「ハングリーであれ、愚かであれ」
アップルのCEOであった、故・スティーブ・ジョブズは、すばらしいプレゼンをされる方だったそうですが、
中でも「伝説のスピーチ」と言われるのが、スタンフォード大学の卒業式で行われたスピーチですね。
そのスピーチの締めくくりの言葉がまた有名で、こちらです。
“stay hungry stay foolish”
直訳すれば、「ハングリーであれ、愚かであれ」ということです。
これは色々と味わえそうな言葉ですね。
世界的にも有名な名門大学を今まさに卒業して、
良識をしっかり持って、社会で活躍してゆくであろう学生たちに対して
「慎まやかに、礼節を持って、良識をわきまえて賢く生きなさい」
などとは全く逆のこういうメッセージを送るところが、面白いですね。
だけど考えてみればそんな、「良識をわきまえて、賢く…」なんて、あのエリート中のエリートの若者たちには、
「今さらすぎる」メッセージかもしれません。
きっとスティーブ・ジョブズが、「彼ら」に今必要なメッセージを考えて、締めくくりにこういう言葉を送ったのでしょうね。
人間が、自分の持つ力の全てを出して、最高のパフォーマンスをするための心得としては、
“stay hungry stay foolish”
は、とても核心をついたメッセージだなと感じます。
「人間の本質」をごまかすことなく見たならば、この人生で「何事かを成す」のはこういう人ですね。
「人間」として、
アイデアを出して、
プランを練って、
実践を繰り返して、
時には困難や挫折に陥ってもそれを乗り越えて、
この世の中に「価値ある何か」を生み出すためには、それを支える原動力となるモチベーションが必要です。
それも、決して尽きることのない、失われることもないモチベーションでなければ、
「そこそこ」の所で終わってしまうのが関の山です。
学校で教わった良識や世の中の価値観や倫理や道徳で、
「こうあるべきなのだろうな」
と理解した。
そんな表面的な「意識」だけで、どれほどの原動力になるかと考えれば心もとないですよね。
自分の奥底から湧き出る、心から求める「願望」を知り、その「心の声」に従って行動してこそ、
その「行動」は自分の全力のパフォーマンスとなり、
その「行動」は決して絶えることなく、
その「行動」は、どんな困難や挫折や反対も妨げることができない。
着実な「結果」という実を結ぶまで「やり遂げる」行動となるのですね。
そんな「行動」を生み出すモチベーションをいかにして持つか。
そのためには何より「自分」をよく理解していなければなりませんね。
尽きないモチベーションの正体
仏教では、人間の本質は「煩悩」だと言われます。
人間を理解することは、そのまま、「煩悩」を理解することと言っても言い過ぎではないのですね。
そしてこの、自分の中の「煩悩」を無視して、自分の最高のパフォーマンスを発揮して結果を得ることは叶いません。
つまり、「綺麗事」ばかりでは、何もなせないという話です。
「煩悩」というのは決して綺麗なものではありません。
文字通り「煩わせ、悩ませる」ものであり、「清らかで澄み切った心」などとは対極をなすものです。
ただ、なにしろ「人間」の本質をなすものなので、本当に「煩悩」を掘り下げて、掘り下げて理解していこうとすると、とてもちょっとやそっとでは理解しきれません。
なにせ、全部で108つあるものが煩悩ですから…
ただ、一番分かりやすい理解は「欲望」という事です。
これが108つある中の代表格なのですが、おそらく多くの人の「煩悩」のイメージはこの「欲望」だと思います。
「煩悩が出てきたなあ…」
「煩悩が、ムラムラと…」
などと言う時はたいてい「欲望」を指していますよね。
一口に「欲」と言っても、色々な欲がありますが、欲望の本質は「我利我利(がりがり)」と言われ、
とにかく「自分(我)さえよければ(利)、自分さえ(我)満たされれば(利)」というように動いてゆく心が「欲」です。
「みんなのために、仲間のために、自分を犠牲にしても構わない」
というような美しい精神とは真逆です。
「みんな」でも「仲間」でもない。「自分が」です。
「他人」がではなくて、「自分」が満たされないと気がすまない。
