目に見えない「影響力」の正体~人を動かす「テンション」とは~

「場」の「テンション」に注目すると

「今日はずいぶんテンションが高いね」
「今日はちょっとテンション低めで…」

こんな場面で言われる「テンション」というのは、「気分」「感情」のような意味だと思います。
たぶん「テンション」と言ったらほとんど、
「テンションが高い」
「テンションが低い」
と、「気分の上がり下がり」の意味で言われるものだと思いますし、私もそんな意味で「テンション」と言っています。

もともと「テンション」という言葉はそんな意味ではなかったそうです。

「テンション」とは、もともとは「緊張感」という意味だそうです。

一本のロープが、緩んでいる状態からピンと張り詰めた状態にすることを、
「ロープにテンションをかける」
と言います。
これは物理的に「張り詰めた」状態という事になりますが、
目に見えるロープばかりでなく、目に見えないその「場」の空気感が、ピンと張り詰める事がありますね。

学校の教室の中で、生徒たちが和気あいあいとおしゃべりしている。
そんな中に、とても厳格な雰囲気を漂わせた先生が扉を「ガラガラッ」と開けて入ってきた。
生徒たちは、急いで自分の席に戻って先生の方を見つめる。
先生は、厳しい雰囲気のままで教壇に立ち、教室中をジーッと見渡す。
そして、重々しい口を開いて、
「大事な話をするから、よく聞きなさい」
と語り始めた…
その時、教室のテンションが高まってゆく…

こんな風に、一人の人間の影響力で、ゆるゆるだった空気が突然張り詰める。
そんな場面が私たちにもありますね。

目には見えないけれど確かに存在する「場」の「緊張感」
それは、人と人との関係によって作り上げられる、一種のコミュニケーションの形と言えます。
そんな「緊張感」のことを、「テンション」と言うのですね。

もともとそんな意味だった「テンション」が、やがて、単なる「気分」というような意味で、
いつからか使われるようになったのでしょう。
今ではほとんどが、一人一人の「気分」という意味で「テンション」という言葉は使われます。

「テンション」には、今お話したような2つの意味があります。

「緊張感」を表す「テンション」と
「気分」を表す「テンション」。

単なる「気分」なら、いち個人の問題であり、一人でいる時でもテンションの上がり下がりは起きています。

それに対して「緊張感」を表すテンションは、その「場」に漂っているものであり、
人と人との関係の中で生まれてくるものです。
そして実に、この「テンション」を自在にコントロールする事が、最強のコミュニケーションの方法と言うことができます。
「言葉」を操るよりも、「テンション」を操ったほうが、ずっと優位に他人との交渉を進めることが出来るという事です。

そんな、他人との関係を左右するコミュニケーションの形として扱われるのがこの「緊張感」を意味する「テンション」なのですね。
そんなこともあって、この意味の「テンション」はとても興味深い概念です。

「テンション」が及ぼす桁違いの影響力

目には見えない、耳にも聞こえない。
だけど、人と人との間に確実に存在している「テンション」
五感で認識できないモノであるため、見落としがちなのですが、とても大切なものなのですね。

私たちがこの「意識」で考えることは、
「どんな言葉を話したらいいか」
「どんな動作をすればいいか」
という目に見えるもの、耳に聞こえるものばかりなのかもしれません。

明日、参加するイベントで初対面の人と会う予定があるとして、
相手にぜひ好印象を持ってもらいたいと考えるのですね。
そして、その為に、
最初にどんな一言を言ったらいいか。
どんな話題を出せばいいか。
自分についてどんな事を話せばいいか。
相手のいい所をどんな風に褒めればいいか。
そういうことを考えると思います。

確かに、どんな言葉を話すかで、相手に対する影響も変わりますし、相手との関係性も変わるでしょう。
だけど、「言葉」はある意味ただの「情報」です。
国の文化によって人工的に作られたコミュニケーションツールとしての「言葉」
それは、相手にはただの「情報」として、相手の「意識」の中に入り、そして処理されてゆく。

だけど、その「場」に漂わせた「緊張感」は、ダイレクトに相手の感情に作用します。
相手が、脳や意識で処理する余地もなく、そのまま感情に伝わり、感情を動かしてゆくもの。
それがこの「場」の「緊張感」というものです。
そんな「緊張感」を伴わせて、的確な言葉を相手に伝える。
これが出来る人は、とても上手に相手との交渉を運んでゆけます。

「人間は感情の生き物」とよく言われます。
確かに人間は理性や意識が高度に発達している生き物には違いありませんが、
そんな理性や意識は、ただの高度な「手段」であって、「私の行動」を根本的に突き動かすのは「感情」だ、ということです。
「理性」で動いているようでいて、その実態は「感情」で動いている。

