ネガティブを熟知する価値
「ネガティブ感情」には、どんなものがあるでしょう。
といったら、どれくらい思い浮かびますか?
イライラ、ムカムカ、寂しさ、切なさ、面倒くさい、怖い、退屈、モヤモヤ、敗北感、嫌悪感…
などなど、いくらでも挙がりそうですね。
ボキャブラリーが豊かであれば、人のネガティブ感情をピンポイントで絶妙の言葉で表すことができます。
他人の悩みを聞いた時なんかに、
それって「○○な感じ?」
と、そのピンポイントの言葉を挙げることができれば、
「そうそう!ホント、それ!」
かゆいところに手が届いたような言葉に、相手はそれだけで結構満足してくれますね。
「共感が大事」
とよく言われますね。
確かに、相手の気持ちを理解しようと努めて、自分の経験と照らしつつ「共感」してあげる。
この事は、人といい信頼関係を築くためにも、とても大切な事なのは言うまでもありません。
そして、その共感した事を
「なるほどねー、それはとても分かるよ。」
と言ってあげても喜んでもらえると思いますが、
さらに、その相手の気持ちをピンポイントで表す絶妙の言葉で
「○○な感じ?」
と言ってあげられれば、
「共感してもらえた!」
という相手の満足度は数倍にもなります。
人間のネガティブ感情を出来るだけきめ細かく理解し、言語化できる力は、間違いなく役に立つでしょう。
それと同時に、無数にあるネガティブ感情の本質をとらえて、
「これらを一言で言うと、こういう事」、とシンプルに理解することもまた大切なのですね。
そうすることで、これから押し寄せてくる無数のネガティブ感情(残念ながら避けられないでしょう)に対して、
どう立ち向かうかの大きな指針を持つことができます。
「心身の健康」と「ネガティブ」
これらの「ネガティブ感情」をざっくりまとめると
「不満」と「不安」
この2つに集約することが出来ます。
「不満」というのは、非常に本質をついた表現なのですね。
仏教では、様々な感情の渦巻く人間の心を「煩悩」と教えられています。
その煩悩は全部で108ありますから、非常にきめ細かく人間の心を分析しているのが仏教だと分かります。
と言っても、108全部の対処を考えていたら、あまりに複雑すぎますね。
そこでその煩悩の代表格に注目したいのですが、それが「欲」です。
煩悩の筆頭に挙げられるのは、底の知れない「欲の心」です。
そしてこれが、「不満」の元になっているのですね。
人間の心の底を支配しているのは、紛れもなくこの「欲」です。
食を求めたり、色を求めたり、名誉を求めたり、財産を求めたり、楽を求めたり…
求めるものは様々ですが、常に「欲」が私たちに「何かを求める」行動を掻き立てていることは間違いありません。
そうやって、常に自分の中の「欲」を、「満たそう」としていると言えるのですね。
今日も、朝起きてから様々な行動をしてきたと思います。
それらは全て、私たちの欲が何かを満たそうとして駆り立てた行動ばかりということです。
そうしたら、私たちの得られる結果は2つ
「満たされた」か「満たされなかったか」です。
その「満たしたいものが思い通りに満たされない状況(不満)」
これが、いろんなネガティブ感情となって出てくるわけです。
「イライラ」だって「ムカムカ」だって「寂しさ」だって、その前提には、「満たしたい何か」があって、
それが妨げられて、満たされない状況がそんな気持ちとして現れるわけです。
ネガティブ感情の本質が、この「欲の満たされない不満状態」だという事は、
ネガティブ感情を無くすことは、まず不可能だということです。
煩悩の代表格である、この「欲」は、底なしの深さを持つものですから、私たちの「欲」が本当に「満たされ切った」などということはありえないのですね。
満たしても、満たしても、欲望は「もっと、もっと…」と膨れ上がる一方で、どこまで満たそうとしてもキリがありません。
「不満」をゼロにすることは、おおよそ現実的ではないという事ですね。
ほどほどに「不満」はあるけれども、それが極端に大きくならないように気をつける。
これが「不満」に対する現実的な方針となるでしょう。
言葉を変えて言えば、「心身の健康を保つ」という事ですね。
「心身の健康」というのは、「不満がゼロになった状態」ではありません。
色んな面の不満が、極端に大きくならない状態が保たれている事なのですね。
