「憧れの人」の共通点
あなたの周りに、「カッコいい人」「憧れる人」はいるでしょうか。
何人か、思い浮かぶでしょうか。ちょっと、思い浮かべてみてくれますか?
さて、あなたの思い浮かべた人、どんな人ですか?
と尋ねたなら、色々と特徴が挙がると思いますが、きっと、このことは共通しているのではないかと思います。
それは、
その人は、「行動している人」ですよね。
当たったでしょうか?
まさか、口だけの人じゃないと思います。
まかり間違っても、家でユーチューブやブログのコメント欄に批判コメントばっかりしているだけの人ではないと思うのです。
「あの人があんなことを言うから」「周りがこんな感じだから」と、なんだかんだ言って、結局何も行動しない人、でもないと思うのです。
「行動している人」が格好いいのですよね。
自分に「これは自分がやるべき」と心に決めたことがあって、それを実地に「行動」している人に、人の心は動かされ「本物だな」と思わずにいられないのです。
「言うは易し、行うは難し」
と昔から言われている通りです。
いつの時代でも、理想を語る人、批判を語る人は、どれだけでもいます。
まして今日のように、インターネット、SNSが発達している時代はなおさらです。
だけど、昔も今も、「行動し続けられる人」は、少ないのです。
もしあなたが、自分ですべきと心に決めたことを「行動し続けている」人であれば、そのこと一つで、世の中の「理想を言うばかり」、「批判するばかり」の人よりもずっとずっと立派で、格好いい人だということができます。
「行動」に対する日本独特の哲学
「じゃあ、行動する人になりましょう!」
という話になるのですけど、実は日本には、この「行動」に対する独特の考え方があるのです。
「業(ごう)」という言葉を聞いたことがあると思います。
これは仏教に由来する言葉で、インドの言葉では「カルマ」とも言います。
意味は、「行為」ということです。
この「業」という一文字に、仏教に由来する日本独特の哲学が込められています。
そして、この哲学を理解すればするだけ、周りはどうであれ、自分が「やるべき」と心に決めたことを行動し続ける強い信念が養われます。
今回はその「業(ごう)」という言葉に込められた哲学についてお話ししていきたいと思います。
ところで、「業」というと普通は「ぎょう」と読むのですが、たまにこれを「ごう」と読む日本語があります。
その代表的なものが、「自業自得」という言葉です。
この言葉は、「歩きスマホをしていたらつまづいて転んだ」というようなロクでもない結果に見舞われた人をたしなめて反省を促すようなときに
「それはあなたの自業自得だよ」
というように使っています。
何かが起きたとき(しかも大抵悪いこと)に、その結果に対する評価を加えるような形で「自業自得」と言っています。
その結果は、「自分の行い(業)が、自分に返って(得)きた」ものだということで「自業自得」ですね。
また、あなたの行為に対して
「その行為の結果はあなたに返って来ますよ。」
というときでも「自業自得」と言います。
自分の行いは、自分にその結果をもたらす、という意味ですね。
ここまではよく知っていることと思います。
「自業自得」をあなたはどのくらい信じていますか?
そこで問題は、この「自業自得」をどのくらい信じているか、ということなのです。
ある程度は自業自得を信じて生活していると思います。
じゃあ、どの程度あなたは自業自得を信じていますか?
この質問についてちょっと考えてみて欲しいのです。
①それは100%間違いないことだと信じています。いつでもどこでも、自分のどんな行いも必ず自分に返って来ると私は信じています。
そんな風に信じているのでしょうか。
②まあ大抵のことは自業自得で、自分の行いが自分に返ってくるのだろう。だけど100%とは言えないだろう。中には例外だってあるんじゃないか。
こんな感じでしょうか。
③いやいや、自業自得なんてのはごく稀のこと。基本的に自分の行為は自分に結果をもたらすものじゃない。たまにそう思えるようなことがあるだけだよ。
こんな思いの人もいると思います。
あなたは①~③だと、どれが一番近いでしょうか?
正直に言うと私は、「業(ごう)」の哲学を理解するまでは③の感覚でした。
実は③は、私自身のかつての思いそのものです。
本当に、そんな感覚だったのです。
あなたは、どうでしょう?
世の中の分かりやすい仕組みで、
「学校で教えられた内容を勉強すればするだけ、学校で決められたテストの成績が上がる」
とか
「会社で与えられた仕事をこなせば、会社で決められた基準で評価されて給料が上がる」
ということは、理解できました。
だけど、そんな細かいルールや基準のある世界ばかりじゃないですよね。
学校の外、会社の外、組織のルールから離れたところでやる行いの一つ一つ。
その行いにも、本当に自分に何らかの報いをもたらす力があるのか?
それが私には信じられませんでした。
テストでいい点を取ること、決められた仕事をこなすこと、ならばある程度自信を持てるけれど、それ以外の場面で結果を出すことには、それほど自信が持てない…
そんな有様でした。
あなたはどうでしょうか?
学校で勉強すれば成績が上がる。
会社で真面目に働けばそれなりに評価してもらえる。
それ以外の場面でも、学校の外でも会社の外でも、自分の行動一つ一つが、自分の結果を生み出すということに確信できるでしょうか?
まさにそういうところで、「自業自得」をどれ程信じているかが現れてきます。
もし、学校や会社の中でも外でも、他人が見ていようが見ていまいが関係なく、自分の行いは自分に結果をもたらす。
そう確信できたならどうなるでしょう?
間違いなく「行動する人」に近づけますよね。
人間のルールで決められた場面以外では自分の行動に自信を持てなかった私が、「行動」そのものが自分に結果をもたらすという確信を持った瞬間から、どれほど可能性が広がったことか知れません。
その鍵は、「業(ごう)」に込められた仏教思想を理解することにありました。
次回は、その内容を詳しくお話ししたいと思います。