「復讐劇」にみる人間の本性~「愚痴」と「快感」~

凄惨な「復讐劇」に目を覆いながらも…

「復讐劇」を描いたストーリーって、結構多いですよね。
漫画でも映画でも、復讐に燃えるキャラクターが、憎き復讐相手を、ジワジワ、ジワジワと追い詰めていく。
そんな有様を描く物語は多く、また多くの人に好まれているような気がします。

最近たまにアマゾンプライムで映画を視聴するんですけど、『告白』という映画が本当に、凄まじい「復讐劇」でした。
湊かなえの小説を映画化したもので、松たか子が主演の映画です。

ある中学校の女性教師(松たか子)が、男子生徒2人に幼い愛娘を殺害され、しかも事故扱いで2人の男子生徒は罪に問われなかった。
また仮に罪に問われても、14歳未満であるため法律に守られ、実刑を課せられない。
それで、自らの手でこの2人の生徒に復讐することを決意し、教師を辞めて、あの手この手でその2人をジワジワと、追い詰めていく…
そんな、女性教師の中学生に対する復讐というストーリーでした。

そのスタートとして、その教師が復讐のために教師を辞め、学校を去る日の最後のホームルームで、その2人が犯人であることをクラスの生徒たちだけに告げてしまう。
たちまち2人は、クラスメートから「人殺し」として認識されてしまうことになりました。

その後の、その2人の追い詰められ方がまた、見るに耐えない悲惨な有様でした。
1人は学校に通い続け、クラスメートたちから「制裁」と称した執拗なイジメに日々遭い続ける。
もう1人は家に引き籠もり、精神的にどんどん崩壊してゆく。

それら全てが、実はその女性教師の手回しにより、加速度的になされるものでした。

私はこの映画を見ながら、きっと最後に、どこかに、何かしらの救いのような展開があるのでないか思っておりましたが、
最後まで救いのない2人の生徒の苦悩にあえぐ姿が描かれて、終わるのでした。

「え…本当に何の救いもなく終わってしまった…」
というのが率直な感想で、映画を見終わった後、私は深夜の自室でなんとも言えない重苦しい気分に包まれていたのでした。

もう、さっさと寝ようかと思ったのですが、どういうわけか、もう一度、アプリを起動させてその映画のいくつかの場面を見返す自分がいました。

さっき「見るに耐えない」と思った悲惨な場面のいくつかを、私はなぜか「もう一度」見てから、床に就くのでした。
今思えば、表面上の気持ちとしては「見るに耐えなかった」だけど、その奥底にある本音は、「なんだか惹きつけられる」だったのかもしれません。

確かに見終わった瞬間は、
「この悲惨な場面の数々、最後まで救いのないストーリー、これいったい、誰得なの…?」
みたいな思いにかられたのですが、よくよく考えると、色んな所に「人間」とは何かを強烈に訴える場面があったように思います。

特に、一貫していたのは
2人の男子生徒を「嬉々として」追い詰め、崩壊させてゆくクラスメートたちの姿です。
そして印象的なのは、復讐を企て続けた女教師の、最後に生徒に決定的な「トドメ」を突きつけた時の「してやったり」顔。

「復讐」や「制裁」という大義名分の元に、徹底的に人を追い詰めることに大きな快感を感じている人間の姿でした。

加速する残忍な「本性」

とても印象的な場面がありました。
これも、ついもう一度見返さずにいられなかった場面の一つなのですが。
クラスメートたちの前で「人殺し」の罪を教師に暴かれて、学校に出てこれなくなり家で引き籠っている男子。
その男子に、事情を知らない新しい担任の先生が、
「クラスメートみんなで寄せ書きを書こう」
と提案しました。
よりによって、「人殺し」としてクラスメートから「制裁」の対象とされている男子に、そのクラスメートがメッセージを送るというシチュエーションが出来てしまった。

生徒たちは、色紙に様々な「励まし」のメッセージを書き込みました。
そのたくさんの「温かい」メッセージの中に、特に色を付けて強調したメッセージが6つありました。

「人はみんな」
「孤独じゃない」
「ロクでもない世の中だけど」
「しあわせになろう」
「しんじよう」
「ネバーギブアップ」

この6つそれぞれの「頭文字」を拾ってつなげると、
「人 孤 ロ し …」
…そういうことです。
励ましを装って残酷なメッセージを届けるという「仕掛け」が入った寄せ書きだったのですね。

「温かい言葉」「綺麗な言葉」の中に、「これ以上無く追い詰めるメッセージ」を含めるという構造がまた、
残忍性を際立たせますね。
無邪気な笑顔で、結束して、ここまで人を追い詰められるものなのかと恐ろしく感じます。