食に対する欲求や、人に対する欲求や、財産に対する欲求や、睡眠に対する欲求など、
いろいろな欲に対して、あまりに極端に不満が増大すれば、「不健康状態」を引き起こすというわけです。
(もちろん、過度に満たそうとしすぎるのも不健康ですが…)
そういう極端な「不満状態」を防ぐのが、健康を維持するという事になります。
「結局、大切なのは睡眠と食事ですよ」
この意見は本当によく聞きますが、とても的を得ていると思います。
食と睡眠は欲の中でも最も基本的な欲と言えるでしょうから、それらの不満が増大するような「不健康状態」が、まさに大敵。
そこに「不健康」が生じると、そこから派生した様々なネガティブ感情が現れることは目に見えていますね。
なんだか当たり前のような話のようですが、「ネガティブ感情」の本質を理解していないと、そういう所を疎かにした行動をしてしまうのですね。
「何かを満たそうとして、睡眠を削ってしまう」
これをやらかしたことのない人はそうそういないと思います。
「ネットゲームで睡眠を削る」
「漫画を読みふけって寝不足になる」
「動画をいくつも閲覧しているうちに、深夜に及んでしまう」
最も基本的な欲求に膨大な「不満」を生じさせておいて、ネガティブ感情を解消できると考えるのは本末転倒もいい所ですよね。
欲望に突き動かされる私たちが宿命的に抱かざるを得ない「不満」と上手に付き合って、
「不健康状態」を極力引き起こさない。
心身の健康を上手に維持する。
どんな種類のネガティブ感情に見舞われようとも、この基本方針は、いつでもどこでも揺るがない指針となるでしょう。
因果を見通す智者に近づく道
ネガティブ感情の本質、もう一つが「不安」ですね。
これは「先が見えない状態」と言えます。
仮に完璧な「智慧」があったとすれば、
「因果(こうしたらこうなって、こうしたらこうなって…という未来への因果関係)」を見通して先を見抜くことができ、
常に適切な対処を取ることができますから、不安はないでしょう。
しかし、人間の智慧には限界があります。
そんな、何でもかんでも「因果」を見通すわけにはいきません。
だから、100%不安を無くすことは叶いません。
つまり、「不満」にしろ、「不安」にしろ、ネガティブ感情をゼロには出来ないという事ですね。
ただ…
未来に対するあらゆる因果を細部に至るまで見通すことは叶いませんが、
仏教では私たちの未来を生み出す因果の鉄則を「自業自得」と教えられています。
「業」というのは「行い」という事で、
自分に訪れる未来(自得)は、自分の行い(自業)が決めるということです。
この自業自得の鉄則に則って、為すべき「行動」を決断し、実行すること。
これが、私たちの出来るベストな不安へ対処と言えるでしょう。
100%正しい決断など、もちろん叶いませんが、
「行動」だけが自分の未来を切り拓く以上、私たちには「行動」を決断する他、活路はありません。
「決断しなかった…」
「何の行動もしなかった…」
「ただ、他人のせいにするばかりだった…」
そんな、「自業自得」の道理に背を向けて「惑い」の渦中に入ってしまうよりは、ずっとマシです。
不完全な智慧しかない私たちが出来るベストは、
取るべき行動に対する精一杯の決断をする。
そして、その行動を実践する。
これのみなのですね。
そうして「行動」を積み重ねてゆくことで、その経験ごとに「自信」が養われていきます。
自分は、ちゃんと事に臨んで「行動」を決断することができる。
それは自業自得の道理に則って対処できているということに他ならない。
自分は、ベストを模索し続けることができるんだ。
この自信です。
もちろんこれは、100%正しい判断と行動が出来る、という自信ではありません。
そんな自信を人間が持つことは不可能です。
だから、不安をゼロにすることは出来ません。
けれど、
自分は自業自得の道理に則った行動ができる。
常に、運命に対してベストを尽くすことができる。
そんな生き方を、これからもしてゆくのだ。
こういう自信は、どんどん高めてゆくことが出来るのですね。
そしてそれは、押し寄せる無数の「不安」に対する心強い味方となります。
心身の健康を保つ事
自信を養う事
私たちが「ネガティブ感情」に立ち向かう指針は、ざっくりこの2つなのですね。
バランスよくこの2つの対処をする事が、無数に訪れる「ネガティブ感情」との付き合い方の本質と言えるでしょう。