気がつけば「ダラダラモード」この大敵
「今日は家に帰ったら、ああして、こうして、これをして…」
「やるべきこと」が山積みの状況で、やる気に満ちた心持ちで家路を歩く。
そして、家について部屋のドアを開ける。
すると、どういうわけか、部屋に入って
「ふうっ」
と一息ついたあとから、
「とりあえず」「なんとなく」
スマホを意味もなくいじっていたり、
座り込んでしまって「ぼーっ」としていたり、
なんとなくテレビを見ていたり、
そうこうしていると気づけば時間が過ぎてしまっていて、結局「何をした」ということもなく、
夜が更けて、「もう寝なきゃ」という時間になってしまう。
こんな風に、思い描いていた通りの行動が全然できないことに悩むことはないでしょうか。
私も、家に帰ってしまうと誘惑が多いので、やることが一杯あるときは、なるべくカフェのような家以外の場所で過ごすようにしています。
とはいえ、もちろん毎日家に帰るので、家に帰っても変わらず、「やるべきこと」をちゃんとできるようでありたいですよね。
もし、ダラダラと過ごしてしまう時間を全部カットして、自分にとって本当に必要な行動に注ぐことができたら、どれほど人生を有意義にできることか。
そういうこと、考えません?
もちろん、息抜きや休息は必要です。
だけど明らかに必要以上に「ダラダラ」モードが長いような気がする。
多くの場合はそうではないかと思います。
やっかいなことは、「無為に時間を過ごしてしまうモード」に入るのがいつも「無意識」だということです。
「よし、今から無駄な時間を過ごそう」なんて思うようなことはありません。
なのに、なんとなく「行動」がそういう方向へと引っ張られてゆく。
こういう「なんとなくの行動」だからこそ、その制御が難しいのですね。
明確な意識によって「決定」した上での行動ではないのです。
「なんとなく」ダラダラな行動をしてしまっている自分がいる。
そんな「行動」を一体どうやって防ぐのか…?
「ダラダラモード」にハメるマジシャンの正体
しかし、だからと言って、そのダラダラモードの行動は、自分の「心」と関係なしに体が勝手に動いているのかというと、そんなハズがありません。
必ずどこかで、そういう行動をさせる「心」が私の中で動いています。
あまりにもその「心」が、さりげなく、不意に起きていて、それが恐ろしくスムーズに「体」での行動に結びついているので、さも、「体が勝手に動いている」かのように思うだけです。
それはまるで、「マジック」のようなものです。
マジシャンに、うまく注意をそらされているその隙を突かれ、タネを仕込まれてしまう。
そして次に意識を向けたときには、世にも不思議な現象を目の当たりにされてしまう。
マジシャンはそんな「意識の隙」を突く名人なのですね。
マジシャンによって意識の隙を突いてタネを仕込まれ、不思議な現象を目の当たりにするように「仕向けられる」ように、
私達はまんまと「意識の隙」にタネを仕込まれて、気づけばダラダラモードに陥ってしてしまっているわけです。
その「タネ」を知らないから、私達はいつまでもまんまと無駄にダラダラ過ごすモードへと陥らされてしまうわけですね。
昨日も、今日も、明日も、明後日も、何年たっても、マジシャンの思うツボというわけです。
さて、さっきから、私達を欺きハメてくるマジシャンのような者がいるように話していますが、そのマジシャンの正体は何なのかというと、
それは「睡眠欲」です。
これは仏教で教えられる人間の代表的な欲の一つです。
私達はいつも「睡眠欲」と戦っていると言えるのですね。
「寝ていたい」
「楽がしたい」
「面倒なことはしたくない」
「それでいて、楽しく幸せな「結果」だけが欲しい。」
それが私達の偽らざる本音です。
会社にいる時や、やる気のある友達同士で集まっている時には、「名誉欲」という別の欲が味方してくれて、睡眠欲に勝って「努力精進」に向かえています。
だけど、家に帰って部屋で一人になると、名誉欲よりも睡眠欲が勝ってきます。
いつ何とき、睡眠欲に支配されてもおかしくない状況が出来上がってしまいます。
なにくそ、そんなものに支配されてなるものか
と私達は気を張ってみますが、そんな緊張をあざ笑うかのように、「睡眠欲」は意識の隙に入り込んで私の行動を支配してしまいます。
そしていつの間にか、ダラダラモードに入ってしまっている…
これはかなり分の悪い戦いを強いられることになります。
だからこそ「名誉欲」という最強の味方を常に活性化させるために、
「なるべく家で一人ではいない」
とするのも有効な一つの手ということになります。
