【小説】 町屋カフェ唯識 — 心の風景

※こちらは短編小説です。これまでのブログ記事で投稿してきているような、仏教哲学を語る文章を、AI技術の力を借りつつ小説風にアレンジしてみました。

町屋カフェ—唯識—

京都の町並みが夕日に染まる頃、大学での講義を終えたしのぶは、いつもの帰り道を歩いていた。ふと視線を上げると、古びた木造の町屋が目に留まった。看板には「町屋カフェ—唯識(ゆいしき)—」と書かれている。どこか懐かしく、穏やかな雰囲気を漂わせるそのカフェに、しのぶは吸い寄せられるように足を踏み入れた。

店内は静寂に包まれ、客はしのぶ以外に誰もいなかった。カウンターの向こうでは、50歳を過ぎたくらいのマスターが、丁寧にコーヒーの準備を進めている。木のぬくもりとコーヒーの香りが混じり合い、不思議な心地よさをしのぶに与えた。

「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」

マスターの声は穏やかで、どこか温かみがあった。

「コーヒーを一杯お願いします」としのぶは注文し、ふと看板の文字が気になって尋ねた。

「この『唯識』というのは、どういう意味なのですか?」

マスターはにっこりと微笑み、コーヒーを淹れながら答えた。

「その質問をしてくれたのは君が初めてだね。『唯識』というのは、仏教の思想から来ている言葉で、とても奥深い哲学が込められているんだよ。」

しのぶは興味をそそられ、目を輝かせた。

「仏教の思想ですか? 私、大学で哲学の講義を取ってるんですけど、『唯識』って初めて聞きました。どんな考え方なんですか?」

世界観の自覚

マスターはカップにコーヒーを注ぎながら、ゆっくりと話し始めた。

「唯識を学ぶということは、自分の世界観を変えていくことを意味するんだ。私たちは普段、無意識に何らかの世界観を持って生きている。でも、その世界観を自分で自覚していないことが多いんだよ。」

しのぶは少し首をかしげた。

「世界観って、自分がどんな風に世界を見てるかってことですよね? でも、私がどんな世界観で生きてるか、あんまり考えたことなかったかも…。たとえば、私はこの京都の町並みとか、古い建物が好きで落ち着くんですけど、それも世界観の一部なんですか?」

「そうだね」とマスターは頷いた。「君が京都の町並みに惹かれるのは、君の世界観が反映されている。でも、唯識ではもっと根本的なことを見ていく。例えば、君が今見ているこのカフェや、私や、コーヒーカップ、これら全てが君の『心の働き』によって作られているんだよ。」

しのぶは少し困惑した表情を浮かべ、コーヒーカップを手に持ったまま動きを止めた。「えっ、どういうことですか? だって、このカフェもマスターも、実際にここに存在してるじゃないですか。」

分別と実体化

「そう、普通はそう思う。だけどその『実際、存在しているじゃない?』という考え方に、すでに君の世界観が入っているんじゃないかな。」

しのぶはそう言われてハッと気がついた。

「そうか。『目に見えて、触れられるものは存在する』これがもうすでに、私の世界観なんだ…」

「鋭いね」マスターは感心したように目を上げ、淹れ終えたコーヒーをカウンターにそっと置いた。

「そして君がまさに言ってくれた『目に見える』『触れられる』ということこそが…」

「私の心の働きだ!」しのぶは思わず言葉を挟む。

マスターは微笑みながら、頷いた。

「理解が早いね。じゃあその『心の働き』をもう少し掘り下げて考えてみようか。君が見たり触れたりするそれを『カフェ』や『マスター』と言葉で捉えるのもまた、君の『心の働き』によるものなんだ。例えば、このコーヒーカップを見てごらん。厳密に言えば、透明な筒形の物体が見えるだけだ。それを『カップ』と呼ぶのは、君の心がそう解釈しているからなんだよ。」

しのぶはカップを手に取り、じっと見つめた。彼女の指がカップの縁をなぞり、その感触を確かめるようにゆっくりと動く。

「確かに…。もし私が『カップ』って言葉を知らなかったら、これが何か分からないかもしれない。でも、犬や猫は言葉を持ってないけど、彼らなりに世界を認識してるんじゃないですか?」

「その通り」とマスターは答えた。「犬や猫は人間とは違う世界観で生きている。彼らには『カップ』や『カフェ』という概念はないけど、彼らなりの認識で世界を捉えている。人間は言葉を使って、より複雑に世界を『分別』しているんだ。」

「分別って、ものを分けて考えるってことですか?」

「そうだね。唯識では、『分別』と『実体化』が私たちの世界観の基盤になっていると言われている。例えば、君がこのカップを『カップ』と認識するのは、他のもの—例えばペン立てやパソコン—と分けて考えているからだ。そして、その分けたものを、あたかも確固たる実体があるように捉えてしまうのが『実体化』なんだよ。」

しのぶは考え込んだ。

「たとえば、私がこのカフェを『落ち着く場所』って思ってるのも、私の心がそう分別して、実体化してるってことですか?」

「その通り」とマスターは頷いた。「君がこのカフェを『落ち着く場所』と捉えることで、それが君にとって不変の真実のように感じてしまう。でも、実際には、君の心の状態や状況によってその感じ方は変わるかもしれない。なのに、私たちはそれを固定されたものとして捉えてしまいがちなんだ。」

