行動を貫く信念の源泉~「業(ごう)」の哲学~③

「行為は保存される」という業(ごう)の哲学

「業(ごう)」の哲学について、ここまで2回にわたってお話ししてきました。

「行動が大事」なんてどこでも言われていることなんだけど…
「一歩」が踏み出せない
「継続」が出来ない

こうなりがちだから、本当に自分の行動を貫けるような人はなかなか少ないのかもしれません。

逆に言えば、これさえ出来ればそれだけで、数少ない成功者となることができることでしょう。

ここでは、「行動を貫く信念の源泉」についてお話ししています。
それが、「業(ごう)」の哲学を理解することです。

仏教で「行為」のことを「業(ごう)」と言われます。
前回、「行為」を表すいろんな言葉を紹介しましたね。覚えているでしょうか?
業種子(ごうしゅうじ)
業因(ごういん)
業力(ごうりき)
いずれも私の「行為」を表す仏教の言葉です。

「行い」とは、田圃や畑に「種子」を蒔くようなもの。
種を蒔けば、蒔いた種に応じた実がなるように、「行為」をすれば、それが他人が見ていようといまいと関係なく、「原因」となって残る。
そしてその「原因」に応じた「結果」が、私の運命となって現れる。

これを「自業自得」と言われます。
簡単に言えば
「自分の行いは、必ず自分に返ってくる」
ということですね。

世の中のあらゆる学問の根底にある「原因があれば、必ず結果が起きる」という「原因」と「結果」の法則を、「私」の上に当てはめれば、私のやった「行為」消えずに私の中に残るのです。

中学校の理科の授業で「質量保存の法則」というのを習ったのを覚えているでしょうか。

これは、
どんな物質も「形や性質を変える」ということはあっても、「無になる」ということはないことを教えています。

水の入った鍋に火をかけて沸騰させてそのままずっと熱し続ければ、やがて鍋は空になります。
だけど、水は「消えた」なんて、誰も思わないですよね。
水が「水蒸気」という目に見えない形に「変化」しただけです。

「有る」ものが「無」になるということは絶対にないというのが科学の鉄則になっています。

これは「原因」と「結果」の法則でもあります。
「原因」が、「結果」を引き起こすことなく「無」になるということは、絶対にないということを表しています。

これが、「私の行為」についても当てはまるということです。

私のやった「行為」は消えることなく「原因」となって私の中に残り、やがて必ず私の運命を「結果」として生み出す。

これが自業自得ということです。

証拠もない、目撃者もいない、記憶にもない、だけど…

植物の種子の中には、やがて芽を吹き実をならす元となる目に見えない力が宿っている。
ちょうどそのように、私の行為は目に見えない力となって、全て私の中に残っているということなのです。
これを「業力」と言います。

例えば、机の上に白紙を置いて、そこに絵を描いた。
その絵が残っていれば、私がその絵を描いたという行為の痕跡は残ります。
だけど、その絵を燃やしてしまった。
しかも、この絵は誰も見ていない。
さらに自分自身も、絵を描いたことを忘れてしまった。

痕跡も残らない。
誰も見ていない。
そして自分も忘れてしまった。

じゃあ、その行為は「無くなった」のか?

そうではありません。

行為をした以上、その物理的な痕跡を残せなくても、誰も見ていなくても、記憶に残らなくても、原因となって消えずに残るということです。
やった行いは全て、私の中に目に見えない「業力」となって残っているということです。

そして、何か「縁」に触れたときに、目に見える私の運命という結果となって現れるのです。

これが「自業自得」のしくみです。

この自業自得のしくみを理解して、私のやった行為はどんな場面であろうと私の中に種子となって残ることを確信すれば、自分の行動1つ1つの重みが全く変わります。

「行動」そのものの重みをどれだけ分かっているか。

この理解が、一歩を踏み出すための、そして、行動を継続するための、信念の源泉となります。

心理学的知識を学ぶことも有効でしょう。
成功哲学を学ぶことも素晴らしいことだと思います。
ハウツー本からいろんなテクニックを学ぶことも必要なことだと思います。

だけど、それよりも何よりも、自業自得の道理を理解することがそれらの知識を自分の軸としてゆく「土台」となります。

今日一日のあなたの「行為」

これまで繰り返し「行為」は消えずに残る、とお話ししてきました。

そのことをもっと具体的に、掘り下げたいと思います。

ちょっと、今日一日のあなたの行為を思い出してみて欲しいのです。
(まだ今日が始まったばかりであれば、昨日のでも)

朝から、色んな行いをして今に至っていると思います。
起きて、着替えて、顔を洗って、歯を磨いて、朝食をとって…
駅まで歩いて、電車に乗って、出社して、上司や同僚に挨拶をして…
昼休みに弁当を買って、お金を払って、食事をして…
思い返せば色々な行為をしています。

