大切な関係を育むため生涯磨き続けたい習慣~ちゃんと「見る」とは~

どんな時でも「観察眼」は手放さない

友達と遊んでいたり、
同僚と飲み会で騒いていたり、
恋人とデートしていたり、
家族で楽しく過ごしていたり、

そんな「楽しい一時」の真っ最中であっても、
どこかでちゃんと「冷静な目」を持っていて、周囲の人を観察するクセは、あるでしょうか。

「嫌な思いをしている人はいないかな…」
「困っている人はいないかな…」
「ちょっと表情が曇っているのではないかな」
「何か言いたそうな顔をしているな」
「結構、喜んでくれているみたいだな」
「どうも物足りない様子だな」

一緒にいる人の状況をちゃんと把握しようという「目」を、どんな時でも持っている。
「楽しいなあ…」
「面白いなあ…」
「気分いいな…」
「ちょっと退屈していたな…」
そんな自分の感情に、ただおぼれているだけではなくて、
どこかで、相手の事をちゃんと見ている「目」を持っている。

これは、大切な習慣だと思います。

もちろん、
「楽しい感情に浸らないと、一緒に楽しむ意味がないじゃないか」
という意見もあるでしょう。

まったくその通りで、楽しい感情を味わうこと自体は何も悪いことではないですよね。
だけどその一方で、冷静な目でもって、相手を観察するのを忘れない事が、
その相手と長期的にいい関係を築くために大切なことです。

その場限りの縁で、その間だけ楽しめればいいのなら、そんな必要はないでしょうけど、
大切な人ならば、これからも長期的にいい関係でいたいはずです。
それならば、
一緒に感情が動いているような時にこそ、その大切な人をちゃんと観察したいものです。
その見返りに、とても大切な情報をキャッチできます。

「どんな時に、その人の感情は動くのか」
「逆に、どんなタイミングで冷めてしまうのか」
「自分に対する好感度はどんな状態なのか」

「これからの」その人との関係を構築し、維持するために大切な事ばかりです。

人間は嘘をつく生き物ですが、「感情」は正直なのですね。
「好き」ならば「好きだ」という表情をちゃんと出すし、
「嫌い」ならば「嫌いだ」という表情をちゃんと出します。
感情が動けば、必ず表情に何らかの形で現れます。

私たちが「冷静な目」で観察すれば、そういう情報はキャッチできるのですね。
それが分からないのは、結局、見ていない。見ようともしていない。
それも肝心な時に、その人を見ていない。
そして、ただただ自分の感情に溺れている。
案外それが実態だったりします。

ゲームに似た「楽しむ」感覚

無理もない事かもしれません。
大切な人と一緒に、楽しい感情が動くような時を過ごしていれば、
100%その感情に身を委ねて、最大限にその時を楽しみたいのが人情です。

「そういう時こそ冷静な目をどこかに持って」
なんて、野暮の骨頂ではないかと思われるかもしれません。

だけど、
「大切な人と楽しい時を過ごす」のは、本当に「その時だけ」の為なのでしょうか。
この先もその人といい関係を続けるための手段、という面もあるのではないでしょうか。
だって、相手は「大切な人」なのですから。
「楽しい時間」は、目的であると同時に、長期的な目的に対する手段でもある。
これが本当の所ではないでしょうか。

そんな楽しい時間を、これからも何度も何度も過ごせる、いい関係をずっと維持したい。
これが私たちの心からの願望ではないでしょうか。

そして、そんな「真の願望」に近づいていくプロセス
そこにもまた、絶妙な「楽しみ」があります。

恋愛ゲームってありますよね。
私はやったことはないのですけど(本当ですよ)。
たぶん「ゲーム」である以上、ドラクエとかのRPGゲームみたいに
「ステータス」なるものがあると思うのですね。
そしてもちろん、「好感度」なるものが数値化されているでしょう。
それがプレイヤーの選択次第で上がったり、下がったりするのでしょう。
100以上になったら、こんなイベントが。
150以上になったら、さらにこんな関係に発展して…
みたいな感じで、好感度が上がり、いい関係が構築できてゆくプロセスを楽しむ。
それが恋愛ゲームの醍醐味であるはずです。

