識は、「ミステリーものは謎解きに尽きる」というものだったのですね。
ある意味、
「とてもテーマの限られたジャンルであり、ただ謎解きを楽しむ以外の魅力はない」
かのような理解があったのでした。
ところが最近、ミステリー映画をいくつか観ている中で、その認識が変わってきたのでした。
ミステリー映画の魅力は、そんな浅薄なものではないようだ、と。
一つの「事件」を通して、それをめぐる登場人物たちの「人間心理」をとてもダイナミックに描いていて
「人間」とはどういうものか
このテーマに深く突っ込んでいくものがミステリーなのかな思うようになりました。
少なくとも、面白いミステリー映画には、そういう要素があると思います。
ただの「謎解き」ではないのですね。
その「謎」を仕掛けた側の「人」としての心情
その「謎」に挑んでゆく側の「人」としての心情
そんな奥深い「思い」が交錯して、思わず共鳴し、心が打たれる。
そういうものが描かれているミステリー映画は、本当に面白いし、「観て良かった」と思うのですね。
「実は、とても悲しい事件だった…」
「実は、とても恐ろしい事件だった…」
そんな風に、人間の深い「悲しみ」や「苦しみ」や「闇」が事件を通して描かれ、
普段は直接みることのない「人間の真相」に戦慄を覚える。
犯人の仕掛けたトリックも、「謎」には違いありませんが、
恐ろしい事件を起こしてしまう「人間」とはどういうものなのか、
その「人間の心」はトリック以上に巨大な「謎」と言えるでしょう。
そんな「人間の心」という「謎」に、ハラハラしながら迫ってゆくようなストーリーは、本当に奥深くて、個人的には大好きです。
「人間の心」を描くといっても、当然、たった一人の「人間」単体で描くというわけにはいきません。
親子関係、恋人関係、友人関係、同僚関係…
そういう様々な「人」と「人」との関係の中に起きる、複雑で奥深くて、時には直視できないほどおぞましい「人間の心」
これは、ミステリーものでないと描けない、というものが多くあると思うのですね。
「親子愛」と「殺人事件」
ミステリーもので、必ずといっていいほど起きるのが、「殺人事件」です。
この、「人が人を殺してしまう」という出来事
ここに伴う「人間心理」は実に様々で、
それは、恐ろしいものであったり、悲しいものであったり、意外なものであったり、多種多様です。
最近みたミステリー映画がとても印象的だったのですが、
その映画で起きる殺人事件の背景にあったのが「親子愛」でした。
親が子に対して、心から幸せを願わずにいられない。
また、
そんな親に対する子の慕ってやまない気持ち。
言うまでもなくそれは、「人間の心」の中でも、尊く美しい心とされるものです。
ところがそんな心さえも、「人と殺してしまう」という悲惨な行動に駆り立てることがあるということです。
子供の幸せを思う余り、そのこと以外は目に入らなくなる。
我が子の幸せだけが、守りたい唯一のもので、その為なら何を犠牲にしてもかまわない。
この心がとうとう、人の命を奪うという凶行に及ばせてしまったという話なのですね。
人間の愛情は、人を哀れんだり慈しんだり、そして幸せを造りだそうとする源になりますが、
その同じ愛情で、「惑い」をも起こしてしまいます。
一見美しいもの、尊いもの、幸せを与える源と見える「心」も、
その裏側に「我利我利(がりがり)」の本性が動いているからです。
「我利我利」とは仏教の言葉で、人間の「本性」を教えられたものです。
そして「本性」というものは、普段は奥底に隠して表には出さないものです。
「思いやり」「友情」「愛情」「優しさ」…
そんな心の裏側にも「我利我利」の本性は確かに動いているということです。
自分の心を見つめれば見つめるほど、
とても他人には言えないような、自分でも嫌になるような、おぞましい「心」が、
確かに自分の中に住み着いていることは否定できないですね。
もし、そんな自分の心の底が映像化されてスクリーン上に映し出されたなら、
そんなスクリーンはきっと、誰にも見せられないはずです。
それが、私たち一人一人が、表向きの「顔」の裏に抱えている「本性」です。
その本性を仏教では「我利我利の心」と言われます。
これは、文字通り「私の利益、私の利益…」と、どこどこまでも自分が得すること、助かることしか考えていない心です。
そしてその思いを満たすためなら、他人などどうなってもいい、という恐ろしく冷たい心です。
そんな「鬼」のような「本性」を潜ませているのが「人間」だということです。
その「鬼」が、どんな恐ろしいことにも踏み込ませるのですね。
それがたとえ、他人を傷つけることでも、他人の物を奪うことでも、他人の命を奪うことでも。
ミステリー映画に出てくる「殺人事件」も、その「鬼」が成さしめた凶行であることは間違いありません。
そんな冷酷な行動をさせる「鬼」のような心が、
「友情」や「親子愛」や「恋心」という私達が日頃から親しんでいる「心」の奥底に、
「本性」として潜んでいるということです。
私達が共感し、美しいものとして見ている「心」と、
他人の命を奪うことすら厭わない鬼のような「心」とは、
実は紙一重のものだということを、ミステリー映画は非常によく表現しているのかもしれません。
心の「裏側」が見える視点
私達は普段、自分の心に対しては、限られた一側面しか見えていないものなのですね。
仕事に真面目に取り組もうとする気持ち
家族を大切に思う気持ち
友達を大事にしようとする気持ち
同僚との和を保とうとする気持ち
恋人のことが好きでたまらない気持ち
私にそんな「気持ち」が起きているのは間違いありませんが、
それらは、ほんの一側面だということです。
「家族のことをとても大切に思っている」
その気持ちの裏側でどんな心が動いているのでしょうか。
「誰にもこの幸せを邪魔されたくない」
「嫌いな人に会っている時間など勿体無い」
「他の人を助けている余裕など無い」
こういう気持ちが裏側では動いているのかもしれません。
「家族」に対する思いが強くなればなるほど、それが盲目的なほどになればなるほど、
その「裏側」で動く、「我利我利」の本性の恐ろしさが際立ってきます。
ミステリー映画などでは、その「裏側」の冷酷な面に触れた人が、殺されてしまうという悲劇が起きるのですね。
こんな印象的なシーンがありました。
ある父親が、自分の娘の幸せを脅かす男を、あるホテルの一室で殺害してしまいます。
そのホテル部屋の中で、その父親は電話で娘と通話している。
「うん。大丈夫だよ。うん…」と、優しい声で話している。
その足元には、殺害された被害者の遺体が…!
表面の「愛情」と、裏面の「冷酷な鬼の心」とが、同時に動いている。
そんな人間の実態が生々しく現れているような感じがします。
表立っていようが、裏側に潜んでいようが、どちらも「自分の心」には違いありません。
「愛情」と「冷酷な鬼の心」とはまさに、紙一重ということです。
大切なことは、
「自分にその両面があることを自覚する」
ということです。
自分の「鬼のような側面」に無自覚であるということほど、危ういことはありませんから。
その側面をごまかさずに見つめる視点が、とても大切です。
ミステリー映画のようなストーリーは、そんな人間の本性を垣間見る、とても興味深い素材なのですね。