どんなに的確な言葉で、非の打ち所のない理論を展開して「説得」されても、私の感情が「この人嫌い」と言っていたら、
その人の言う通りに行動しようとは、どうしてもなれないのですね。
私の感情が、「この人にはついて行きたい」と言っていたら、さほど言葉や理論が十分でなくても、
「大丈夫、きっとうまく行きますよ」
の一言で、もう行動準備体制に入っていたりするのですね。

その「感情」にダイレクトに影響を及ぼすものが「テンション(緊張感)」です。

テンションを操れる人とは

いい具合に場の「テンション(緊張感)」を高められる人は、「動作」が洗練されていますね。
それも、具体的に「この動作」が良いと、特定できるものでもなくて、
一つ一つの「普通の」動作に、
「落ち着き」や
「安定感」や
「自信」や
「信念」など
目に見えないその人の「魅力」を反映させている感じです。

それが何気ない動作の一つ一つにあるのですね。
「コートを脱ぐ」という動作や
「コップで水を飲む」という動作や
何気ない話をしている時の「視線」や
歩いている時の「姿勢」など
日常の基本的な「動作」から、「なんとなく」にじみ出ているものなのですね。

具体的に言えば
「目」が泳いでなくて、強いアイコンタクトが出来る、とか
無駄なジェスチャーがなくて、挙動に落ち着きがあるとか、
姿勢がよくて背筋がピンとしているとか、
そういう基本的な「動き」が洗練されていればいるほど、その人の存在によって、
ほどよい緊張感を生み出すことができます。

逆に、どんな「言葉」や「理論」を展開することができたとしても、
どんな「会話テクニック」みたいなものを駆使したとしても、
「目」が泳ぎまくっていて、ソワソワした挙動でやけにジェスチャーがうるさくて、猫背で…
そんな風に基本の「動作」が崩れまくっていては、緊張感も何もあったものではありません。

「他人の感情にダイレクトに影響を及ぼす」
と聞けば、何かそういう特殊なテクニックがあるかのように思いますが、
そんな都合のいいテクニックがあるわけではありません。
もちろん、「より効果的に感情にアクセスするためのテクニック」というものはあるでしょうけど、
それらのテクニックも「洗練された基本動作」という土台の上にこそ、生きるものです。

仏教ではそういう様々な「動作」のことを「業(ごう)」と呼ばれます。
「業」とは「行い」ということですから、基本的な日常動作も含むあらゆる行い「業」です。

私たちは、直接他人や社会へとアクセスするような自分の「行動」は、とても大切にします。
会社へ言って、上司や同僚に挨拶することや、
仕事で高いパフォーマンスを発揮することや、
友達に親身になってあげることや
SNSで興味を引くような話題をアップすることなど。
そんな行動が、他人に対して、社会に対して影響を与え、その結果が自分に返ってくる。
このことは誰でも分かります。

逆に、一人でいる時や、誰も見ていない時の行動のように、
理屈から言って、その行動が自分の将来に影響を及ぼす効果があると思えないモノもたくさんあります。
自分の部屋の机をキチンと整理した、
会社の廊下のゴミを、誰も見ていないところで拾った、
普段の人間関係に関わりのない、何処かの店の店員さんにとても優しく接した、
見知らぬ人に電車で席を譲った、
別に、それをやったからと言って会社で評価されて給料が上がることもなければ、友人関係が良好になることも見込めない。
そんな行動だって日常にはどれだけでもあります。

私たちの感覚ではそうなのですが、仏教では「業」(行い)は必ず、自分にそれ相応の結果をもたらすと教えます。
その「業」は、
人が見ている、見ていない
社会的に評価される、されない
家族や友人への人間関係への直接的影響の有無
そんな事と関係なく、確実に自分の未来を造ってゆく。
このことを「自業自得」と言われます。

この道理に則って、人が見ていようといまいと、直接の利害に関係あろうとなかろうと、
「自分の行い」をとても大切にしている人は、目に見えない「人徳」が自分の中に備わってゆきます。
こういった「積み重ね」こそが、基本動作の一つ一つに、何気ない形で現れていたりするのですね。

そうやって、「場」に絶妙な「テンション」を生み出せる「人」が形成されてゆきます。
そう考えると「テンション」は、その人の生き様そのものが問われるテーマであり、
目先の利害を超えた「行動」が結果に結びつく場面の一つなのですね。

そんな目に見えない「テンション」に注意を向けることで、それまでおろそかにしていた「行動」の大切さに気づけることでしょう。
「目に見えないけれど、確実に存在していて、人生に影響を与えるもの」
そういうモノに目を向けることが、どんなテクニックにも勝る、人生を好転させる方法なのですね。