「復讐」や「制裁」は、最初は「悲しみ」や「悔しさ」や「正義感」から行動を起こし始めるのかもしれません。
だけどたいていのストーリーでは、相手を追い詰めれば追い詰めるほど、追い詰める側に一種の快感が芽生え始めるのですね。
自分が強者となり、相手が弱者となり、その上に立って、とことんまで追い詰めてゆく…
このシチュエーションに、だんだんと快感を覚え始めてしまう。

こういう本性を人間は持っているのかもしれないですね。

子供の頃に、虫をつかまえて、かなり酷いことをした経験はあるでしょうか。
「虫」の前なら人間はもう絶対的強者ですね。
圧倒的強者である人間を前に虫たちはただ、「殺されまい」と、逃げ惑うしかありません。

そんな虫を少年の小さな手は捕まえて、バタバタと足をもがく様子を楽しげに眺めて、弄ぶ。
その目は好奇心に満ちてキラキラしています。

そんないたずら好きの少年でなくても、家の中に「気持ち悪い」と感じる虫が出たら、逃げ惑う彼らをどこまでも追い詰めて、バシっと仕留めてしまいます。
ハエ叩きか何かが、奴らにクリーンヒットした瞬間、どこか「やった!」という快感を覚えてしまう心は、ごまかしようがありません。

もしこれが人間同士の間でなされていたら、言葉も失うほどの残忍な光景になるでしょう。
「弱者をいたぶることが楽しくて仕方がない」
そんな残酷な本性を私達は心の底に抱いているのかもしれません。

ただ、「人間」相手にはその残忍性は基本的には表面化しないだけなのですね。
だけどもし、一度、
「復讐」や「制裁」という大義名分が与えられ、
相手を思い通りにできる「強者」のシチュエーションが与えられ
まして集団で結束してしまったならば
その残忍性は、動物であろうと人間であろうと、容赦なく牙を向き始めます。

とはいっても普通は、現実にはこういう残酷なことはできないので、
せめて映画や小説のような「物語の疑似体験」で、そういう残忍な願望を満たそうとするのかもしれません。
「見るに耐えない」と言いながら、一方で残酷なストーリーや場面に心が惹かれてしまう。
「なんて酷い事件なのか」と言いながら、ワイドショーや週刊誌で報じられる「残忍な事件」に対する注目度はいつも高い。

「こんな残酷なシーンやストーリー、いったい誰得?」
なんて思っていますが、自分の本性を知れば知るほど、「誰得」なんて言っていられなくなります。

「愚かさ」の本質に気付いた時…

仏教が教える人間の持つ「煩悩」の一つに「愚痴(ぐち)」というものがあります。
この2文字の漢字が示す通り、「愚かな心」ということです。
「智恵」の真反対が「愚痴」です。

何が「愚か」かって、とんでもないところに「幸せ」を見出そうとしてしまうところです。
自分の「幸せ」を、他人の「不幸」と比較して、際立たせようとしてしまうところがあるのですね。

「人の不幸は蜜の味」
なんて言われますね。

「弱者」の前に「強者」たる自分が立ち、目の前の「弱者」がどんどん追い詰められてゆく…
そこに何とも言えない快感を覚えてしまう。
ジワジワ追い詰められてゆくほど、快感もジワジワ高まる。
他人の不幸と自分の快感が、相関関係を成してしまっている。

こんな所に「幸せ」を見出してしまう心が「愚痴」です。

この「愚かさ」の本質は、
「因果応報の道理」が見えていない
という所にあります。

「因果応報」とは、「原因に応じた結果が報いる」ということ。
つまり、
自分の行いに応じた報いが、他ならぬ自分に現れる
ということです。

ということは、自分がやった「残酷な行い」は、他ならぬ自分に「残酷な結果」をもたらしてしまうということです。
だから、「愚痴」は愚かと言われるのですね。
「幸せ」や「快感」を求めながら、自分に恐ろしい結果を生む原因を造ってしまっているのです。
他人の不幸を嬉々として注目し、あまつさえ、自分の手で他者をジワジワ追い詰めて快感を覚える。
そんな「残酷な行い」が、他ならぬ自分に残酷な結果をもたらす「種」を残してしまっているということです。

「そんなあなたは今、どんな行いをし、どんな原因を造っていますか?
その原因は、自分にどんな結果をもたらすでしょうか?」

このことに、全く目が向けられていない状態「愚痴」です。

これは人間の持つ「煩悩」の一つなので、無くすことができないのですね。
だから大切なことは、こんな「愚痴」の心を持っている自分をよく見つめてゆくことです。

気づかないことが、最も恐ろしいことですから。
「愚痴」に陥っていながら、それに気づかなければ、甘い蜜のような快感を求めてどこまでも「残忍」の種蒔きが続いてしまいます。
もうそこに歯止めがかかりません。

「今、私は「愚痴」に陥っている…?」
少しでもこんな認識を持つことができれば、そこから行動は変わっていくはずです。
自己を知り、因果応報を知る「智恵」を身につけてゆくことが、己に打ち克ち、道を誤らないための大切な道しるべとなることでしょう。

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