「確かに…。今日は講義で疲れてたから静かなカフェが心地いいけど、友達と騒ぎたい時は賑やかな場所がいいかもしれない。でも、普段はその違いを意識してないかも。」

執着と惑い

マスターはコーヒーを一口飲みながら話を続けた。

「その通りだよ。そして、そのように世界を固定して捉えることが、私たちの執着や惑いの原因になる。唯識では、その執着や惑いを克服するために、心の働きを深く理解することが大事だと教えられているんだ。」

しのぶは目を輝かせた。

「それが『唯識』の教えなんですね。執着って、たとえば物や人にこだわるってことですよね? でも、それがどうして惑いになるんですか?」

「いい質問だね」とマスターは言った。「物や人にこだわることは、自然な感情なのに『惑い』なんて言われるとしっくりこないよね。だけど、見落としてはいけないのが、その執着を起こす前提となっている『世界観』なんだ。」

「ええと、なんだっけ…そう、『分別』と『実体化』で世界を見ているという世界観でしたね。」

「そうだね、そしてその世界観そのものが実はすでに『惑い』だとしたら…」

しのぶはまた閃いて言葉を挟む。

「そうか…!本当は、心の働きで分別して作り出している世界なのに、初めから『存在している』って思い込んでいるから。」

「そうだね。」マスターは続ける。「たとえば、君がこのカフェを『落ち着く場所』と実体化すると、それが絶対的なものだと錯覚して、そこにこだわりが生まれる。でも、本当はそれは君の心が瞬間ごとに作り上げたものに過ぎない。それを固定した実体だと信じてしまうことが、惑いなんだよ。」

しのぶはカップをテーブルに置き、しばらく周囲を見渡しながら、呟くように言った。

「惑いの、世界観かあ…」

「その通り」とマスターは答えた。「固定した実体だと信じたその時から、『執着される対象となる世界』をすでに作り出してしまっている。だから、必然的に執着は避けられないということなんだ。そして、その惑いの世界観のことを『遍計所執性』と呼ぶんだ。」

そう言ってマスターは、カウンターの下から紙とペンを取り出し、少し目を細めながら綺麗な字でその言葉を書いてしのぶに手渡した。

「遍計…所執性?」

しのぶは紙をまじまじと眺めながら、その聞き慣れない言葉に首をかしげた。

「難しい言葉だけどね」とマスターは笑った。「『遍計』は『遍く計らう』、つまり全てを解釈してしまうこと。『所執』は執着の対象という意味だ。私たちは世界を分別して、それを全て実体化してしまい、執着の対象にしてしまう。それが惑いの根源なんだ。」

唯識の教え

しのぶは目を輝かせ、興味津々に尋ねた。

「じゃあ、どうやってその惑いをなくすんですか?」

マスターは穏やかに微笑み、少し間を置いてから答えた。

「その疑問に答えているのが、まさに『唯識』という言葉なんだ。この教えを深く理解するほど、惑いに縛られた世界の見方が少しずつ変わってくるよ。」

しのぶは興奮を抑えきれず、でも落ち着いて聞こうとコーヒーを一口飲んで気持ちを整えた。

「もっと詳しく教えてください。」

マスターも彼女のペースに合わせてコーヒーを一口飲み、静かに話を続けた。

「唯識の『識』はね、心を意味するんだ。つまり唯識とは、自己や世界の真実を、心だけで説明する教えなんだよ。例えば、君が今見ているこのカフェや私、それにテーブルに置かれたカップさえも、全部が君の心が作り出した『相分』—つまり対象なんだ。それを君の心が見ているのが『見分』。この二つが絡み合って、君の世界ができあがっているんだ。」

「心が作り出してる…?」

しのぶは目を丸くした。

「そうだよ」とマスターは続けた。「たとえば、君がこのカップを見る時、心が『カップ』という対象を浮かべて、それを認識する。それが一瞬の出来事で、次の瞬間にはまた別の対象を浮かべている。映画のフィルムが次々と映し出されるようにね。この心の働きが『識』なんだ。」

「それって、分別と同じってことですか?」

「その通り。識が働くたびに、分別が起きている。見る側と見られる側、主観と客観に分かれるのも、識の働きなんだ。唯識では、この世界は全て識だけで成り立っていて、固定された実体なんてないと教えているよ。」

しのぶはだんだん楽しくなってきた。「確かにそうだ、今も『分別』してる…次もまた『分別』。次のも、また次のも…分別の連続なんだ。わ、なんだか面白い!」目をキラキラさせながらあっちにやり、こっちにやり、机や椅子の木目を手で撫でて、しのぶは子供のようにはしゃいだ。

そして確かに感じた、世界の見え方が少しずつ変わってきたことを。

結び

しのぶはコーヒーを飲み干し、満足げに言った。

「今日は本当に勉強になりました。『唯識』ってこんなに深い意味があるなんて思わなかったです。また来てもいいですか? もっとお話聞きたいです。」

「もちろん、いつでも歓迎するよ。君のような好奇心旺盛な若者と話すのは、私にとっても楽しみだ。」

しのぶはカフェを後にした。外はすっかり日が暮れ、京都の町は夜の静けさに包まれていた。彼女の心には、新たな視点と、これからの学びへの期待が満ちていた。

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