「自分」へのモヤモヤを晴らす思考法~「因縁(いんねん)」の哲学~③

自己を見るブレない視点とは

「自分を考える」という時が誰しもあると思います。
友達や恋人と喧嘩して、「自分の何が悪かったのかな…」と考える時
就職や転職のタイミングで、「自分に合う仕事や職場って…」と考える時
結婚を考えている人がいて、「本当の自分はこの人を選んでいいのかな…」と考える時

いろんな場面で自分を考え、自分を見つめることがあると思います。

その時に、ただ漠然と
「私は…」
「僕は…」
と考えているだけでは、色んなモヤモヤや色んな感情に妨げられて、的確に見つめることは難しいのですね。

「自分」という最も身近で最も関心があって、だけど近すぎるがゆえに最も見えない存在。
そういうものを「見る」となると、他人を見る時とも違う、何かの現象を観察する時とも違う、独特の歪みが生じてとんでもなくズレた見方をしてしまうことが多いのが実態でしょう。

必要以上に過小評価したり、逆に自信過剰になったり、ある一面ばかりを見てしまっていたり…

そういう歪みやズレを極力抑える努力を私たちはもっと考えるべきなのですね。

では、どうすればよいのか。
そのことを、これまで2回にわたってお話ししてきました。

「自分」を合理的に見るための「視点」を持つことです。

その視点をもたらす「因縁(いんねん)」の哲学を、お話ししてきました。

「因縁」という言葉は仏教から来ている言葉で、
「一切のものは因と縁が揃って生じている」という道理を教えている言葉です。

「因」とは「原因」のことですが、この「因」を仏教ではよく植物の「種」にたとえられます。
前回も、そのようにたとえてお話しましたね。

原因が結果を生じさせることを
「植物の種(因)から芽が出て花が咲く」
とたとえられています。

この場合、種(因)が花を咲かせるのはどんな時かというと、そうなるための「条件」が揃った時です。

「条件」とは何かというと
土壌があること、適量の水分が与えられていること、ほどよい温度になっていること、日光が降り注いでいること…
などなど、色々ですね。

これらの条件が揃ったときに、種(因)は花を咲かせます。
これらの「条件」のことを仏教で「縁」と言います。

種に土壌や水分や日光などの条件が加われば花を咲かせるように、
「因」に「縁」が加わることによって、一切の「結果」は現れていると教えるのが「因縁」ということです。

「因」と「縁」と「結果」の関係が、植物の例だと非常に分かりやすいですね。

ですが、もちろん植物に限らず、あらゆる現象にこれはあてはまります。

店頭に並んでいるいろんな「製品」が工場などで生産される課程も
雨や雷や台風などの自然現象が起きる仕組みも
事故や事件などの社会現象も

すべては「因」と「縁」と「結果」の道理に則って生じているものばかりです。

この普遍的な道理に立って「自分」をみることを、前回までお話ししてきたのです。

植物の「種」に、土、水分、温度、日光…いろんな縁がそろって、花を咲かせる。

それと同じ道理で、「自分」にも色々な変化が起こっているのですね。
人との出会い、環境との出会い、そんな「縁」に触れたときに、新しい「自分」が現れる。
会社に入って社員となった時
子供ができて親になった時
後輩ができて先輩となった時
孫ができた時
そんな「縁」をきっかけに、これまでになかった感情が言動が出てきて新しい「自分」が現れる。

これはちょうど、植物の「種」に土や水分や日光という「縁」が加わって花を咲かせるのと同じことなのです。

得体の知れない「本当の自分」

そして、その「種」にあたる「因」は、私の心の奥底に潜んでいるのです。
これを「業因」と仏教では言われます。

歎異抄という古典に
「さるべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし」
という言葉があります。
これは、
縁さえ来たならば、どんな感情や言動、どんな「自分」が現れるとも知れない。
ということですが、
確かに私たちは出会い次第で、縁次第で、どのようにも変化すると言えるでしょう。
今の「自分」はそういう数々の縁をきっかけにあらわれた新たな新たな「自分」の集積だと言えるのです。

「縁」次第でどんな「自分」でも現れる。

ということは、それだけの「自分」を生み出す「業因」がすでに自分の奥底にあるということなのです。
どんな自分をも生み出す業因がある、ということですから、それは数え切れないほどの膨大な業因だということです。

その「業因」は、目に見えませんので私たちは認識しておりません。
認識できているのは、縁をきっかけに表面化した「自分」だけです。

その底にある膨大な「業因」の集合体。
それもまた「自分」なのです。
そして仏教では、自分で認識できていない、心の奥底にある業因の集まりこそが、「本当の自分」であると教えます。