だけど、分が悪いとはいえ、毎日毎日、睡眠欲とのサシの勝負では連戦連敗というのもシャクなものです。
いかに、睡眠欲に支配されるモードから逃れるか、その対策をお話したいと思います。
打つ手は「迷路をシャットアウト」
私達の生活は、「行動」の連続です。
行動に次ぐ行動を重ねて、私達の生活は展開されてゆきます。
あたかもそれは、一つの「道」のようなものです。
「行動の積み重ね」という「道」を歩んでいるようなものと言えるでしょう。
家に帰って、上着を脱いで、携帯電話を充電器に繋いで、カバンからあれを出して、これを出して…
着替えて、入浴の準備をして、入浴をして、歯を磨いて、炊飯器に米と水を入れてタイマーをセットして(あ、無洗米を使ってます)…
これら行動の一連が、家に帰ってからたどる、一つの「道」というわけですね。
私達が歩む「行動の連続」という「道」は、基本的にはある「目的」へと向かっています。
いま挙げた一連の行動は、
「明日の最低限の準備ができた状態で、リラックスして寝る」
という「目的」に向かって行動です。
そういう道を歩んでいる間は、ダラダラモードとは言わないですよね。
行きたいところへたどり着くための「道」をしっかり歩んでいる状態です。
ところが、しばしばその「道」からそれて、「ダラダラモード」という、混沌とした無秩序の「迷路」へと迷い込んでしまうことがあるわけです。
なんとなーく、YouTubeを起動させて、「あなたへおすすめ」の動画を見ては、それが終わるとすぐ次の「関連動画」を見て、時が過ぎてゆく…
なんとなーく、本棚に並んでいる漫画の気になったものを手にとって読み始め、ついつい引き込まれてゆく…
「特にこれを見たい」というものがあるでもなく、
「特にこれを読みたい」というものがあるでもなく、
惰性でネットサーフィンをしていたり、漫画に目を落としていたりしているのが、
ちょうど無秩序な「迷路」に迷い込んだようなものです。
「睡眠欲」は、こういう状態が大好きです。
何かを一生懸命考えなくてもいい、ただ、ぼーっと惰性の動きで色んなエンターテインメントに触れているのは、気持ちも楽なものです。
もう、現実に戻りたくない。このゾーンにもうしばらく浸っていたい…
これで、時間はどんどん過ぎていきます。
経験上、これはあんまり実りがないのですね、残念ながら。
もちろん、その中でたまに、ためになる情報や興味深いものに出会うこともあります。
だけどそれ以外の圧倒的な時間は、本当に「なんとなく」「惰性」で、スマホやパソコンや漫画を眺めているような状態です。
きっと、過ぎてしまった時間を見て、
「あーあ」
というため息が出てしまう場合が多いのではないでしょうか。
今日もまた、睡眠欲に負けてしまった。
やるべきことがあったのに、やりたいことがあったのに、「なんとなく」の惰性に任せて時間を失ってしまった…
こんな悲しい後悔が待っています。
問題はこういう、不意打ちのような睡眠欲の衝動にかられて時間を過ごしてしまい、
本来やるべきこと
本来やりたかったこと
が、できないということですよね。
そうならないために、せっかく歩んでいた「道」をそれてしまって、「迷路」に迷い込んでしまうことを防ぐ。
このことに焦点をあてることが大切です。
ただ、
サボらないようにしたい。
頑張りを継続したい。
有意義に時間を過ごしたい。
と思っているだけでは、あまりに漠然として、「睡眠欲」の付け入る隙が大きすぎると言わざるを得ません。
「睡眠欲」が心の隙に入り込んでくる定番のタイミングを的確に認識する必要があります。
それが、「迷路に入る」というタイミングであり、
なんとなく、無目的、無秩序の行動に陥るタイミングです。
まさに釘の刺し所はここだということです。
他のことは、とりあえず目をつぶってもいいと思います。
「どうしても、この漫画を読みたい」
「どうしても、このユーチューバーの新着動画を観たい」
「どうしても、このアニメが観たい」
こういう明確なのは、とりあえずこの際、許容してもいいとしましょう。
(もちろんここも、よりコントロール出来るに越したことはありません)
だけど、
無目的、無秩序のダラダラモードの「迷路」
ここにだけは入らない。
ピンポイントにこのことを心に決めることです。
これが「睡眠欲」に付け入られ放題を防ぐための現実的な策と言えるでしょう。
シグナルは
「ぼやっとした目的の行動をやりかかっている…」
この感覚です。
この段階で気づいて、それを遮断し、あくまで「目的」に向かった行動の「道」を歩むこと。
これができれば、本来やるべきこと、やりたいことにずっとずっと、貴重な時間を費やせるはずです。