そういうものが欲です。
「世界が平和であるように」でもなくて
「みんなが仲良くしているように」でもなくて
「大切な人が幸せでいられるように」でもなくて
「欲」が渇望していることはとにかく、この世の中の関わりの中で「自分が満たされること」です。
その手段が
「世界平和」ということもあるかもしれません。
「仲間同士の調和」ということもあるかもしれません。
「大切な人の笑顔」ということもあるかもしれません。
だけど、それらを通して「自分が」満たされていなければ意味がない。
それが「欲」というものです。
そんな自分の本質を無視して、
「いや、私は自分が満たされることなんて考えてなどいない」
「私はあくまで、周りのため、他人のために尽くしたいだけなんだ」
という「良識」だけを見ているのでは、大切なところが見落とされていることになってしまいます。
「他人を大切にしたい」という思考があることは、事実でしょうし、とても素晴らしい思考です。
ただ、その「思考」を生み出す根源は何かという事までごまかさずに観ることが大切で、
それが私たちの「欲望」だと仏教では教えられます。
他でもない「自分を満たさずにいられない」という強烈な欲望は、すべての「思考」(綺麗なものも含めた)の底に、常に渦巻いています。
常に、どこまでも満たされ切れない「欲」が、渇望の渦を巻いている。
それが人間であり、自分であるということは、
“stay hungry”とわざわざ言われなくても、真実は常に”hungry”状態だと言えます。
だけど、その事実を忘れずに「自覚」することが、自分の本当の原動力を知ってそれを最高のパフォーマンスに繋げる事ができます。
そういう意味で、やはり大切な教訓と言えますね。
「常識」破りの「ハングリー」
常識や良識で理論武装して、その「武装」こそが自分だと錯覚してしまっては、自分の大切な所を見落としてしまいます。
その底に渦巻いている欲望の”hungry”にこそ、よく目を向けることが大切なことです。
子供の頃はもっと、そんな自分の本質に素直に生きていたかもしれませんね。
子供の頃に欲しがったものや憧れていたものは、
「常識では…」
「世の中では…」
「社会人としては…」
という「良識」以前の、自分の強烈な「渇望」の現れと言えます。
もちろん、私たちは今は「大人社会」の中で生きています。
そんな「縁」に囲まれて生きている以上、それらの縁を無視してただ自分の欲望をむき出しにしては、
ただ痛々しいだけになってしまいますし、願望が叶うどころではありません。
痛々しい姿を晒すことなく、無駄な波風を起こさないための良識や常識は必要な手段に違いありません。
だけど常に、そんな良識や常識以前の、「欲望」が激しく動き続ける自分を見失わないことが何より大切です。
そんな本質から、真に力強いモチベーションが生まれ、豊かなアイデアが生まれて来るのだから。
常識から外れることは一見「愚か(foolish)」な姿に見えるかもしれません。
だけど、そんな姿こそが、常識以前の本当の自分の願望に従った姿だったりするのですね。
「痛々しい」まではいかなくても、「愚かしい」と思われる姿を晒すこともあるかもしれません。
そんな「愚かしさ」を歓迎できるぐらいの器であることもまた、願望を果たすため大事な要素ですね。
自分を常につき動かしているのは「煩悩」
他人から尊敬されたいし、スゴい、格好いいと思われたい。特別な人だと思われたい。
経済的にも潤いたいし、好きなものを買うだけの余裕のある暮らしをしたい。
それは、紛れもなく「自分が」満たされたいと渇望する欲望です。
とても「綺麗」とは言い難い、「大人」としてはさらけ出しにくい「心」です。
だけど、そんな「心の声」をよく聞くことが、自分の行動の原動力になります。
あとはそれを、いかに、自分にも周りにもWin−Winとなる形で出してゆけるかということですね。
“stay hungry stay foolish”
とてもシンプルで興味を引く言葉です。
「自己」の真実をごまかさずに観つめて、人間の最高のパフォーマンスを発揮する源を見つける
そこに繋げる強烈なメッセージとしても、味わって、噛み締めたいものです。