青くて広い「海」の底には光の届かない真っ暗闇の「深海」の領域が広がっているように、
私たちの心の奥底に、自分でも認識できない真っ暗闇の領域があって、そこに得体の知れない膨大な業因が存在しているのです。

「本当の自分」は真っ暗闇の中にあって、得体の知れない存在である。

因縁(いんねん)の哲学を深めていくとそんな現実にぶち当たります。

前回までは、
「そういうものがあるんだな」
ぐらいにとどめて、その前提で、
「縁をきっかけに表面化して現れるものが「自分」だから、うまく縁を選んで、なりたい「自分」をデザインしていきましょう」
ということをお話ししました。

それと同時に、未だ知り得ぬ、心の奥底に潜む「本当の自分」を知るという課題もまた存在することを最後にお話ししました。

このブログでは、この「本当の自分」の領域にも踏み込んでいくつもりです。
今回の記事ではその詳細までは、とてもとても書き切れませんが、いずれその内容を扱う記事をアップしていく準備はあります。

ということは、仏教はこの「本当の自分」について、徹底的に説き明かしているのです。

…すごいですね。
そんな真っ暗闇の深海を説き明かすようなことが、どうして出来るのかと驚きますが、その内容の徹底ぶりを知ればなお驚きます。

私がその内容を学んで知る限りの精一杯を、お話ししていきたいと思っています。

「理想の自分」と「本当の自分」

ところで、
そんな「本当の自分」を知る必要があるのか?
という疑問が沸いてくるかもしれません。

だけど、「これは大事なことです」と声を大にして言いたいのです。
この「本当の自分」とはどういうものか、を知っていることの価値は大変なものなのです。

普通はそこに目を向けたりはしません。その必要性すら感じません。
せっせと、理想の「自分」を引き出す「縁」を求めて、その「自分」をデザインすることの終始する。
これが普通だと思います。

その結果、理想の「自分」を作り上げることができた。
自分が望む理想の生活を実現することができた。

こうなったらそれで、めでたしめでたし、ではないかと。

例えば、
理想の結婚相手という「縁」を手に入れて、幸せの結婚生活を満喫できている、とか。
理想の仕事を手に入れて、自分のやりたいことに全力注げる生活を満喫できている、とか。
理想の仲間やビジネスパートナーを得て、自由で充実した人生を実現している、とか。

こういう「人生の成功者になる」という夢を実現すれば、それでいいのではないかと。
確かにこれ自体は本当に素晴らしいことだと思います。
ぜひ目指していただきたいと思います。

だけど、そういう綺麗な面だけで片付かないのが人生だと言うことも、誰しもなんとなく分かっていることだと思います。

どんなに理想的な縁を手に入れて「人生の成功」を手に入れても、負の感情は必ずついて回ります。

傍目から見て憧れるほどの魅力を身に備えていて、理想の人生を送ってる人だなと羨むような人でも、他人からは分からない悩みはきっとあるでしょう。
不安感、焦燥感、物足りなさ、むなしさ、寂しさ…
そんな感情は、どんな理想的な縁を手にした「成功者」にも沸き上がって来るものです。

それは、そんな「成功者」の心の内を覗き見るまでもなく分かることです。
日本という国は世界から見れば、物質的な面でも教育水準の面でも治安の面でも社会福祉の面でも、抜群に恵まれた国です。
「縁」に恵まれていると言うなら、日本に住んでいるというだけで世界トップクラスに恵まれた縁がすでにあると言えます。
その日本が同時に「自殺大国」と言われるほどに年間で2万人を超える自殺者がいるのですね。
実際に自殺を実行してしまう人がその数なのですから、死にたくなるぐらいに辛い、苦しい、やりきれない、思いを抱いている人は、どれほどあるか知れません。
死にたくなるレベルまでいかなくても、そんな負の思いのない人なんていないわけです。

どんな理想的な縁に囲まれていても、払拭し切れない闇の面はどんな人間にもあるものですよね。
その闇の面もまた、自分の中にその種があるのです。

ただ理想を追求するだけでは片付かないものが人生だからこそ、「成功」に常に陰りを落とす闇の正体をちゃんと知っておくことが必要なのです。

そういう意味で仏教はどこどこまでも
「自分をごまかさない」
という姿勢を貫いていると言えます。

「心の奥底に潜む得体の知れない自分」の正体の解明はまた別の機会に譲りますが
自分の中に未知の領域があって、そこに良くも悪くも様々な「自分」を生み出す業因と呼ばれる種があることを、まず知っていただきたいと思います。

「理想の自分」をデザインしていくこと
「本当の自分」を知ること

この2つは両立できます。

そのバランスこそが大切だということを、今回のテーマの結論にしたいと思います。

それではまた!

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