ゲームならば、そういう「大きな目的へのプロセス」を楽しめるのに、
現実では、その場その場の感情に浸る楽しみしか知らない。
…なんてことにはならないはずですよね。
むしろ現実こそ、そして大切な人との間でこそ、
「いい関係が出来つつある…」
「好感度が上がっている…」
「相手の感情パターンがちょっと見えてきたかも」
「喜ばせられる頻度が上がってきた」
そんなプロセスを楽しめるはずです。

そのために必要なのは、
「感情が動く場面にこそ、相手を観察できる冷静な目」
です。

慣れないうちは、
「せっかくの楽しみが、思いっきり味わえないなあ…」
という感覚もあるかもしれません。
だけどこれが「習慣」となってゆくと、だんだん、その観察もコミで楽しめるようになってくるのですね。

あ、ちなみにこれは「恋愛」に限らないですよ。
(表現が「恋愛の場面」っぽいなという気もするのですが、友達同士や仕事仲間同士や家族同士にもこの内容は当てはまります)

「超ハードモード」に立ち向かうために

「家族」同士でこういう視点を持つことは、特に重要ですね。
そして、家族となると、この視点を放棄することになりがちなような気もします。

なぜなら「家族」にはどうしても「安定」という要素がありますよね。
「結婚して家族になる。」
「子供が出来て、「お父さん」、「お母さん」、「子供」というファミリーになる。」
こういうビッグな結果を得る事は「安定を手に入れる」というイメージがどうしてもあります。

だけど、現実はそうじゃないですよね。
夫婦になったといっても、親子になったといっても、あくまで「他人」同士には違いありません。
お互い、全く違う人生を歩んで来ているのだし、違う行動を積み重ね、違う習慣を持っています。
そんな「他人」の距離が縮まったのは「安定」どころか、
「異なる人同士のぶつかり合い」が激増する波乱の幕開け、というのが現実でしょう。

恋愛関係や友達関係のような、一定以上の距離を保って、別々の生活を守れている関係と違い、
「生活を共にする」ことで、もう逃げ場はなくなります。
どう考えても、関係を良くしてゆく難易度は上がりますよね。

どうでもいいですけど、
「恋愛ゲーム」はあっても、
「家族間でのいい関係構築ゲーム」ってのは、聞かないですよね。
(「恋愛ゲーム」でググったら一杯出てきますが、「家族ゲーム」でググったら皆無でした)
多分、そんなゲームがあったら、難易度高すぎるでしょうね。
難しすぎて、ゲーム化出来ないから、ないのかもしれません。
(あと、あっても多分やってみたいと思わない気がしますね)

だけど、「現実」には、あるのですね。
高難易度の「家族ゲーム」が。
ナイトメアモードの「夫婦ゲーム」が。

「家族になって、ますます好感度は上がり続けている」
これが楽勝で実現できているとしたら、
よほどお互いの相性がいいか、
それぞれの人間力がよほど洗練されているか
このいずれかでしょう。

だけどそうじゃないケースが多いから、離婚率が「3組に1組」と言われる現実があるのですね。
実際に離婚に踏み切るのがその割合なのだから、
「仕方なしに一緒にいる」の割合は、どれくらいか…
悪夢のような数字でしょうから、考えたくもないですね。

そんな未来まで見据えたならば余計に、
友達関係の場面で、恋愛関係の場面で、「冷静な目」を持つ習慣を養うことがますます大切になりますね。

そして、
「家族間でこそ、この目を発揮させる」
という意識が必要でしょう。

「家族生活スタート」という波乱の幕開けに臨んで、
「理想的な家族関係構築」という大目的に向けてのプロセスを楽しんでゆこう。
そんな意識を持って、「相手の感情をキャッチする」目を磨き続けたならば、
苦労が大きい分、素晴らしい結果が得られることでしょう。

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