こうして文字にすれば、それぞれ単純な行為のようですが、1つ1つの行為を細かく見たならば、そう単純ではありません。

たとえば、「売店で弁当を買う」という行為一つとっても、

売店という狭い空間の中で商品を探すときに、どれほど周りに気を配っていたか
店員さんにお金を支払うときに、どんな風に受け皿に小銭を置いただろうか
何か話したならば、どんな声のトーンで話しただろうか
目を見て話していただろうか、下を向いたままだっただろうか

そんなちょっとした細かい違いから、同じような行為のようで、相当変わりますよね。

接客の仕事をしたことのある人なら、同じ買い物をするお客さんといっても、受ける印象は全然違うことを感じていることと思います。

こういう細かいことを全部ひっくるめて「行為」なのです。

こういう「行為」の細かい違いは、どこから現れてくるでしょうか。
それはまぎれもなく、その人の「」ですよね。
「行動の細かいところにこそ、その人の「心」が現れる」
と、よく言われます。

相手のことを好きか嫌いか、尊敬しているか見下しているか。
その私の「心」一つで、その人に挨拶するとき、その人の話を聞くとき、何かを説明するとき、細かいところで確実に私の行為に違いが現れます。
そしてそれは相手に、なんとなく伝わっているのですね。

「心でどんなことを思っているか」
これを仏教では「意業(いごう)」と言います。
心の行い」という意味です。

ということは、「心で何かを思っている」というのも紛れもなく「行為」だということです。
その「行為」も、消えることなく「業力」となって私の中に残るということです。
それが確実に私の運命という結果となって現れることは、先ほどお話しした例からも分かりますね。

成功哲学でも「マインドセット」と言って、「マインド」を「セット」することを重要視されています。
「心構え」とか「心の持ちよう」などと言い換えられますが、どのように心をセットしていたら良いかということを、色々と教えられます。

その具体的なマインドセットの内容の前にまず知って置いて欲しいことは、「意業(いごう)」は消えない、ということです。

「心で思う」ということは、ものすごい力を持っているのです。
「心で思っている」ことなんて、周りからは見えないし、聞こえない。
だから心で何を思っていようと自分に何も起こることはないと、どうしても思ってしまいます。

だけど、「行為」は田圃や畑に種子を蒔くようなものだという「業(ごう)」の哲学を思い出して下さい。
今、あなたが心の中で色々なことを「思っている」というのも、「意業(いごう)」という種子を蒔いているということなのです。
そこには、あなたの運命という結果をもたらす強力な力がこもっているのです。

だから、どの成功哲学でもマインドセットを説くのも当然のことです。
「心で思う」という「意業」こそが、常になされている根本的な私たちの行為なのです。
それは、私の人生を作る根本となるのです。

この自業自得の道理の理解を、ぜひこれからいろんなマインドセットを知る上での土台としていただきたいと思います。

「業(ごう)」の哲学があなたにもたらす最大の財産

最後に、自業自得について大事なことをお話しします。

それは、自業自得を理解すればするほど私たちは、自己に目が向き、「自己を知る」という最も大切なことにつながってゆくということです。

私たちは、自分の思っている以上に「自分」をなかなか見ることができません。
目が外側を向いているように、私たちの心も外に向かって、外界に振り回されてしまいます。

その心を内側に、自己に、向けるということはなかなか出来ないことです。

「灯台下暗し」
という諺が表す通り、周りのことは見えても、自己に暗いのが人間だということです。

それが、「業(ごう)」の哲学を深く理解すればするほど、自己に目が向いてくるのです。
なぜなら、自分の行為が無視できなくなってくるからです。
自分のやっていること、言っていること、思っていること。
それまでは「やったらそれで終わり」と思っていたのが、「業力となって、消えずに残る」と理解するのですから。
そして、全てが私の運命という結果を生み出す種となるのだと分かるのですから。
無視できるはずがないのです。

そうすると、これまで自分で気がついていなかった自分の行為の実態が、どんどん知らされて来るのです。
如何にこれまで、自分の行為に無頓着であったか。見落としていたか。
そういう、スルーし続けてきた自分の行為をごまかさずに見るようになるのです。

「自分」に対する理解が大きく変わることになります。

「自分を知る」
これは、日本の哲学でも非常に大きなテーマで、このブログでも詳しくお話ししていきます。

そしてこの課題を解く第一歩もまた、「業(ごう)」の哲学を理解すること、なのです。

そこからどんな「自己」が見えてくるのか。
また詳しくお話ししていきたいと思います。

それではまた!

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